絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2001/10/21  あのドキュソ参謀の再来なのか!?2

 あのドキュソ参謀の再来なのか!?では西和彦は辻政信に似てるなんてことを申し上げましたが、西さんのこの講演を読むともうほんとにまるっきり辻参謀そのものでありました。あたくしが不明でありました。こういう凄い人物というのはいるものです。
 もひとつ見つけたこっちの講演では、あいかわらずの冴え渡った未来ビジョンを展開しております。これだけの構成ばっちしの氣宇壯大なるお話を一気に喋くり倒してしまえるということだけでも単純にもの凄いことですが。
 あの1ch.tvはなんと!これだけ荘厳華麗なるビジョンを基に構築されようとしているのですぞ!!とくにあたくしは資料の38に注目しております。

 1ch.tvに関しては悪評嘖嘖でありますが、あたくしはウェブ上の出版仲介業というのは一社くらいは占める余地があるのではと考えております。それが1chになるかどうかは判りませんが、誰かが先鞭をつけねばならぬことではあり、それが西さんであるというのは意味があることと想います。
 そもそも、出版業というのは成り立っているほうが不思議なくらいのおかしな無茶なシステムでありまして、グーテンベルグ以来死屍累々であるわけです。殊更ウェブ上だから不可能だというのは、まともにものを考えたことのない愚者の戲言です。
 歴史上のほとんどの期間まともに機能したことがないのに、100年ほど前から曲がりなりにも出版が事業として成立するようになって、最近またもとの正常な状態に戻りつつあるのはなにゆえなのか、もう一度きちんと考察すべきではあるかと存じます。ウェブに場を移してまた最初からやってみるというのは一番よく判るやり方でありましょう。成立していたほうが何かの勘違いだったという結論が出るような気もいたしますが。

 こんな話以前にできたばっかりのウェブサイトについてぐだぐた云ったり嘲嗤ったりする方々というのは、ウェブのことが判っていないだけではなくもっと根本的に人間として脳無しであるとあたしくは想っています。あたしはとりあえず開設半年は様子を観ることにしています。
 もっとも、あまり悠長に考えていてもいかん場合もあるのですが。古本横町があまりに詰まらんので開設半年経ったら絶望書店が徹底的にケンカを仕掛けて盛り上げてやろうかと竊かに計画を練っていたのですが、なんとむこうさんは半年で消滅してしまいました。あまりに諦めがよすぎるのも困ったもんで、中身が薄かったのもこのへんに原因はあるのでしょう。
 それに引き替え、西さんは閉鎖騒動の直前に2ちゃんねるにケンカを吹っ掛けたわけで、あたしはそのあまりのタイミングの見事さに感服いたしました。
 西さんが辻参謀の再来である限り何度失敗してもまたやるでしょう。一度でも成功すれば<作戦の神様>と呼ばれるようになるのです。やったもん勝ちです。大いにやってもらいたいもんです。

 11/26 革命の名は1ch.tv!も参照のこと。


2001/10/17  チューリングテスト被験者たち2

 この日記ではあんまり野暮なことは書かないつもりだったんですが、このままではチューリングテスト被験者たちの意味が通じないのではないかと危惧いたしますので、基本的な解説を。プレッシャーに屈してひとたび野暮世界に脚を踏み込んでしまうと泥沼になるな。

 今回の戦争の一応の決着はサウジに革命が起きるか起きないかで決まります。それ以外のことはまったくの些事であります。すべての事象はサウジ革命に対するポイントで判定されます。現段階では可能性は低いものの、着実にポイントはプラスに加算されております。
 いまだにテロがどうしたとかアフガンがどうしたとか、ましてや自衛隊を出すかどうかなんてどうでもいいことばかりが喧伝されるとは想っておりませんでした。日本に「正義」なんてものがあるとしたら、それは先の大戦から一貫して石油の安定確保を指す言葉のはずでして、すべてはサウジ革命から逆算して戦略が練られなければならんはずなんですが。オイルショックの頃と比べると石油へのエネルギー依存率は圧倒的に下がっているとは云え、石油が途絶えるとテロや爆撃に遭ってる人々を可哀相だなんて云ってられなくなりますからな。
 まったく同じ状況だったイラン革命のときはうまいこと立ち廻ったというに、また歴史上例のない自らの補給線を断つための戦闘に大日本帝国と同じく突入するようです(欧米はシフトが済んでいて中東への依存度は低い)。
 まあ、なかにはサウジ革命への懸念を表明されている方もおりますが、ものの判った諸氏のあいだではもちっと中心的な話題になると想っておりました。とくにウェブなんかでは。
 サウジ革命も武力の勝敗とは直接関係のないチューリングテストの帰結のひとつで、主戦場はアラブの普通の人々の<心>ですから革命成らずの判定は難しいものの、米国のサウジ駐留軍撤退なんかがとりあえずの指標となりましょうか。もともと米国が最近までタリバンの援助なんかもしてきたのも、危ないサウジから乗り換えるためにアフガニスタンのパイプラインをなんとかしようという目論見であったわけで、いずれにせよ日本にとっては困ったもんでございます。
 「チューリングテスト被験者たち」という文章はその革命の行方が概ね視えたのちのことを主に念頭に置いたものなんです。しかるべき方々が本筋のほうのテスト項目をきちんと整理しないから、こんなめんどうな解説をしなければならん。

 今回のことで大国の少数民族や政治犯弾圧、エシュロンみたいなのがおおっぴらに公認されることになり、核拡散も容認されたりと、いろいろ新しいテスト項目が出てまいりましたが、そんななかでも、たとえばwad’sのここやここで説かれているような90年代のアメリカ人の変化なるものがほんとなのかどうかが重要であると想われます。今回のことでアメリカ人の<心>がまたどうなったかを識るための前提として。
 こういうことは世論調査や映画なんかの影よりも、直接個人のウェブページで読み解くほうが正しい判定が得られるのではないかと考えます。而して、誰かがサボってるなんてことを申し上げた次第なんですが。たんなるウォッチではなく、ウェブページ評論が必要であると考えます。
 ちなみに90年代については、あたくしはあまり変化はないような気もするのですが。

 日本のことを申しますと、軍隊を出してヤケドをするか無視されるか、そもそも相手国から軍隊なんか寄越すなと云われて引っ込んでから、屈折していろいろややこしい思想を抱く輩なんかも出てくるのではないかと予想しております。できればヤケドは、自衛隊の銃声一発でパキスタンに政変が起こり、インドと中国が介入して大戦争なんてのが判りやすくてよいのですが。
 考えてみますれば、オウム真理教が短気を起こさずに今日まで生き伸びていたら、あるいはさっさと教祖が死刑になっておれば、世界的に面白い存在になっていたような。日本の裁判を含めたぐずぐすした対応は世界のために大いに貢献しております。
 想うに、イスラム原理主義にも、反対の叩く側にももひとつ乗り切れないような人々の<心>の隙間に入り込む適当な思想が案外ないのですな。
 なんか、中東でも宮崎駿アニメが人気なんだそうで、あんなディズニーとはまた違った「みんな仲良くしましょう」と申しますか、日本ヲタク文化の根っ子たるいろいろ複雑なる善悪相対論的お話を戦略的に世界に広める動きなんかも出てくるのではないでしょうか。
 アラブ人の登場するアニメが増えたりして。ハリウッドの勧善懲悪映画が廃れたりして。難民キャンプでアニメ上映会を開くヲタクNGOが出てきたりして。米国で『もののけ姫』がコケて、ほかの作品の上映もぽしゃったのは案外大きな影響を及ぼしてたりして。
 広い意味でのコンテンツ産業にとってはこれからが狙い目だということです。武力では如何ともしがたい、ほんとの意味での思想的世界支配権争いですな。<チューリングテスト戦争>とは、まあそんなようなお話でございます。


2001/10/7  どこかできっと待っている

 きのう新文芸坐での『新八犬伝』映画版の26年振りの上映に行って参りました。
 あらためて観ると記憶に残っているより遥かに文楽に近い。あたしくの嗜好は子供の頃からなんも変わってないのに驚かされます。
 新八犬伝ファンの方は一度は文楽も観てみられたほうがよろしいかと存じます。近松門左衛門の世話物なんかは最初に観るには退屈でしょうけど、近松半二の時代物なんかは華麗で出鱈目でギャグ満載で存分に愉しめるはずです。玉梓が怨霊は『妹背山婦女庭訓』の悪役・蘇我入鹿を元にイメージされて造型されているんではないかと想います。

 『新八犬伝』については新八犬伝をもう一度見ようよ!が詳しいですが、NHKの吉例としてテレビのビデオは1話、20話、最終話の三本しか残っておりません。映画版はテレビとはまったく別に撮り下ろされたもので、行方不明になっていたフィルムが今回発見されて26年振りの上映となったわけです。
 あたしはこんな稼業に身を窶して、売り物にしていないものも含めてそれなりにいろいろ掘りおこしてまいりました。その経験を踏まえてここに断言させていただきますが、世間で消滅したと云われているものも必ずどこかに残ってる!絶対にある!!あると云ったらある!!!!!!
 要は真面目に探索されていないだけなのです。マニアとかいう連中は偉そうな顔をしておりますが、すでに分類整理されている獲物を釣り堀で漁っているだけです。そんなところで本物のお宝など巡り逢うべくもない。釣り堀自体にも本物を探索する能力などありません。もともと、よそでラベルを付けられて値段も決まったものを並べるのが釣り堀の本来の仕事なんですからごくごく当たり前のことなんですが。
 問題はマニアに本物の探索能力がないだけではなく、そもそも釣り堀の外で本物を探索してみようという発想さえ想い浮かばないらしいことです。あなたが買わなくとも棚に並んでいる限りほかの誰かが手に入れるだろう獲物を手にして「救出」なんて肌に粟する言葉を吐いたりして、ほんとに打ち捨てられている本物を<救出>しようとは缺片も考えもしない。
 実際に探索して、実際に発見できるかどうかはともかくとして、まだ観ぬ兄弟に逢いたいなという想いを最初から抱かないということは、つまり珠玉を持って生まれてはいないということです。すでに誰かに発見されている獲物を釣り堀巡りで確認しているだけで、達人だのなんだの云ってるあなたは贋者なんです。
 珠玉を持って生まれてきている諸氏は草の根わけてでも生き別れの兄弟を発見していただきたい。真に誰の眸からも隠されている本物のお宝を掘り出すのは男子の一生を賭けるに相応しい挑戦であるとあたくしは愚考いたします。徳川の埋蔵金などは見つけたとしてもすでに他人様が持っている世界の金の相場を下落させるだけのことですが、真に誰の眸からも隠されている本物のお宝を新発見すれば人類の財産をひとつ増やすことになる。これは創造にも匹敵する偉業であります。
 ここで探索すべきお宝の名前を並べていってもいいのですが、こんなことは人から云われて気付くことでもない。生まれながらに珠玉を持っているなら、すでにそこに刻まれているはずですからな。

 もっとも、『新八犬伝』映画版の場合はこれまで26年に渡って幾人もの諸氏が東宝に問い合わせて行方不明という回答を得てきたのに、新文芸坐が問い合わせるといつでも上映できる状態ですぐに出てきたそうで、まことに何というか情けなくも困ったことです。しかし、逆に云うと案外簡単な場合もあるということです。あたしの経験に照らしてもこういうのはよくあることなのです。
 諸氏の奮闘が待たれておるのですぞ!!いざとなったら珠玉を出せ!!勇気があふれる不思議な珠玉を!!
 切にしかあらんことを希う!!


2001/9/29  誰かがサボってる

 前回は「ウェブによっていろんな意見が視えるようになったのは結構なこと」なんてことを申しましたが、じつはそうでもないのです。
 あたくしは以前から普通のワスプが米国のユダヤ系メディアやらイスラエルやらについてどんなふうに考えているのかに興味がありまして、今回あらためてウェブを巡ってみたのですがどうしても辿り着けませんでした。
 あたしが米国のウェブ事情に疎く、最近米国で流行らしいウェブログとかいうのもうまく使いこなせず、そもそも英語も苦手で、まあデジタルデバイドとか云うやつなんでしょうけど、これはあたしの能力不足だけから来ているのではございません。
 たとえば海外ヲタク系サイトについてはウォッチャーが沢山いて、個人サイトや掲示板の特定の発言なんかにあたしでも容易に辿り着くことができます。
 それに引き替え、これだけのお祭りがはじまっているというのに、日本のサイトでリンクを張られている海外ページは有名人の声明や巨大メディア、せいぜいslahsdotレベルで米国の個人の声などまったく視えてきません。個人と個人が繋がってないのでは、ウェブの甲斐がなんにもない。マスコミが当てにならないいまこそウェブの出番のはずなのに、マスコミと同じレベルのことをやっている。
 日本にはネットウォッチやら個人ニュースサイトやらが無数にありますが、みんな不気味なくらいおんなじ内容です。どうせやるなら米国の個人サイトや掲示板を巡って分類見出し付け、できれば翻訳なんかをすれば、このご時世ですからすぐにケタ違いのアクセスが集中するでしょうに、どうしてだれもやりませんかね。前回云ったように、この戦争の主戦場は前線から一番遠く離れた処にあるんですから。
 いや、こんなお祭りになる以前に海外の個人と繋がるというのはウェブの王道のはずなんですが、なんでないのか。米国内や日本国内限定でのウェブログなんかより、よっぽど意義があるというに。
 あたくしは日本のちょっと古い時代の役に立たない部門を担当していて、海外やら現代の役立つ情報やら、そっち方面はあなたに任せたというのに、これでは困るではないですか。あたしとまだ視ぬ遠くの誰かさんとが繋がっていないのは、間を取り持ってリンクを張るべきあなたがサボっているせいなんですぞ。

 もっとも、こういう事態になると巨大メディアと同じく個人の発言もどこまでまともに受け取ってよいものかは怪しくなってきましたが。
 たとえばHotWiredで紹介されているイスラム教徒と称する人の掲示板の書き込みですが、あんなとんでもないことがまさに起こっている現場で、ぼーぜんじしつになっているはずの人々がいちいちお互いの人種を確認してから助け合ったりするものなのか。この記事についてのツッコミも探しましたが見つけられませんでした。
 イスラエルについての発言で唯一辿り着いたCNNの掲示板も、すでに普通の人の普通の意見ではなくなっておりますし。それにしてもここで頑張ってるイスラエル人の発言は逆効果のような気がするんですが。普通の米国人はこんな言葉で説得されたりするのでしょうか。

 それはそれで怪しい発言として分類して繋いでくれないと困る。ほんとはさらに踏み込んでウェブと現実世界の戦争がはじまってくれたりすると、あまりパッとしない地上の戦争より面白くなるんですが。
 <ネチズン>とか恥ずかしげもなく云っていた人たちはどこにいってしまったのでしょうか。いよいよほんとにやり合える場面が来たら、敵前逃亡なんでありましょうか。
 まあ、国家と対抗するかはともかくとして、とりあえずは米国の個人サイトを分類するだけで巨大メディアとは張り合えますよ。湾岸戦争でCNNが確立したように、ほんとの個人メディアが立ち現れる千載一遇のチャンスのはずなんですが、あんまりこんなことを云ってる人もいないような。HotWiredの一連の個人ニュースサイト記事も、もうひとつ威勢良くぶち挙げたりはしておりませんな。
 米国に於いて個人と巨大メディアではやはり取材力の差が出ますが、日本のマスコミは海外メディアからおこぼれをもらってくるだけですので、やりようは大いにあります。狂牛病の欧州の個人サイトとか。ネットバブルなんかよりは遥かに大きい波が来てるんですよ。
 こっちの闘いのほうが絵になりにくい貧民相手の山岳戦争なんかより、ましてや反戦運動なんかより見物です。無駄に人生を費やしてる留学生や外語崩れは腐るほどいるでしょうから、適当に駆り集めて参戦しなさい。首を獲って名を挙げろ!ヤフーを凌ぐ最期のチャンスだ!バーバレラを嫁さんにしろ!!!!
 ほんとはアラブのヲタクについて一番識りたいんですがね。

  10/17 チューリングテスト被験者たち2も参照のこと。


2001/9/21  チューリングテスト被験者たち

 昨日ああ云ったものの、事件直後に書こうと想ってやめてしまった文章を、プレッシャーに負けてやっぱり記しておきます。
 妙なプレッシャーを受けるのが嫌で自分のメディアを持ったと云うに、やはりプレッシャーは受けることになる。諸氏にはここにはっきりと宣しておくが、絶望書店主人はプレッシャーに極めて弱い!!罵詈雜言なら心待ちにしているんですが、誰にも浴びせてもらえんし。あんまり妙な期待は掛けないでネ。絶望書店主人からよい子のちびっ子たちへのお願い。

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 マンハッタンのテロ映像を観てほんとにショックを受けている方が大勢いるようで、あたくしはそちらのほうに驚きました。アメリカやイスラエルがアラブに対して行った爆撃や虐殺で殺された一般市民や壊された建築物は遥かに多いはずでから。
 ユダヤ系に支配された米国メディアはこれらのニュースをほとんど流していないらしいんですが(これが真実なのかどうかあたしはよく識らんのだけど、今回米国のテレビを観ているとニュースキャスターがパレスチナ人の専門家にどうして米国がここまで憎まれるのか判らないのですがとじつに素朴に訊いておりましたので、やっぱりほんとなんですかね)、日本ではそれなりに報道されていたはずなんですが。
 なにゆえ、一方の側だけに強く想い入れすることができるのか。知り合いが巻き込まれたとかいうのなら話は別なんですが。

 ディックの小説では生き物に対して感情移入をできるかどうかが、人間と機械人間を見分ける唯一の機能として扱われておりました。あたくしも感情移入というのが人間の深淵を探索するにもっとも重要なる鍵を握る不思議な能力だと考えております。
 ディックの小説では生き物に対しての感情移入だけが問題とされ、たとえ感情移入できたとしても電気羊と羊とは違うんだと書かれていたような。この十年以上読んでいないので、あんまり覚えておらんな。全然違うかも知れん。まあ、いいや。
 ところが実際には人間というのはどんなものにも感情移入ができてしまう。たとえ二次元美少女だろうが、活字の連なりでできあがった登場人物だろうが、ほんものの人間に対するのと寸分換わらぬ、いや身近な人間に対する以上の感情を抱くことができてしまうのです。そこにキャラさえきっちり立っているのなら。
 ここで想い出すのがかのチューリングテストというやつでして、人工知能がほんとに&lt;智能&gt;を持っているかどうかを人間に判定させるというのはじつに正しい。&lt;智能&gt;あるいは&lt;意識&gt;というのはシステムの中枢にあるのではなく、人間に対するインターフェイス部分に宿るものだとあたくしは想っております。もうちょっと穏当な云い廻しをするのなら、人間の感情移入を喚起せしむる能力が&lt;智能&gt;であると考えています。チューリングテストは間接的な判定法ではなく、直接&lt;智能&gt;を検出するための最適な方法であると。検出どころか、受け手との共犯関係がないとインターフェイスである&lt;智能&gt;そのものが発生しないのです。むしろ、受け手の比重のほうが大きい。
 つまりは&lt;キャラ立ち&gt;の問題なわけです。ためにいまAIの研究にもっとも必要とされる人材は技術者ではなく萌えキャラ造型能力のあるヲタク作家であるとあたしは真剣に考えます。人工知能研究の現状について詳しくはないのですが、キャラ造型研究(とりあえず表情をつけたとかいうレベルではなく、最高度に感情移入を喚起せしむる、つまりヲタク萌えキャラレベル)が中心になったとはあまり聴かない。商品であるはずのロボットでさえあの酷さで、またあんなものに悦んでいる受け手までいる始末で、推して知るべしでありますが。相澤次郎博士の時代から確実に退化しております。
 これは絶対的に間違っている。&lt;キャラ立ち&gt;はたんなる実用的な人工知能に必須な機能であるだけでなく、人間の認知を解き明かす鍵が感情移入にあることを理解していない研究者がコンピューターの研究をしても人間の認知の研究をしても無意味なんですから。&lt;キャラ立ち&gt;というのは認識を誤魔化すための小手先の技術ではなく、人間の根幹に触れる何かであるのです。
 はたまた、感情移入が人間の根源的な能力とするなら、チューリングテストで判定されているのは壁の向こうのコンピューターであるのか、それともこちらに座っている自分であるのか、なかなか微妙な問題ではあります。
 さらにチューリングテストの面白いところは人間とコンピューターが1対1で對峙するのではなく、壁の向こうに人間とコンピューターがいて、壁のこちら側の人間が二者の優劣を見極めるということです。これはやっぱりコンピューターではなく、ふたりの人間が試されている。
 判定者がコンピューターを人間と感じて、人間をコンピューターと感じたとすれば、そこにいるふたりの人間の&lt;人間性&gt;はどう判定されたことになるのか。おまけにチューリングのルールでは壁の向こうの人間にコンピューターのモノマネ(非人間化)が要請されていて、この演技にも関わらず人間と見なされたらこの人の&lt;智能&gt;はどう判定されたことになるのか。まったく、どう転んでも皮肉なようにできています。
 チューリングさんよ!あんたはなんちゅー恐ろしいテストを考え出したんだい!!そこまで人間に絶望していたのか。それとも、そこまでして深淵を探索、あるいはどうしても機械で甦らせたい人間がいたということか。いずれにせよ人間の根幹を完璧に見抜いていたのではないかと想わされます。

 これからはまったく新しい戦争がはじまります。参戦者だけではなく判定者さえもがつねに判定に晒される&lt;チューリングテスト戦争&gt;です。武力や情報戦の勝敗は項目のひとつに過ぎない、人間の本質自体を試す設問の絶え間なき応酬となる&lt;無限チューリングテスト回路&gt;形成です。
 欧米とアラブの各国首脳はある程度理解していて、慎重にテスト準備を進めています。いまさら軍艦を出せばいいと考えている日本政府だけが判っていない。ここで求められる戦力はたんなる情報操作のエキスパートではなく、萌えキャラと萌えストーリー造型能力のあるヲタク作家なんですが。判定者として求められる能力もヲタク魂であるのです。なんせ、アラブ人以外からイスラム原理主義に染まる輩が出てきたり、さらには新たなるインターフェイスを搭載した新たなる勢力が現れても不思議ではないわけですから。
 いや、戦争だけではなく、いまの世界は経済も技術もすべてチューリングテストで成り立ってきています。絶望書店日記でも繰り返し説いているヲタク心が問われる世界です。人間の歴史は情報化時代からさらに人間の本質に関わる次の段階に入ろうとしております。
 絶望書店主人が正しきヲタク魂にこだわる由縁であります。

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 ・・・・・・てなことを書こうかと想っていたわけですが、あらためてウェブ上を観て廻るとむしろアラブ側に同情的な人のほうが多かったりする。話の前提が崩れてしまったのでやめたわけです。まあ、それはそれでチューリングテストに絡められるわけですが、流れがぐちゃぐちゃしてきますからな。
 ウェブによっていろんな意見が視えるようになったのは結構なことですが、どうもすっきりした物云いがやりにくくなったという弊害もあるような。いや、上の文章だって充分ぐちゃぐちゃしておりますが。やっぱり、書かないと判断したのにはそれなりの理由というものがございますな。
 ほれ見ろ!プレッシャーなんぞに屈するとろくなことにならんではないか。
 「だって、地球は絶望的に丸いんだもん」というのは結構いい豫言の言葉でありました。これだけでやめておくんだった。



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