絶望書店日記

本を買うなら
絶望書店

メールアドレス
zetu●zetubou.com
●を@にして送信してください

絶望書店日記を検索


絶望書店主人推薦本
 
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



二階堂有希子だったのか!!!?ショップ



フィード
 rss2.0


過去
最近記事
カテゴリー










2007/11/14  ウェブ考察のためにもっとも重要な本

 いま出ている週刊文春で宮崎哲弥が『戦前の少年犯罪』のことを「画期的な少年犯罪本」というような感じで結構大きく取り上げてるのを見て、前回の戦後もっとも重要な本では一番肝心なことを書き落としていたと云うか、はっきり書いてなかったなと想って、くどいですが念押ししておきます。
 『戦前の少年犯罪』というのは少年犯罪の本ではないのです。
 このあたりのことは管賀江留郎氏もあとがきで明確に云っていますが、少年犯罪というのはたんなるひとつのサンプルとして取り上げているだけで、これは情報の流れ方、メディアというもののありかたを実証的に提示したものなんですな。
 管賀江留郎氏自身も自分は少年犯罪にまったく興味はないと云い切っているくらいで、これは少年犯罪に興味のない人こそ読むべき本です。

 なんか、この本の評価として、よくぞここまで調べたみたいなのが多いみたいなんですが、こんなのを調べるのは簡単なんです。あとがきに、中学生程度の学力があれば一ヶ月でできると書かれていますが、学者なりジャーナリストなりのプロなら半月でできるでしょう。できないならプロとは云えません。チームを組めば3日でなんとかなるでしょう。
 だいたい、戦前の東京朝日や読売はすでにパソコンで簡単に検索することができるようにデータベース化されているんですから。大学とか新聞社、テレビ局内なら無料でいくらでも使えるようになっているわけで。
 あの本ではこういう全国紙だけではなく数多くの地方紙の記事も集めていますし、また管賀江留郎氏は大学ともメディア企業とも無縁ですからこの手の記事データベースをいつでも気軽に使えるという立場ではないので多少の手間は掛かっていますが、それでもまあ大したことはない。
 数多くの記事を短いひとつの文章にまとめるのは大変な手間がかかっていて、少年犯罪データベースのデータ作成には多くの方々が参加してみなさん血反吐を吐きながら全員が脱落してゆきましたが、調べるだけならほいほい簡単に済みます。新聞なんかを読むだけなんですから。

 問題はこんなに簡単なことをこれまで誰もやらずに根拠のないデタラメ情報がえんえんと流れていたということで、これは既成の学者やテレビや新聞だけの問題ではないのです。なんせ、そこらの大学生だって、大学図書館に行けば戦前の記事データベースや戦前の裁判判例なんかは無料で好きなだけ検索できるようになっているんですから。戦後ももちろん。
 こういう基本的なことをやらずに、既成メディアが流している根拠のないデタラメ情報をそのまま受け取って根拠のないデタラメ考察を加えたりしてノイズを増幅する作用に加担している。既成メディアが流している情報を否定しているような人もこういう基本的なことをやらずに反対しているだけですから、イメージによる根拠のない情報を流すという点ではまったく同じです。
 結局のところ、おまえらはSONY以下なのか?で述べたような、ウェブ住民のメディアの結節点としての品質の問題に帰結するのです。
 たとえば、小飼弾氏みたいな人には、管賀江留郎氏もそういう点をこそ読み取ってもらいたかったんだろうなと想われます。
 まあ、たしかにたんなるサンプルのひとつとしては少年犯罪データは衝撃的過ぎて、それ以外の部分もおもしろ過ぎるという嫌いはあるのですが、おもしろさの部分はともかく少年犯罪データが衝撃的に感じるのはウェブ住民がこれまでまともな性能を発揮してこなかった証左でもありますので。
 本来ならウェブ上でデータベースを展開しているだけで充分だったはずなんですが、なんでわざわざ本になんかしないといけなかったのか、管賀江留郎氏はウェブの限界を感じてけっこう愚痴ってますので、ウェブ住民のみなさんはそのあたりのところを、ウェブメディアの部品のひとつとして読み取っていただければと想います。日本のウェブの問題点とはいったいなんであるのかと。
 これから書評もぼつぼつ出てくるでしょうけど、ここまで踏み込んだものがはたしてどれほどあるものやら。