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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2011/10/23  パーソナルコンピューターのパーソナルとはスティーブ・ジョブズその人のこと

 ジョブズの追悼番組で茂木健一郎がウィンドウズを腐したことを追悼に相応しくないと云ってる人が多いことに驚いた。ジョブズは常にウィンドウズを貶してきたし、自分の追悼の場に出ても貶していただろう。これほどジョブズ追悼に相応しい言葉はない。
 またそれに対して西和彦がムキになってケンカするのも、まことに子供っぽく激情家だったジョブズの追悼に相応しい光景だが、しかし「そんなこと云うな」という西さんの姿勢はいただけない。「Winは糞」と云われたら「Macのほうがもっと糞」と云い返せばいいのであって、ビル・ゲイツがこの場に出ていたらそう云ったのではあるまいか。言葉は選んで、もっと皮肉な、ライバルへの愛憎の籠もった云い廻しにはなっただろうけども。
 西さんは自分で創った者でなければそんなこと云うべきではないとほんとに思っているのだろうか。ウィンドウズがマトモになったのも、創りもせずに「Winは糞」と云い続けた人々のおかげで、その筆頭であり最大の貢献者はジョブズだったのだが。そして、アップルの数々の傑作に対するジョブズの関わり方もそれとまったく同様だったのだが。この最も肝心な勘処が判っていないようでは、それこそジョブズ追悼に相応しくない。

 私のような古参のジョブズ信奉者は、この番組への反応だけではなく、世間のジョブズへの賞賛の仕方にあまりにも深い違和感を覚えている。異次元空間に填り込んだかの如くの戸惑いだ。同じ時代のスティーブン・ジョブスを見てきて、そのジョブスに振り回されることで得も云われぬ快美感に貫かれてきたであろう小田嶋隆の追悼文には罵詈雑言の言葉が並んでいて、見知らぬ惑星から母なる故郷に帰ってきたようになんだかとってもほっとする。スティーブン・ジョブスからスティーブ・ジョブズへと名前が変容するとともに、現実空間が歪曲してしまったのだろうか。

 彼にまつわるCrazyだとかfoolishだとかいう言葉を、古い常識に囚われた人々からはそのように見えるというような意味に好意的に解釈している人もいるようだが、実際はそうではなく、スティーブ・ジョブズは文字通りの気違いで愚か者で性格破綻者だった。自らが創業したアップルを追い出されたのも、経営の問題より彼の人間性の問題のほうが大きかっただろう。
 AppleIIの産みの親、ウォズの手柄を横取りし、いまとなってはウォズに対する仕打ちがどの程度のものだったのかは情報が錯綜していてはっきりしないが、当時は利用価値がなくなるとゴミくずのように捨て去ったとアップルファンには信じられていた。娘リサは認知もせず養育費も払わず顔も見ず捨て去り、その娘の名をつけたLisaの開発を迷走させプロジェクトから追放されるとLisaをつぶそうと画策した。ジェフ・ラスキンがやっていたマッキントッシュ・プロジェクトを乗っ取り、天才的な開発者たちをぼろぼろになるまでこき使ったあげくに大した報酬も与えず手柄は横取りした。あげくに会社を追い出される。正確には自ら去ったのだが、すべての権限と仕事を取り上げられ、この先に何をすることも禁じられたので、クビと同じだ。

 私がマックにほんとに注目したのはHyperCardが登場した1987年でジョブズはすでにアップルを去っていたが、ハイパーテキストだのザナドゥーだのメメックスだの初めて目にする概念に夢中になっていた翌年に、完全に終った人だと思っていたジョブズがNeXTコンピューターを引っさげて颯爽と再登場したときは無茶苦茶興奮したもんだ。これが莫迦莫迦しいばかりの美学の塊だったからだ。
 なんせ形が一辺が1フィートの正立方体だとか、正確な角度28°にこだわったロゴに10万ドル掛けたり、当時は最先端だけどスピードが壊滅的に遅い光磁気ディスクをメインの記憶媒体にしたりと、実際の使い勝手とまったく関係のないところばかりに凝りまくったジョブズの美意識の結晶だった。
 恰好よろしいけど、値段も莫迦高いし、ネタとしてはおもろいけど売れんだろなあと思ってたらやっぱりまったく売れなかった。美学の清々しさと莫迦莫迦しさで大笑いしたもんだ。
 ところがまったく売れないOSが何故か生き延びて、洗練されて、とうとうアップルがジョブズごと買い取ることになってしまった。いまのマックの中身はNeXTそのまんまだ。
 まさかこんなことになるとは想像だにしなかった。ジョブズの云う、点があとから線として繋がってくるというやつだ。ハイパーリンク的とも云える。

 アップルを追放されてからは人間が丸くなったと私も思ってたし、西さんも追悼番組でそんな話をしているけど、またアップルに舞い戻ってきたときに社員だった人の話を読むとあんまり変わっていなかったようだ。実際にiPodiPhoneの産みの親だったトニー・ファデルを追放して自分の手柄にするという、相変わらずのことをやってるし。
 改めて調べてみると「アップルを追放されてから人間が丸くなった」というのは、NeXT社の広報が意図的に流していた形跡がある。あの頃のNeXT社は資金が乏しいのにコストが莫迦高いマシンを開発していて、ロス・ペローが2000万ドル出資するまで、いやそのあともキヤノンが1億ドルを出資するまでは、投資を呼び込むために彼は生まれ変わったというこんなイメージが必要だったのではあるまいか。ロス・ペローがテレビ番組でNeXT社のことを知って投資したいと電話してきたときに、余裕を見せるためわざと一週間後に返事したというくらい、いまから考えるとわずか2000万ドルに切羽詰まっていた。こんな商売上のイメージ戦略に私なんかもあっけなく騙されていたわけだ。
 キヤノンはペローなんかと違ってアップル時代から付き合いも長く、NeXTに搭載した光磁気ディスクをあり得ないほど無茶苦茶に値切られて、キヤノン販売がセッティングしたNeXT発表会では例の生け花のエピソードもある。ジョブズの人間性は思い知っていただろうし、NeXTはもう駄目だということもさすがに判っていたんじゃないかと思うが、それでも彼の人物に惚れ込んで売れないOSに法外な出資をして救ってしまった。商売ではなく、ここでジョブズを終らせてはいけないという意志が働いたのだと思う。気違いで愚か者で性格破綻者だということを思い知ったうえでなおかつジョブズに填ったのなら、もう逃れようはない。

 最初に記したように、ジョブズは自分では何も創らずに「こんなものは糞だ」と喚いて癇癪を起すか、なんだか訳の判らない美学に則って我が儘一杯の注文を付けるだけだ。しかしまた、その偏屈な完璧主義が役に立つこともある。
 有名なところでは、AppleIIのプリント基板にまで口を出し、見た目も美しくしろと注文したことだ。芸術作品を創っているつもりだったんだろう。しかし、このすっきりとした配線で、AppleIIは製造しやすくなって歩留りが上がり、故障も少なくなった。
 この手のおかしなこだわりの押しつけが、アルテアだとかなんだとかのそれまでの単なる小型のコンピューターを、<パーソナルコンピューター>というまったく別なものに変えてしまったのだ。禅の修行をやっていたのにエゴの塊だったスティーブ・ジョブズという男が、矛盾した性格の強烈な個人主義者であるジョブズが、ある意味で機械に反するはずの、その新しい概念を産んでしまったのだ。マシンを創ったのはすべてウォズひとりの力だったにも関わらずである。

 そのスティーブ・ウォズニアックがブルームバーグのインタビュー
「ただただ驚いている。予想もしていなかった。ジョン・レノンやJFK、マーティン・ルーサー・キング牧師が撃たれたと聞いた時のような気持ちだ」
と語っているのには、いろいろ驚いた。
 ウォズにとってはもう友人ではなく、私らがジョブズを見るのとあまり変わらない距離感を持ってしまっていること、また実際に創ったウォズが、創りもしないジョブズをこんな風に尊敬しているということだ。お人好しのウォズがいまでもジョブズに変わらぬ友情を感じているようなことはあったとしても、こんな具合の尊敬をしているとは想いも寄らなかった。
 CNNのインタビューではもっと具体的に話している。 


「ジョブズ氏は様々なものを発明した。エジソンと比較する声もありますが」

「それはどうでしょう。エジソンは、研究者というか、ラボの中にいる人物だと思います。スティーブはそこを飛び出し、実現する人。人と人の間をつなげて、なにかを作る人。技術的ななにかを理解し、モノを作る人です。そういう意味では、エジソンより上の人物ではないでしょうか」

(ジョブズが残した「ほんとうにスゴイ」ものより引用)

 ウォズは自分こそがエジソンだと自覚しているのだろうか。しかし、その天才ウォズも結局はAppleII以降、何ひとつ産み出せないまま消えてしまった。マッキントッシュを開発したアンディ・ハーツフェルドビル・アトキンソンなんて超絶天才たちも、その後はまったく何もできなかった。
 ジェフ・ラスキン以外はいまも健在のようだが、友だちでもない私らからしたら死んだも同然だ。まるでその溢れ返っていたはずの才能を、歴史に関わる力の全てを、ジョブズに吸い尽されて枯れ果ててしまったかのようだ。ジョブズだけは彼らを使い捨てにしたあとも次々と世界を変革し続けたというのに。
 ジョブズが若くして死んでしまったことを嘆く人もいるようだが、どう考えてもアップルを追放されたときに終って復活などあり得ないはずだったのだから、それから四半世紀も生き延びたのは奇蹟としか云いようがない。ジョブズと違って自ら創ることができる能力を有し、まさかそのまま消えるなんて想像もしていなかった他の天才たちのその後を見ると、あり得ない僥倖だったことが判ろうと云うもんだ。
 いや、それ以前のAppleIIによって、<パーソナルコンピューター>などというまったくおかしなものを産み出しただけでも充分だったのだから。

 そのパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは抽象的な個人ではなく、スティーブ・ジョブズその人のことだという基本的なことが、いまだにあまり理解されていないようではある。こんな矛盾だらけで史上初めて人間以上に不合理な道具が生まれたのは、ジョブスという支離滅裂で矛盾だらけのおかしな人物のパーソナリティが憑依しているからに他ならないのだが。自分では何も創らずに、天才たちをこき使って文句を云ってただけでこんなとんでもないことをやらかしてしまったのだ。
 マックのものまねからはじまり、ジョブズに糞だと云われ続けて成長したウィンドウズもまた然り。むしろ、ジョブズの現実歪曲空間が直接発動することができなかった分だけ、ナマの形で反映されているような処さえある。
 こんなことを私は世界の片隅でかれこれ四半世紀近く提唱しているのだが、同じようなことを云ってる人もちょっとはおりますかね。もうずいぶんと長いこと、ジョブズ関係の書物も読まなくなってしまったので昨今のことはよく判らない。
 明日販売される、初めてジョブズが公認したとかいう評伝には、上記のような性格破綻者ぶりがどの程度描かれているのかとともに、この最も重要な点に触れられているのかどうかが気に掛る。つまり、ジョブズ本人にパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは己のことだという自覚がどの程度あったのかが気に掛る。
 大型コンピューターとも、ゼロックス・パロアルト研究所のアルトやスターともまったく違う、この奇妙な相手と当面は、あるいは未来永劫、我々は時にはうんざりしながらも付き合っていくことになるのである。

 日本にジョブズは生まれないのかなんて話もあるけど、十年近く前に2002/3/22 シンプルは醜いを書いたときには、これからの家電は表面的なデザインだけではなくコンセプトその物からヲタク作家がデザインするようになって、あるいはジョブズを凌駕することもあるのではないかと考えていた。その頃すでにジョブズは昔の莫迦莫迦しいまでの美意識を制御するようになってしまって、割合と実用的な製品を出していたので、私なんかは喰い足りなくなっていたということもある。
 また、これを書いたときには、日本の家電メーカーはこれから次々淘汰されていくだろうから、その断末魔には必ずこういう路線も試すだろうと見通していたんだが、まさか三洋電機なんかでも手をこまねいたまま為す術もなく潰れるとは思ってもみなかった。私が想像したよりも、日本の物創りの状況は悪いのかも知れぬ。
 しかし、かつてキヤノンはどう見ても終っていたジョブズに140億円を出して救ったんである。これからもどんどん倒産していくだろうから、日本のメーカーの中にも、さすがに自分が破滅するとなるとこのくらいの冒険を試してみる処も出てくるだろう。
 漫画家だとかのヲタク作家に自分の欲しい物をまったくゼロから考えさせて、メーカーはそのコンセプト通り忠実に再現することのみ貫き、ウォズと同じように職人に徹して、宣伝から何からヲタク作家に任せてしまうしかもう生き残りの方策はない。ジョブズに匹敵する現実歪曲能力を持っているのは日本のヲタク作家しかいないのだから。具体的な物質の製造よりも、世界観と物語の構築こそがこれからの家電に限らずあらゆる製品に必須となるので、たんなる技術者やデザイナー、広告屋では追っつかないのだ。十年前にはピンと来なかった人々も、ジョブズの成功でいい加減その程度のことは理解できるようになったのではないかと思われる。この先、生き残ることができるのであれば、ヲタク作家ひとりにつき140億円くらい掛けても安いもんだ。ゲーム会社なんかも本業が儲からないなら、家電の企画開発から宣伝までを請け負う方向に行くべきだ。海外メーカーにもできることではあり、先を越されては眼も当てられぬ。
 ジョブズも最近はますます実用的なものばかりを出していて、デザインも少しだけ<シンプルは醜い>に堕していた処があって、じつは私なんかはひとつも手に取らなくなってしまっていた。また、莫迦莫迦しいまでの、大笑いできるような、意識を変容させる、新しい地平を見てみたいもんではある。
「Stay hungry, Stay foolish」とは何かの比喩ではなく、字義通りの意味でしかありえないはずなんである。

   


2009/10/20  フォーク・クルセダーズをひさしぶりに聴く

 あたしが歌で一番好きなのはじつはフォーク・クルセダーズでして、そのなかでも『戦争は知らない』が一番だったりします。
 寺山修司は総じてあたしにはぴんとこないのですが、この詩だけは展開力が凄まじい。曲も急き立てるが如き畳み掛けで展開力をいや増してる。
 『花はどこへ行った』のパクリでもやってみようかと軽くやってみたらなんだかどえらいもんが生まれ出てしまったというような、部分部分を見ればたいしたことないのに組み合わせの錬金術を感じます。創作秘話みたいなものを寺山やフォークルは語ってますでしょうか。明るく歌ってるのが却って泣けていいところです。
 これまで何十年間、作曲は加藤和彦だとばかり信じて疑わなかったのに、加藤ヒロシという人でまったく別人だったんですな。世の中は知らんことが多いわ。ザ・リンド&リンダースって『銀の鎖』のグループか。『夕陽よいそげ』って聴いたことがないな。
 これだけの歌ができるものなら戦争をやった甲斐もあったもんだと、あたしは真面目に想います。リリンの生み出した文化の極みとかも云いたくなります。


9. 戦争は知らない – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 hoochicoochiuploader

 カルメン・マキも『戦争は知らない』を歌ってるとは知りませんでした。ウェブはありがたいね。
 歌としては沁みるけど、フォークルみたいな展開力と切迫感はないな。

 ベタながら『何のために』もたまりません。日々、無意味な闘いのみに明け暮れているあたしは、想わず知らずついつい口の端にのぼっていたりします。


4. 何のために- ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 hoochicoochiuploader

 『青年は荒野をめざす』が好きなんて恥ずかしくてこれまで誰にも云ったことがありません。五木寛之作詞の歌が好きなんて公言する日が訪れることになろうとは。


青年は荒野をめざす / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 こういう硬派のものばかりではなくて、『コブのない駱駝』とかもなんかいいんですよ。あのねのねみたいなのに、こういう曲だとなにやらとっても深いような気もしてくる。


8. コブのない駱駝 – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 folkuploader

 『花のかおりに』って反戦歌だったのか。云われてみれば、こっちのほうが『花はどこへ行った』に近いか。


花のかおりに / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 『オーブル街』みたいな不思議な歌もあった。


オーブル街 / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 『僕のそばにおいでよ』とか、ようするにフォークルならなんでもいいんですな。なんで笑ってるかよく判らない女の子たちの笑い声までいい。


14. 僕のそばにおいでよ – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk… 投稿者 folkuploader

 あたしの世代は『帰って来たヨッパライ』は聴かされ過ぎてうんざりしてて何十年も聴いてないのに懐かしくはなくて、『さすらいのヨッパライ』のほうがよかったりします。ちょうどあたしの世代が生まれる前はメロン並の超高級品だったのに輸入解禁されて怒濤の如く安くなったからと小学生までにバナナを死ぬほど口に詰め込まれて中学生からこっち、見るのも嫌で3本くらいしか食べたことがないのと同じです。って、これはあたしだけなのか。
 「ヘヴンの沙汰もマネー次第やでぇ。きばりやー」というのがたまりませんです。淀川さんの解説はどの作品に対しても的確なものだったのですな。


6. さすらいのヨッパライ – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk… 投稿者 folkuploader

 『あの素晴しい愛をもう一度』はいろいろ上がってるけど、これに添えられてるレコードジャケットの裏書に載ってたという北山修の言葉もその後のことを知ってる我々としてはなかなか感慨深いものがあります。


加藤和彦&北山修・・・あの素晴しい愛をもう一度… 投稿者 Lemanco12424

 いまは『悲しくてやりきれない』があちこちで流れてるから外すつもりだったけど、あとあと自分が聴くためにこんなずらずら並べるようなことをしているのだから、やっぱり入れておこ。


悲しくてやりきれない / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 解散コンサートのライヴ盤なんてのが発掘されて出ていたなんてまったく知りませんでした。いろんなことがきっかけとなっていろいろ識ることになるな。
 坂崎幸之助と再結成とかやってたのは知ってたけど聴かないようにしてたから、そっちのほうと混同してたのかもしれん。売り切れてるけど、買えるようになったら聴いてみるか。

 

   


2007/12/17  10周年に逃げられた

 今年の12/1は絶望書店開店10周年だというのに、私が店をさぼって遊びほうけていたために絶子に逃げられてしまいまして、絶望しちゃったわ書店を開けなくなってしまいました。
 毎年恒例の行事を楽しみにしていただいていた奇特な方もいたみたいで、どうなっておるのかというメールをいただいたりもしたのですが、まことに恐縮です。
 売上げも落ち込む一方で愛想を盡かされるのもやむを得ません。
 いっきょに挽回すべく、前人未到の10周年記念正札10倍セールというのを開催する予定だったのですが、この人類世界経済史上誰もやったことのなき画期的な目論見がどうも最後のひと押しとなったようで、絶子はひとことも発せずに去ってゆきました。
 これもまた絶望書店10周年にふさわしき顛末であるかとも存じますが、これからもみなさま方のより一層のご愛顧を切に希う次第であります。


2007/11/14  ウェブ考察のためにもっとも重要な本

 いま出ている週刊文春で宮崎哲弥が『戦前の少年犯罪』のことを「画期的な少年犯罪本」というような感じで結構大きく取り上げてるのを見て、前回の戦後もっとも重要な本では一番肝心なことを書き落としていたと云うか、はっきり書いてなかったなと想って、くどいですが念押ししておきます。
 『戦前の少年犯罪』というのは少年犯罪の本ではないのです。
 このあたりのことは管賀江留郎氏もあとがきで明確に云っていますが、少年犯罪というのはたんなるひとつのサンプルとして取り上げているだけで、これは情報の流れ方、メディアというもののありかたを実証的に提示したものなんですな。
 管賀江留郎氏自身も自分は少年犯罪にまったく興味はないと云い切っているくらいで、これは少年犯罪に興味のない人こそ読むべき本です。

 なんか、この本の評価として、よくぞここまで調べたみたいなのが多いみたいなんですが、こんなのを調べるのは簡単なんです。あとがきに、中学生程度の学力があれば一ヶ月でできると書かれていますが、学者なりジャーナリストなりのプロなら半月でできるでしょう。できないならプロとは云えません。チームを組めば3日でなんとかなるでしょう。
 だいたい、戦前の東京朝日や読売はすでにパソコンで簡単に検索することができるようにデータベース化されているんですから。大学とか新聞社、テレビ局内なら無料でいくらでも使えるようになっているわけで。
 あの本ではこういう全国紙だけではなく数多くの地方紙の記事も集めていますし、また管賀江留郎氏は大学ともメディア企業とも無縁ですからこの手の記事データベースをいつでも気軽に使えるという立場ではないので多少の手間は掛かっていますが、それでもまあ大したことはない。
 数多くの記事を短いひとつの文章にまとめるのは大変な手間がかかっていて、少年犯罪データベースのデータ作成には多くの方々が参加してみなさん血反吐を吐きながら全員が脱落してゆきましたが、調べるだけならほいほい簡単に済みます。新聞なんかを読むだけなんですから。

 問題はこんなに簡単なことをこれまで誰もやらずに根拠のないデタラメ情報がえんえんと流れていたということで、これは既成の学者やテレビや新聞だけの問題ではないのです。なんせ、そこらの大学生だって、大学図書館に行けば戦前の記事データベースや戦前の裁判判例なんかは無料で好きなだけ検索できるようになっているんですから。戦後ももちろん。
 こういう基本的なことをやらずに、既成メディアが流している根拠のないデタラメ情報をそのまま受け取って根拠のないデタラメ考察を加えたりしてノイズを増幅する作用に加担している。既成メディアが流している情報を否定しているような人もこういう基本的なことをやらずに反対しているだけですから、イメージによる根拠のない情報を流すという点ではまったく同じです。
 結局のところ、おまえらはSONY以下なのか?で述べたような、ウェブ住民のメディアの結節点としての品質の問題に帰結するのです。
 たとえば、小飼弾氏みたいな人には、管賀江留郎氏もそういう点をこそ読み取ってもらいたかったんだろうなと想われます。
 まあ、たしかにたんなるサンプルのひとつとしては少年犯罪データは衝撃的過ぎて、それ以外の部分もおもしろ過ぎるという嫌いはあるのですが、おもしろさの部分はともかく少年犯罪データが衝撃的に感じるのはウェブ住民がこれまでまともな性能を発揮してこなかった証左でもありますので。
 本来ならウェブ上でデータベースを展開しているだけで充分だったはずなんですが、なんでわざわざ本になんかしないといけなかったのか、管賀江留郎氏はウェブの限界を感じてけっこう愚痴ってますので、ウェブ住民のみなさんはそのあたりのところを、ウェブメディアの部品のひとつとして読み取っていただければと想います。日本のウェブの問題点とはいったいなんであるのかと。
 これから書評もぼつぼつ出てくるでしょうけど、ここまで踏み込んだものがはたしてどれほどあるものやら。

 


2007/10/31  おまえらはSONY以下なのか?

 1年近くの懸案事項が一段落してウェブなんぞを見ていたら、ソニー、「Connect」ミュージックストアを閉鎖なんてニュースが目に入った。
 えらいあっさりやめるな、意地でもやり続けると思ってたのにとよく見てみたら、来年の3月以降か。あの失敗振りから考えれば十二分に気の長い話ではある。
 ひさしぶりにソニーへの興味が沸いていろいろ見て回ってたら、CNETにCONNECTプロジェクトがソニー復権の切り札にならなかったわけなんて背景解説記事が1年以上前に出ていたことに気づいた。この頃にはすでにソニーネタはお腹いっぱいであたしも飽きてて読んでなかったのだな。
 これを読むと、絶望書店日記の2005/11/24  Sonyを讃えよ!いや、まじに。で取り上げた2ちゃんスレ【特命】ソニーコネクトカンパニーを語ろう【匿名】の内部告発は極めて正確にすべてを余すことなく語っていたことがよく判る。
 問題はこれだけ正確な情報が事前に出ているのに、この点を掘り下げた記事がアメリカの記者が書いたものの翻訳しかないということだ。これはソフト開発の失敗の話ではなくて、その目も当てられない失敗作が誰にも留められることなく市場に出てしまったというより深刻な異常事態の話なので、市場に出すことに断固反対した米国ソニーではなく日本の問題であるはずなのにである。しかも、このCNETの記事なんかよりも遥かに本質を突いた現場の証言が半年以上前に出ているにもかかわらずである。
 これはスポンサー云々とかではなく、日本のジャーナリズムのレベルの低さを如実に顕しているとしか云いようがない。あのスレで告発した中の人を、本人でなくとも開発部隊の人はどうせ全員同じ不満を抱えていただろうから匿名ならいくらでもぶちまけてくれるだろうに、取材して記事にしようという者がどうしてひとりもいないのか。

 2ちゃんスレの告発のずっとあとに出た『技術空洞』ではCONNECT Playerの失敗についても大きく扱われているが通り一遍のことしか書かれてないし、最近出た『プレステ3はなぜ失敗したのか?』でもウォークマンの失敗について一章割いているのでそこだけ読んでみるとこのCNETの記事をまとめただけの代物で、どうせひとさまの記事をそのまままとめるだけなら2ちゃんスレの告発をまとめたほうが幾分かでも面白味も出ようというものだろうに識らなかったんだろうか。

 こういう既成の出版界の書き手にはすでになんの期待もしてないのでどうでもいいんだが、ウェブの世界でもあのスレをまとめているサイトはおろか、ブログで触れている者さえ10人もいないのではないか。これはいったいどういうことなのか。
これだけソニーの凋落が話題になっているというのに、ここまで高度な内容で驚くべき実態を暴いている内部告発に注目しないというのは、ウェブ住人のレベルの低さを如実に顕しているとしか云いようがない。
 開発の最中にあんな告発を中の人がしたのは、こんな莫迦げた開発はとっとと中止になってほしい、少なくとも世に出ることだけは留めてもらいたいという一縷の望みがあったんでしょう。あのスレがウェブ上で話題になっていれば、あるいは留められたかもしれんが、まったく識られることさえなかった。あそこまで克明に自分のいる世界の恥をさらすことに踏み切らざるを得なかった中の人の悲痛な想いを受け留められなかった。あそこまで克明に内部事情をさらすことはかなりの危険を伴う行動だと当然自覚していたのだろうが、ウェブはその決死の覚悟を見殺しにした。
 CNETの記事には多くの者がはてブを付けているのに、遥かに重大な2ちゃんスレにはひとりもブックマークをしていないというのは、アメリカさんの記事を翻訳しているだけでこと足れりとしている既成のメディアとなにもかわらんということだ。
 いや、べつに勇気ある中の人のために立ち上がれとか、正義のために真実を暴けとか云っているのではなくて、単純にこれだけおもしろい情報に喰い付いて増幅する作用がないのでは、メディアとして、情報の結節点のひとつとして、ウェブ住民のひとりひとりに根本的な欠陥があるのではないかと云っておるのだ。
 CONNECT Playerというのは素人がひと目見ただけで使い物にならないと判断できる明確な欠陥品で、とにもかくにも製品としてはきちんと動いて100万台以上売って<失敗作>と云われているプレステ3とはレベルの違う正眞正銘のゴミであって、まあソフト開発の失敗というのはありうるとしても、それを市場に出してわざわざ致命傷を自ら負ってさらに大変な修復作業に追われることを誰にも留められなかったというのはソニーが根本から腐り切っていることの証左ではあろうが、それを笑いものにしているウェブ住民ははたしてどれほどのものなのか。ソニー製品以上に品質に致命的欠陥があるのではないだろうか。

 CONNECT Playerというのはなかなか味わい深い名前で、情報の結節点のひとつとしてのウェブ住民のひとりひとりのことを指してもいいような命名ではあるが、ソニーのぶざまさ加減を嘲笑ってるような人は、ちょっとは我が身を省みて考えてみたほうがいいのはないかと想う。
 ウェブの新しい仕組みについて云々するのも結構だが、ひとりひとりのCONNECT Playerの嗅覚がやはり一番肝心な機能ではある。いや、マジな話、これからウェブ住人のことをCONNECT Playerと呼ぶことを提唱します。ひとりひとりがメディアであって、情報を増幅して流すための重要な部品であることを自覚するために。
 とりえず、あの告発スレはサルベージして、いつでも読めるように誰かしておいてくださいよ。あれほど重要な情報が埋もれていていいはずがないでしょうが。



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