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絶望書店主人推薦本
 
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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2007/12/31  高山宏が川上未映子を語る

 絶望書店日記は、ひとさまが書くようなことは面倒なので書かないという方針でやってきておりまして、芥川賞候補になってから川上未映子も世間に注目されるようになって、あたし風情がわざわざ取り上げることもないだろう、もうあとはたとえノーベル賞を取ったとしても川上未映子賞が世界最高の芸術賞として制定されたとしても二度と再び未映子については書くまいと硬く心に誓っておったのですが、あっさりと書かねばならぬ事態が生じてしまいました。
 なにかというと、高山宏が未映子をべた褒めという事態です。高山宏が現代日本の作家を誉めてるだけでも意外の感に撃たれたのですが、まあ一時期はカヒミ・カリィなんかに入れあげてたりしていたこともあるらしいからそんなような流れであるかなとも想うのではありますが、問題はここの下のほうにある坪内逍遙大賞奨励賞の銓衡理由でありまして、これが高山宏の文章であることの裏が取れましたので皆様方にご報告しておかねばならぬとかように存じました次第であります。
 つーか、だいぶ前に裏は取っていたのですが、なんでほかの誰もきちんとウェブ上で記録を残しておかんかね。あの授賞式に出席した人は識ってるはずだし、村上春樹については緘口令が敷かれたらしいけど、こっちのほうは問題ないはずなのに。緘口令にも関わらず授賞式のことをミクシィあたりで書いてる者も結構いるというのに、肝心なことを記していない。こういうことは情報の結節点のひとつとして、きちんと報告してくれんと困るよ。
 先日出たフリーペーパーのほうの早稲田文学で記述があるだろうと想っていたら、表紙は未映子なのに逍遥賞についてなんも書いてないではないの。この雑誌にとっても寿ぐべきことのはずなんだろうに。これでしかたなくあたしがまた書くことになりました。
 ひとりだけ2ちゃんに書き込んだ者がいるけど、2ちゃんのななしの一言だけの短い書き込みよりは、この絶望書店主人の云うことのほうがいくらかは信憑性もあることでしょう。

 たんに高山宏が未映子を絶賛しているだけならこのあとに高山宏の読んで生き、書いて死ぬでもやってることだから、ことさら逍遥賞のあの文章にこだわることもないのだけど、唯一逍遥賞のほうにしかないのがラブレーの話で、絶望書店日記の前回の川上未映子なんて剣玉でラブレーについて記したけど、ほかにも未映子とラブレーを結び附ける者がこの世にいるとは想ってもみなかったので、これにはたいそう驚いた。
 この時には「町田康というのは古今の文学史のなかでもあれほど破綻のない展開と均質な文章を駆使する作家は他に例がないのでないか」と云ってるけど、考えてみれば渡辺一夫・翻訳のラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』もまさしくそれであって、云い廻しが難解だとか駄洒落のレベルがどうとかいうことではなく、平板で一本調子だから読んでも読んでもいっこうに面白くなってこないのだった。あの味気なさは町田康と双璧だ。こんなのが文学史上にふたりもいるなんて改めて驚いた。
 この際、未映子にラブレーの翻訳をやらせてみたらおもろくなるんではないかと、高山も掲げている未映子日記の「フラニーとゾーイーでんがな」を読んでいて想う。ガルガンチュアみたいな話は文章に抑揚がなければどうしようもない。
 ラブレーの原語もあんなに味気なく平板なんですかねえ。他の人が訳した『ガルガンチュアとパンタグリュエル』なんてのが出ていることにいま初めて気づいたけど、これでも読んでみますか。未映子に翻訳やらせるほどのガッツのある編集者はおらんかね。

 未映子のほうは『わたくし率 イン 歯ー、または世界』と、次の芥川賞候補になるであろう『乳と卵』のような一見判りやすいがゆえに極めて判りにくい作品が続いたけど、ようやく『先端で、さすわさされるわそらええわ』が本になって、この極めて難解であるゆえに判りやすい一連の驚愕作品群によって未だ懐疑的だった諸氏にも未映子の力量が正しく広まることになるでしょう。絶望書店主人の数年間に渡ったくどい未映子キャンペーンもここでようやく安らかなる終焉を迎えることができるわけです。絶望書店主人のあまりの正しさにはもう註釋が必要なくなった。
 しかし、この新しい本のカバーはせっかくの目立つはずの表紙絵を見難くしているうえに、一番肝心な絶妙のタイトルまで読み難くしていて、どうも心底心穏やかとは云えんところがなんともはやでもあるのですが。そもそもの最初からもっと判りやすく出ていればあたしも苦労することもなかったのに。ってべつにあたしがなにをやったというわけでもないんですが、最後だから想ったりして。