絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2000/11/17  <ファウンデーション>の三段階

 ちと断っておくと、当方は取次が嫌いでも再販制反対派でもない。本とは何ぞ?!の最終章で述べたごとくに、もともと本というのは本屋以外の場が中心で、取次や再販制などというのはローカルな話に過ぎず、本物の本の世界とはまったく関係がなく興味もない。最終章だけではなく、「本とは何ぞ」は最初からそういうことが云いたかったのでした。(己の文章を解説する愚。二重の愚か。三重の愚になりそうな気もする)

 さて、そんなローカルではない本の本質的な話として、当方は<読書系サイトのファウンデーション>というものを三段階として考えている。
 前提として<ファウンデーション>とは確固とした組織ではなく、<出版界>や<同人界>などのような本を生むための大雑把な<場>として想い浮かべていただけるとありがたい。

第一段階 書評
 もともとの発想は企業が読書系サイトの中心となるのはおもしろくないという、単純な考えから来ている。当初はアマゾンを仮想敵として考えていたのだが、どうも相手が違ってきたような気もする。
 こんな子供っぽい反発心だけではなく、企業系書評には実質的な問題がある。分割化されて企業を越えて互いに連繋することがないし、例えば新刊だけとかの制約がどうしても出てくる。
 話は飛ぶようだが、本物の作品より面白い伊藤典夫のあらすじ紹介を若い者が手軽に読む機会がなくなったことが、SF衰退の一番の原因ではないかと当方は真面目に考えている。どこかにまとめて置かれているだけではマニアしか読まずに駄目で、ライトノベルの書評などと一緒に並んでいないと意味はない。
 他のジャンルも昔のすぐれた書評が日の目を見ずに大量に眠っており、これらを掘り起こして網羅的にいまの若い者が読む機会をもたらすには、非営利のファンサイトのほうが向いている。
 初心者も手軽に書評を公開できて、古典について識る機会も得る<場>、つまり、読者育成の<場>として第一段階はある。
 まあ、こんな小難しいことを考えずとも、単純に帝国VS義勇軍の戦争ごっことしておもしろいと想うんですが、そうでもないですかね。どうせ本についてのサイトなんかをやるなら、なんかいろいろ張り合いがあったほうがよろしくはないですかね。

第二段階 書店
 これについては唯一の新刊書店、その誕生と終焉を読んでいただきたいが、当方はじつはこんな中央管理型ではなく、分散型のほうがいいと考えている。つまり、ほんとにいまの個人の書評サイトから出版社にリンクを張るだけ。これならサーバも必要ないし、手間も掛からない。角川春樹さんなんか話に乗りそうな気もいたしますが、どんなもんでしょうか。
 ひつじ書房の特許がこんな個人の活動まで縛るとしたら、逆に大したもんですが。

 本の発送なんて大変なことを出版社はやっていられないと云う方がいます。ひょっとすると、本の発送で三年間苦労してきたこの絶望書店に本の発送の大変さをご教示していただいたのかも知れませんが、さすがにこれはあたくしの気のせいでありましょう。
 こういうことを云う方は、弱小出版社がいかに日銭を欲しているかがお判りでないんでしょう。版元ドットコムのごとき面倒なことを出版社が始めた意味をもう一度考えてみる必要があります。書籍流通がまともに機能しているのなら、送料無料にしてまであんなことはやらないでしょう。
 もともと本物の書店でさえ大して売れていない本が<ファウンデーション>を介したとしても爆発的に売れるわけはないですから、心配は杞憂です。もし、売れるようなことがあれば日銭が入るわけですから、アルバイトでも雇えば済む話ですし。
 当方は主に、在庫のすべてを発送するとしても大した数ではない危機的な弱小出版社(全体の半分ほど)を想定していますが、大手ならなおさら何とかします。数量が見込めるのならクロネコが請け負うでしょうし。
 なんにせよ、発送の大変さなどというのは本質的な話ではない。

 数年後にオンラインの新刊書店はこういうデータだけを扱う処だけとなって、現在ある店はすべて消えてしまうんではないかと当方は考えている。紀伊國屋などのリアル書店があくまで顧客サービスとして採算度外視で続けるかも知れんが。
 現物の本を扱っていては採算が取り難いということもあるが、それ以前にウェブでは大規模システムを元にした小売業は無理があるのでないかと考える。アメリカでは証明されたようでもあるし、いまのところ日本でもそうなっている。アマゾンが何か方法を考えているのかも知れないが。
 いずれにせよ、基本的に小さな安上がりのシステムのほうが有利と考えていたほうがよい。ひつじ書房の特許も中央管理型の大規模システムを想定しているのなら、コスト的にかなり無理があるのではないかと想像する。<ファウンデーション>の付け入るスキがここにある。
 なお、当方は新刊にはまったく興味を失っており、これは出版社や本を支援しろという話ではない。その収益や読者同士のネットワーク強化することにより、<他者>を排した本物の出版を行う基盤を創っておかなければならぬということだ。あくまで、<ファウンデーション>建設が中心の話だ。

第三段階 出版
 収益と云っても中央にプールされるわけではない。書評を書いた個人に蓄積されるわけだ。本を観る眼があって、その本を人に買わせる能力がある者に、理論的にはより多くの基金ができることになる。それを元に出版してしまえという話である。もちろん、こんな収益を元にせずとも、自分のこずかいでやってもいい。
 読みたい本が明確な者は出版社などに頼っているより、自分で出してしまったほうが手っ取り早い。シリーズ物が途絶えた場合などを想定すると判りやすいが。
 ひとりで出版して上記の書店システムで売ってもいいし、広く仲間を集めて、ひとり10冊づつ買い取りにしてもよい。いらない9冊は個々がウェブで売ってもいいし、近所の本屋(魚屋でも花屋でも構わない)に営業して置いてもらってもいい。気長に何年も掛けて在庫を捌いてゆけばよい。同人活動とやることは変わりない。自分の書きたい本ではなく、読みたい本を出版するだけの違いだ。うちわの自己満足に終わってもいい。妙なマーケティングをもとにした、誰ひとり満足させない本が大量に煽れている現状よりは。
 コミケでこんな動きが出てくるのではないかとも考えていたが、通常の出版とは違う異世界だというプライドがあくまで強く、流通ルートも一般の本とは明確に違う。電子出版の世界が幾分近いが、これは相変わらず電子である必然がなく、生命線である<場>も形成されていない。<ファウンデーション>の第一、第二段階はまさしくこの<場>の形成のためのものなのである。つまり、通常の本の読者と流通ルートを確保しておくことだ。
 いまあるオンライン新刊書店が生き残って理想の姿になったとしても、この<他者>を排した本物の出版物を流通させる場とはならない。無理に乗せたとしても埋沒するだけである。当方がオンライン新刊書店など当てにするなというのはこの点にある。
 ここはのちのちの<ファウンデーション>史の試験に必ず出るポイントだから、よーく頭に叩き込んでおくように!君たちのようにいまの書籍流通やらウェブ販売をどうしようかなんてとこから考えるから、肝心なことが判らなくなるんだ!逆から解くんだよ!!逆から!!
 問題なのはあくまで<他者>を排した本物の出版で、そのために<ファウンデーション>が必要で、そのために書店もやってしまえという話なんだ!!!!いまあるオンライン新刊書店がどんな姿になろうが、歴史には何にも役に立たんのだ!!!!倒産したら何にも残らんのだ!!!!

 この先、ベストセラーを出す大手出版社とほんとの個人経営の出版社しか残らないとはよく云われる。これは大いに結構なことだ。もともと本とはオープンソース・・・とはちと違うか?バザールとか云ったほうがよろしいか?なにやらそんなような方式で出版するのが本来の姿だ。どうせ儲からない個人経営なんて欺瞞もやめて、最初から非営利の個人が集まってやってしまえばよいのだ。
 作家が印税なんかで暮らすようになったのはつい最近で、それまではパトロンに養われてたりした。とくに日本の場合はひとりの富豪ではなく、大勢の庶民のネットワークで支えてたりした。もともとの正しい姿に戻るだけだ。いや、印税だとか出版社だとかいうのはそういう姿のちょっと変わった亜種だっただけのことに過ぎぬ。
 好むと好まざるとに関わらず、多くの作家はこういう<場>を基盤にしないと本を出せなくなる。そのための<ファウンデーション>だ。

 そうなると、当方なぞも心ときめかせる本物の本が出てくるやも知れず、それさえあれば、あとのことはもうどうなろうともいい。いや、出てくるかも知れないという一条の光さえ射し込めば、それでいいのだ。
 そして、そこで初めて、<第二ファウンデーション>による真の革命に向けた四段階目の暗躍が・・・・・


2000/11/10  <幻22号>の遺言

 先週キッズステーションで『新 忍者部隊月光』をぽおおと眺めていたら、いきなり幻仮面の妹<幻22号>として菊容子が登場し、あたしはただただ驚駭するよりほかに為す術を識らなかった。
 菊容子のサイトはわりとあるのだが、どこにも<幻22号>のデータがない。後篇が放映されたおとついからさすがにレポートがぼちぼち出てるが、事前に教えてくれんと役に立たん。たまたま観てたから、天下の大事に遅れを取ることだけは免れたが。(先週の前篇は菊容子の登場シーンだけ観て、呆気にとられているうちにビデオは録り損なってしまいましたが)
 『忍者部隊月光』なんてメジャーな作品さえデータが整備されていないようでは、やることはまだまだありますな。もっとも、全130話の最終回に近いこのあたりまで再放送をやったことは幾度もあることではなく、しょうがないことでもありましょうが。

 詳細は禁断のハイブリッドマニアックにこれ以上はない報告があるので、観てください。いや、観ろ!1966年だから、菊容子さん16歳か。一緒に映っている綺麗なお姉さんは忍者部隊の銀月です。
 黒尽くめの衣裳で、他にも持っていた武器を何故か使わずにあくまで薔薇だけで闘いぬき、美しく散っていった菊容子さんの姿にはこの絶望書店主人、格別に湧き上がる感慨があった。忍者部隊に倒されし幻仮面のカタキをとらんと果敢にも立ち向かっていったあなたは、きっとまぼろしのために現実と闘えと絶望書店に告げるためこの日に甦ったのでありましょう。

 放映日にはさっそく「菊容子 幻22号」で検索して当店まで辿り着いた方がおりましたが、何のおもてなしもできずに失礼いたしました。菊容子さんについては黒い薔薇の刻印のページと、女子供の棚をご覧ください。

 『忍者部隊月光』をきちんと観るのはじつは今回が初めてで、昔から識っている方にはいまごろ何を云っとるかとお叱りを受けそうですが、じつにあらゆる意味でお洒落な作品ですな。あけぼの機関と幻同盟の戦いというネーミングだけでも、いや、禁断のハイブリッドマニアックの画像を観れば一目瞭然でもありましょうが。


2000/11/6  二階堂有希子だったのか!!!?

 スガルって二階堂有希子だったのか!!!?スガルは子供の時から気になる女性だったのに、30年間つゆとも気づかなかったよ。
 うーん、スガル系のきりっとした大人の女の声は昔から聞き覚えがあるが、云われてから聞き比べてみても峰不二子系コケティッシュ声と同一人物だとはとても想えん。見事なもんだ。ジェイコム君のおかげでいろんなことが判るな。
 ウェブを見渡しても二階堂有希子のまとまった情報はないので、スガル判明と御生誕ウン十周年を記念して、今日からここが世界一の二階堂有希子ページとなります。すいません、大口叩きました。全部ウェブから勝手に集めた情報です。アニメ雑誌などにこれより詳しい記事があれば、教えてください。
 
 まずはお誕生日。池田昌子ってひとつ歳上なのか。増山江威子は四つ上であんな声が出るというのは、やっぱり声優ってのは大したもんだね。

 いまでも観ることができる吹き替え映画はヒッチコックの『マーニー』『鳥』、ジョン・ウェインの『アラスカ魂』、マリリン・モンローの『ナイアガラ』、『サイレンサー/破壊部隊』くらいですか。『ペチコート作戦』なんかやったとしても半端な時間にひっそりとだろうから、確実に見逃しますな。
 テレビドラマの吹き替えでは『宇宙大作戦』の23話『コンピューター戦争』、31話『華麗なる変身』なんてのをやってるのですな。うーん、識らなかった。
 『パトカー★アダム30』の第5話『猟奇!美人ダンサーを狙う連続殺人鬼』(日本での放映1982)なんてわりと最近のドラマもやってる。ひょっとして、まだ現役なんでしょうか。やっぱり美人ダンサー役なんでしょうか。
 
 二階堂有希子はもともと女優として大活躍していた人で、1962年に中谷昇主演の明智小五郎ドラマ『月と手袋』に出てる!!これ観たいぞ!!いや、中谷昇だけでも観たい!!・・・ってNHKじゃん。駄目じゃん。
 何故いつもあたしの前に立ち塞がるかNHKよ!!!そんなにあたしが憎いか!!?そうか、それなら存分に憎むがよい!!!憎め!!!憎め!!!もっと憎め!!!だが、あたしはそれ以上の豐饒なる愛の力でおまえを包み込んでやるさ!!!!!
 演出は辻真先か。うぬぬ。それにしてもこの明智小五郎ページはすごいな。どうやって調べたんだろ。
 1961年には実相寺昭雄が演出助手をやってる『新選組始末記』に出てる。これはTBSだから残ってるだろう。金子信雄の芹沢鴨なんて観てみたいな。チャンネルNECOあたりでやってくれんかな。おっ!放送ライブラリーで検索するとあるではないの。横浜まで行ってみますか。二階堂有希子が出ている回かどうか、どなたか報告してください。なんでも、それまでの新選組観を変えた新選組マニア必見の作品だそうです。
 『新・細うで繁盛記』にも出てるのか。そうか、この表を観ると82年に『母をたずねて三千里』のスペシャルがあって一時復帰しましたかな。
 映画では『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』に出てるらしいんですが、なんで特撮者の言及がないかね。『いまに見ておれ』の時も感じたけど、特撮者というのはじつは大したことないのではないですか。それとも、あたしの識らないもっと深い処に潛伏してたりするのでしょうか。

 アニメは『カムイ外伝』のスガルと、『母をたずねて三千里』のマルコのお母さん、『100万年地球の旅 バンダーブック』のクドー夫人、峰不二子くらいしかないのですな。大人の女の役処がまだ無い頃に引退してしまったと云うことなんでしょう。すべては柳生博の陰謀です。
 現在は柳生博が経営している清里の八ヶ岳倶楽部という店にいるそうなんですが、この人はなんと今年の夏、訪ねて行ってサインをもらってる!!しかも最初の『ルパン三世』を観てないらしい!!世の中どーなっとるの。木の葉が沈んで石泳ぐの?もっとも、現在のご尊顔というかご尊声に拝する勇気があたしにはとてもないので、世の中これで正しいのかも知れぬ。じつはこの店のレポートはウェブ上にいくつもあり、奧さんに言及しているのもあるが、それが二階堂有希子だと認識しているのは世界中でこの人ひとりだけだし。
 それにしても、ウェブを廻ると最初のやつを観てないと云う人があまりにも多いですな。ビデオ屋にあるんだから観ましょう。
 それ以上に峰不二子は二階堂有希子より絶対増山江威子と云い切る諸氏が極めて少数ながらもいて、あたしは心底驚きました。まさかこんなことを云う人がこの世にいるとは夢にも想いませんでした。逆に偉いと想いました。
 『LUPIN THE BOX -TV&the Movie-』で観ることのできるパイロット版ではじつは増山江威子だったんですがね。クリカンにやらせるくらいなら野沢那智のほうがいいと想いますよ。

 さてさて、話はここからですよ。じつは『いまに見ておれ』の最終回に、青島幸男の息子の恋人役で、なんと!24歳の二階堂有希子が出てくるのです!!ちょうどここにあるようなことを調べていて頭の中が二階堂有希子で一杯だった頃でしたから、あたしはひっくり返りましたよ。とうとう、ほんとに幻覚が観えるようになったかと想いました。
 なんせ、セスナで飛びながらのキスシーン(もちろんセスナは迷走飛行ですよ)や、プールサイドで水着でゴーゴーダンスなど、峰不二子爆発だあぁああ!!!!!!!!!
 しかも、たんなるお色気要員ではないのです。コチコチの頑固親爺の青島幸男(有希子さんは航空会社の社長令嬢で、飛行機は鉄道の敵だと嫌ってる青島は息子がパイロットになることや彼女と交際していることに猛反対なのです)の心を機転を利かせて融かしてしまうのです。主役以外はほとんどストーリーにからまないあのドラマでは例外的に、山下毅雄の音楽をバックに大活躍だあぁああ!!!!!!!!!
 ビデオを朝夕眺めては「あああ、峰不二子とおんなじ声だあ」などということだけできゃっきゃ云って悦んでるあたくしは、なんと幸せ者でありましょうか、皆さん。

※二階堂有希子が使用していた可能性が大きい『新撰組始末記』の台本はこちら

※ルパン三世については5/8 チャーリー・コーセイ&ボビーも参照のこと。
 
 

※『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』がyoutubeにアップされてた。二階堂有希子さんも一瞬だけご尊顔を拝むことができます。


2000/10/31  唯一の新刊書店、その誕生と終焉

 ウェブ上できちんとした利益を上げることのできる新刊書店の形状は、ひとつしかあり得ない。EasySeekが古書店相手にやっているようなやり方だ。つまり注文を受け付けるだけ、決済も発送も出版社にやってもらう。現物の本には一切触れることなく、データのやり取りだけで、売上げの一割をいただくというやり方だ。
 読者はどんな本がどの出版社から出ているかははっきりとは識らず、何千もある出版社サイトをいちいち廻ってもおれない。ウェブ上の直販をやっている大手出版社サイトもほとんど売上げがない由縁である。すべての出版社のデータをまとめて客の注文を一括して受けるサイト、つまり書店があれば出版社にも利益はあり、一割程度のマージンを払う価値はある。古書店はその価値を認めてEasySeekは繁盛している。
 もっとも、ただデータをまとめて注文を取るだけなら、ヤフーなどの大手ポータルのほうが適している。やはり、書評などで売上げを上げる工夫をしないと、出版社が書店と組む意味はない。

 こんなことは誰でも想いつくことで、書評.comなどというとこが出版社に対して書評を有料で掲載すると売り込んだのも似たようなことを考えてのことであろう。しかし、書評はタダと想っている頭の固い出版社に書評を売るなどというのは、ビジネスセンスが無さ過ぎる。同じようなことをやっても&lt;書店&gt;と云えば出版社もマージンを払う意味が判るし、いままで二割ほど取っていた書店が一割となると安いという感覚も出てくる。
 また、book-map.comの電脳書店構想も似たようなシステムだが、間にわざわざ取次や従来型の書店を置いている。ただでさえ少ない流通マージンでこんなことができるわけがない。利益をきちんと上げるには、出版社と直で結ぶしか成り立たないシステムなのだ。
 しかし、そうなると取次の親会社である大手出版社は決して参加しないだろう。ほかの中小出版社も取次から睨まれるのを恐れて参加できない。取次というのは出版社にとってほんとに怖いものらしく、天皇制以上のタブーと云われるのは大袈裟ではない。
 そうなると最初から大手取次に相手にされていない、このまま座していては倒産だけが待っている弱小出版社しか参加できないことになる。しかし、これは利点でもある。
 つまり、大規模なシステムは必要なく、個人でもできる、いや小さな儲けで充分な個人の方が有利であるわけだ。サーバ1台と手作りプログラミングでなんとかなるから、失敗したとしてもリスクはほとんどない。現在書評サイトを持っている諸氏にとっては、やることは基本的に変わらない。電脳書店構想で真ん中を抜いたものをイメージすればよいが、書評から出版社のデータにリンクを張って、注文を流せるようにするだけだ。取次を介しているオンライン新刊書店にリンクを張ったりするより、ダイレクトに出版社を支援することができるわけだ。
 版元ドットコムなんて出版社がやっているおあつらえ向きのサイトがあって、ほとんど売れていないだろうから(何の根拠もない推測なので違っていたらごめん)、こんな処と組んで実績を創っていけばいい。売れたあとに一割払うのなら出版社にもリスクはないから組まんこともないだろう。実績ができれば、ほかの中小出版社も現在の売上げは最悪なので組まざる得ないようになる。出版書籍全点は取次との関係で難しいが、数冊なら問題はないはずだ。横やりが入るかも知れんが、そうなれば彼らの守る「文化」とやらがどういうものかはっきりするだろう。
 どうせ、個人が支援したい本は数点なのでこれまた都合がいい。先に儲けを考えなければならない大規模書店は数を揃えないといけない上に結局ベストセラーを前面に押し出すしかなくなり、じつは出版社にメリットはあまりない。通常では売れないような本を個人がこつこつ売る方が、出版社も組む意味もあるだろう。

 また、本とは何ぞ?!で説いた読書系サイトの&lt;ファウンデーション&gt;建設にもつながることになる。電脳書店構想のように公的なシステムなどに任せるとロクなことにならんので、身軽な個人が集まってやるに限る。大儲けにならずとも、好きな本をほんとの意味で支援できて、書評がデータベース化されて読めるようになって、取次を排除して出版社の実入りがよくなって、ついでに本を読むことだけで食べていけるのならみんなに取っていいこと尽くめだ。
 絶望書店がやってもよさそうなものだが、当方が心ときめかせる新刊はこの数年一冊も出てこないので不可能なのです。商売だけで本を誉め称えるほどの器量は絶望書店主人には備わっていないのです。ぜひにも皆様方の手で・・・。

 ・・・てなことをこの絶望書店日記でゆるゆると説いてゆくつもりであったのだが、日記をはじめる前日、まさにその日にアップされたひつじ書房の10月4日の日誌を見たら、この手のシステムのビジネスモデル特許を出願したと書いてある!うぬぬぬぬ。
 いや、この人は昔からこういうことを提唱していたので、そのこと自体はいい。しかし、NTTと共同出願だとおおお?!!!!正気かあああ?!!!!!!
 ようやく大手取次の魔手から逃れる道が開けてきたというに、今度はあの膨大な数の社員に無駄飯喰わせるための金を出版界から搾り取るつもりかい?!!ウェブ上の書籍流通の支配権を握らせるだけでなく、読書系サイトさえ仕切らせるつもりなのか?!!だいたい、小難しい技術も大規模システムも不要どころか、逆に足枷になるはずなのに、なんでわざわざ共同で?!!
 あたしは新刊にはもう完全に見切りを付けているのでどうでもいいのだが、これは古書販売やコミケにも影響するような特許じゃあるまいな?!!
 なんにせよ、よりにもよって世界一コストが高くて動きの鈍い企業と組むとは・・・。NTTとなるともっと最悪のシナリオも浮かぶのだが、あまりに恐ろしくて深く考えたくない。
 これを識ったときにはさすがの絶望書店主人も眼の前が真っ暗になり、頭がくらくらしてきた。
 このシステムの命は&lt;他者&gt;を排除することにあったはずなのだが、最初から終焉を迎えたということなのであろう。

 あたしはあくまでもひつじ書房の日誌の一行の記述を読んだだけなので、まったく見当はずれのことを云っているのかも知れぬ。二週間待ってみたが、まったくどこにも話題になっておらず、それ以上の情報が出てこない。
 何故だ?!!これは再販制廃止やアマゾン上陸や盗聴法なんかより、百万倍も重大事ではないのか?!!
 詳細をご存じの方は教えてください。お願いします。


2000/10/25  <他者>の恐るべき脅威

 bk1に連載されている「無節操。」(第2回)というコラムで山形浩生がbk1に対して苦言を呈しておりまして、しばらくするとbk1編集長という方の回答が同じページに載りました。まあ、読んでみてください。
 bk1というのはなかなか愉快な方々がやっているのだろうとはあのサイトを観ただけでも感じられましたが、まさかここまでとは・・・。いや、驚きました。
 山形浩生さんは『アマゾン・ドット・コム』の解説で「優秀な人材を雇え」なんてのは当たり前で、そんなことが書かれた章なんかも読まなくていいとか云っていますが、明らかに間違っていますぞ。それが当たり前じゃないからこそ、オンライン書店の根幹に関わる欠陥を改善することを「言い出しかね」る「小心で体も弱い」方に編集長なんて重労働を押しつけたり、孫請けに丸投げか、社員だとしてもどんな人が廻されてくるか絶対に予測のしようがない富士通なんて立派な大企業に心臓部を任せたりできるんでしょう。

 bk1の問題点を富士通のせいにするような文章をときどき見掛けますが、これは見当違いもはなはだしい。富士通に限らず大手のシステム開発会社というのは依頼者からお金をいただくことが最終的な目的で、その目的を果たせるだけの仕事はきちんとやっているはずです。たとえ出資企業のひとつだったとしても、この目的は同じです。本を売ることが目標ではないし、買い物客など関係がない、ましてや、本のことを識らないなどと非難するのは筋違いにもほどがある!万が一、ウェブのことを識らないなんてことがあったとしても、まったく問題ではないのです。きちんと支払いのできる依頼者からお金をいただければ、それで目的は100%達成しているのですから。
 出資してでも先例を示しておくと、依頼者は次々やってくる。金払いのいい依頼者は先例がお好きで、その手の暢気な上になんでもいいから新しいことを始めないといけないらしい人々は無限にいますから、まことに賢い計算されたビジネスモデルなのです。べつにズルをしているわけではなく、大手に頼むような依頼者のほんとの要求は契約した段階ですべて満たしているのですから、むしろ最高のサービス会社と云えます。あとからやってくるプログラマーやシステムはオマケで、ダウンさえせずにそれらしく動けば充分なのです。

 メーカーでもなく、特色ある独自の商品を仕入れることもできない、ましてや発送は運送会社に委託するオンライン新刊書店が、唯一の仕事であるシステム構築を<他者>に任せること自体がおかしな話です。この<他者>というのはたんに外部の会社だとかそういう意味ではありません。
 山形浩生は『InterCommunication No.34』で「ネットがあるのだから、アマゾンなどのシステム開発をするプログラマーは現場にいる必要がない」とか云ってますが、これもまったく間違っています。リナックスのように自分ちのパソコン画面で結果が確かめられるソフトと、不定形の極みたる相手のある客商売のシステムは根本的に違います。どうやらこの人はサーバ管理のようなものと考えているようで、大手システム開発会社と同じ発想で客商売を捉えているようです。実際には遥かに複雑なフィードバックをつねに受け続けねばならぬ上に、それは言葉で伝わることでもなく、またそんな悠長な時間もないのです。伝わらない以前に、「言い出しかね」る現場担当者などもおりますし。
 つまり、現場にいるだけではなく、現場担当者そのものでなければならんのです。少なくともシステムがある程度確立するまでのアマゾンはそうしていましたし、観るべきものがあるサイトを持っている日本のオンライン古書店もそうしています。<他者>が介在する余地はないし、自分でやる能力のない人はやめたほうが自分のためです。人に足を引っ張られても大丈夫なくらいのすごい商品なら、なんとかなるかも知れませんが。
 山形という人は「情報技術が導入されても生産性は上がっていない」とかいうことを何故か得意気に云い廻っていて、生産効率の最大の障害である<他者>を同時に導入していることがその要因のひとつであることや、逆にユーザー自身が自分に必要なソフトを創ることがオープンソースの成功要因のひとつであることくらいはいくらなんでも判っているとは想いますが、ひょっとすると判っていないのでしょうか。
 まあ、<他者>の最たるコンサルがこういうことを判っても商売や自分の精神衛生上よろしくないだけかも知れませんが、現場の書店上がりだということが自慢で偉そうな口をきいている方々が判っていないというのはどういうことですかね(bk1編集長という方は元編集者らしいですが、ここの中枢は書店出身や取次)。バーチャル書店というのは、自分の想い通りに制約なく店創りができることが最大の利点でしょうに、ほんとの書店以上に不自由な店にしてどうするの?
 もっとも、<他者>であるコラムニストから指摘されるまであんな欠陥が判らないということは、この方々すべてが本を求める人々や本そのものにとって<他者>なのやも知れませんが。
 現実の書籍流通の問題がウェブにも引きずられているとかいう話がありますが、逆にこんな人々が関わっていたからこそ本の流通システムは歪んでしまったのではありますまいか。違いますか。

 流通だけではなく出版もいまや<他者>の論理だけが支配するようになったため、まともな本が出なくなってしまったのです。誰のためなのかよく判らない本ばかりになってしまったのです。
 本などというのは書いた者が編集して出版して売る、つまり読者の手に届けるのが本来の姿なのです。こんなことも判らない方は出版の歴史でもいちからお勉強しなさい。いまの姿が異様なのです。どう頑張っても機能するはずがないのです。
 なにもひとりでやれという話ではありません。10人で書いて編集して出版して売ってもいいのです。<他者>が介在しなければいいのです。人減らしの話をしているのではありません。たったひとりでも<他者>はすべてをぶち壊してしまえるほどの強力なる力を祕めています。本などという儚いものは、とうてい敵ではありません。
 まったく、コミケだけがまともな本と出逢える場になった由縁ではあります。ロッキング・オンなどもこんなようなやり方をしているそうなんですが。

 えーと、ウェブ店舖の話に戻りますと、勇断をもって徹底的に断行されたローテクと、処女の柔肌の透き通るが如きほどに洗練されたローコストを売りにする絶望書店なんかが、やはりなんと申しましても王道でありますですといった、かようなる結論をここに見るに到るわけです。皆樣方のさっそくの御贊同を賜り感謝いたします。



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