絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2000/11/17  <ファウンデーション>の三段階

 ちと断っておくと、当方は取次が嫌いでも再販制反対派でもない。本とは何ぞ?!の最終章で述べたごとくに、もともと本というのは本屋以外の場が中心で、取次や再販制などというのはローカルな話に過ぎず、本物の本の世界とはまったく関係がなく興味もない。最終章だけではなく、「本とは何ぞ」は最初からそういうことが云いたかったのでした。(己の文章を解説する愚。二重の愚か。三重の愚になりそうな気もする)

 さて、そんなローカルではない本の本質的な話として、当方は<読書系サイトのファウンデーション>というものを三段階として考えている。
 前提として<ファウンデーション>とは確固とした組織ではなく、<出版界>や<同人界>などのような本を生むための大雑把な<場>として想い浮かべていただけるとありがたい。

第一段階 書評
 もともとの発想は企業が読書系サイトの中心となるのはおもしろくないという、単純な考えから来ている。当初はアマゾンを仮想敵として考えていたのだが、どうも相手が違ってきたような気もする。
 こんな子供っぽい反発心だけではなく、企業系書評には実質的な問題がある。分割化されて企業を越えて互いに連繋することがないし、例えば新刊だけとかの制約がどうしても出てくる。
 話は飛ぶようだが、本物の作品より面白い伊藤典夫のあらすじ紹介を若い者が手軽に読む機会がなくなったことが、SF衰退の一番の原因ではないかと当方は真面目に考えている。どこかにまとめて置かれているだけではマニアしか読まずに駄目で、ライトノベルの書評などと一緒に並んでいないと意味はない。
 他のジャンルも昔のすぐれた書評が日の目を見ずに大量に眠っており、これらを掘り起こして網羅的にいまの若い者が読む機会をもたらすには、非営利のファンサイトのほうが向いている。
 初心者も手軽に書評を公開できて、古典について識る機会も得る<場>、つまり、読者育成の<場>として第一段階はある。
 まあ、こんな小難しいことを考えずとも、単純に帝国VS義勇軍の戦争ごっことしておもしろいと想うんですが、そうでもないですかね。どうせ本についてのサイトなんかをやるなら、なんかいろいろ張り合いがあったほうがよろしくはないですかね。

第二段階 書店
 これについては唯一の新刊書店、その誕生と終焉を読んでいただきたいが、当方はじつはこんな中央管理型ではなく、分散型のほうがいいと考えている。つまり、ほんとにいまの個人の書評サイトから出版社にリンクを張るだけ。これならサーバも必要ないし、手間も掛からない。角川春樹さんなんか話に乗りそうな気もいたしますが、どんなもんでしょうか。
 ひつじ書房の特許がこんな個人の活動まで縛るとしたら、逆に大したもんですが。

 本の発送なんて大変なことを出版社はやっていられないと云う方がいます。ひょっとすると、本の発送で三年間苦労してきたこの絶望書店に本の発送の大変さをご教示していただいたのかも知れませんが、さすがにこれはあたくしの気のせいでありましょう。
 こういうことを云う方は、弱小出版社がいかに日銭を欲しているかがお判りでないんでしょう。版元ドットコムのごとき面倒なことを出版社が始めた意味をもう一度考えてみる必要があります。書籍流通がまともに機能しているのなら、送料無料にしてまであんなことはやらないでしょう。
 もともと本物の書店でさえ大して売れていない本が<ファウンデーション>を介したとしても爆発的に売れるわけはないですから、心配は杞憂です。もし、売れるようなことがあれば日銭が入るわけですから、アルバイトでも雇えば済む話ですし。
 当方は主に、在庫のすべてを発送するとしても大した数ではない危機的な弱小出版社(全体の半分ほど)を想定していますが、大手ならなおさら何とかします。数量が見込めるのならクロネコが請け負うでしょうし。
 なんにせよ、発送の大変さなどというのは本質的な話ではない。

 数年後にオンラインの新刊書店はこういうデータだけを扱う処だけとなって、現在ある店はすべて消えてしまうんではないかと当方は考えている。紀伊國屋などのリアル書店があくまで顧客サービスとして採算度外視で続けるかも知れんが。
 現物の本を扱っていては採算が取り難いということもあるが、それ以前にウェブでは大規模システムを元にした小売業は無理があるのでないかと考える。アメリカでは証明されたようでもあるし、いまのところ日本でもそうなっている。アマゾンが何か方法を考えているのかも知れないが。
 いずれにせよ、基本的に小さな安上がりのシステムのほうが有利と考えていたほうがよい。ひつじ書房の特許も中央管理型の大規模システムを想定しているのなら、コスト的にかなり無理があるのではないかと想像する。<ファウンデーション>の付け入るスキがここにある。
 なお、当方は新刊にはまったく興味を失っており、これは出版社や本を支援しろという話ではない。その収益や読者同士のネットワーク強化することにより、<他者>を排した本物の出版を行う基盤を創っておかなければならぬということだ。あくまで、<ファウンデーション>建設が中心の話だ。

第三段階 出版
 収益と云っても中央にプールされるわけではない。書評を書いた個人に蓄積されるわけだ。本を観る眼があって、その本を人に買わせる能力がある者に、理論的にはより多くの基金ができることになる。それを元に出版してしまえという話である。もちろん、こんな収益を元にせずとも、自分のこずかいでやってもいい。
 読みたい本が明確な者は出版社などに頼っているより、自分で出してしまったほうが手っ取り早い。シリーズ物が途絶えた場合などを想定すると判りやすいが。
 ひとりで出版して上記の書店システムで売ってもいいし、広く仲間を集めて、ひとり10冊づつ買い取りにしてもよい。いらない9冊は個々がウェブで売ってもいいし、近所の本屋(魚屋でも花屋でも構わない)に営業して置いてもらってもいい。気長に何年も掛けて在庫を捌いてゆけばよい。同人活動とやることは変わりない。自分の書きたい本ではなく、読みたい本を出版するだけの違いだ。うちわの自己満足に終わってもいい。妙なマーケティングをもとにした、誰ひとり満足させない本が大量に煽れている現状よりは。
 コミケでこんな動きが出てくるのではないかとも考えていたが、通常の出版とは違う異世界だというプライドがあくまで強く、流通ルートも一般の本とは明確に違う。電子出版の世界が幾分近いが、これは相変わらず電子である必然がなく、生命線である<場>も形成されていない。<ファウンデーション>の第一、第二段階はまさしくこの<場>の形成のためのものなのである。つまり、通常の本の読者と流通ルートを確保しておくことだ。
 いまあるオンライン新刊書店が生き残って理想の姿になったとしても、この<他者>を排した本物の出版物を流通させる場とはならない。無理に乗せたとしても埋沒するだけである。当方がオンライン新刊書店など当てにするなというのはこの点にある。
 ここはのちのちの<ファウンデーション>史の試験に必ず出るポイントだから、よーく頭に叩き込んでおくように!君たちのようにいまの書籍流通やらウェブ販売をどうしようかなんてとこから考えるから、肝心なことが判らなくなるんだ!逆から解くんだよ!!逆から!!
 問題なのはあくまで<他者>を排した本物の出版で、そのために<ファウンデーション>が必要で、そのために書店もやってしまえという話なんだ!!!!いまあるオンライン新刊書店がどんな姿になろうが、歴史には何にも役に立たんのだ!!!!倒産したら何にも残らんのだ!!!!

 この先、ベストセラーを出す大手出版社とほんとの個人経営の出版社しか残らないとはよく云われる。これは大いに結構なことだ。もともと本とはオープンソース・・・とはちと違うか?バザールとか云ったほうがよろしいか?なにやらそんなような方式で出版するのが本来の姿だ。どうせ儲からない個人経営なんて欺瞞もやめて、最初から非営利の個人が集まってやってしまえばよいのだ。
 作家が印税なんかで暮らすようになったのはつい最近で、それまではパトロンに養われてたりした。とくに日本の場合はひとりの富豪ではなく、大勢の庶民のネットワークで支えてたりした。もともとの正しい姿に戻るだけだ。いや、印税だとか出版社だとかいうのはそういう姿のちょっと変わった亜種だっただけのことに過ぎぬ。
 好むと好まざるとに関わらず、多くの作家はこういう<場>を基盤にしないと本を出せなくなる。そのための<ファウンデーション>だ。

 そうなると、当方なぞも心ときめかせる本物の本が出てくるやも知れず、それさえあれば、あとのことはもうどうなろうともいい。いや、出てくるかも知れないという一条の光さえ射し込めば、それでいいのだ。
 そして、そこで初めて、<第二ファウンデーション>による真の革命に向けた四段階目の暗躍が・・・・・