あたくしが読むのはもっぱら戦前の本でして、戦後の本はほとんど読まないし特にこの10年のものは極力手に取らないようにしているんですが、ついうかうかと小谷野敦『江戸幻想批判』なんてものを読んでしまいました。こんなんばっかしやんか。
『江戸幻想批判』は佐伯順子なんかの特定の本を否定することに終始しておりまして、まあ実際に佐伯順子の本はいろいろ問題があるのですべて出鱈目だとして、それでなんで江戸時代は性的に解放されていて女性も自由だったというのが「幻想」になるのか読んでもさっぱり判りません。なんせここで掲げられているほとんど唯一の実証的な根拠が、江戸東京博物館の展示で見たという「吉原の遊女の平均寿命は23歳」というデータだけなんですから。
この厳然たる事実を前にして江戸時代の性愛を礼賛することは赦されんのだそうです。うーむ。
ひょっとしたらほかにもこんなことをのたまっている方々がいるんではないかと「遊女 平均寿命」と「遊女 死亡年齢」で検索を掛けてみますと、おーいっぱいいるいる。村上龍や四方田犬彦なんて名前もあるある。
データの出処はこの本か、あるいは直接見たか、ほとんどが江戸東京博物館の展示経由らしいです。皆さん、大いに怒っておられますな。当時の平均寿命から考えても極端に低いこの数字は、遊女がいかに酷いあつかいを受けていたかの証拠であって、我々は決して目を逸らしてはいけないんだそうですよ。
江戸東京博物館も妙な情報を広めて人心を乱すのはけしからんことです。
江戸時代の吉原の遊女の年季は10年の決まりで18歳から27歳の暮れまでが基本でしたから、原則的に28歳より上の遊女というのは存在していなかったわけです。もっと早くに年季が明けたり身請けされる者もいましたから、平均すると26か27くらいには吉原を去って行ったわけです。つーことは、残った遊女のうち死んだ者の平均を出せば23歳くらいになるのはしごくあたりまえのことでありますな。
たとえば全国の小学校で死んだ生徒のデータを集めると平均寿命は9歳くらいになるはずです。なんと!遊女の半分もないとは!現代の小学校は江戸時代の吉原以上の苦界ですぞ!こんな非人道的なとこなどすぐに廢止してしまえ!幼稚園なんてもっと酷いこの世の地獄もあるのかっ!・・・・・なんてなことを云う方はいないわけです。いや、いるかもしれんな。博物館に「小学生の平均寿命は9歳」なんて展示をしてみてはいかがなもんでしょうか。
考えれば判ることですが、吉原がたとえどれほど素晴らしいところになったとしても遊女の平均寿命が27歳を越えることは絶対にないわけです。いやいや、ひとつだけ方法があります。吉原から定年を無くし、身請けも年季も無くし、一生死ぬまで客を取らせてこき使えばいいんです。これなら寿命が30歳を越えることは間違いない。うまくいけば40歳も・・・・・って、おまえらは人でなしか!?鬼か!?
徳川幕府でさえ人身売買を禁止して年限を区切っているから彼女たちは第二の人生を歩むことができたのに、ひとたび遊女になったものは死ぬまでずっと躯を売れというのか!!!!!!!!遊女の平均寿命が低いのがイカンなんて、人間にあるまじき恐ろしい暴言を吐いているアンチ人権主義者どもは徹底的に糾弾せよ!!!!!!!!
実際には年季が明けても借金を返せない遊女は岡場所に売られていきました。また、自由になってもほかに生きていくすべがないために夜鷹に身を落とす女もいました。岡場所や夜鷹のほうが自由があったとは云え。それらの28歳よりも上の遊女を合わせると平均寿命は確実に上がるはずです。
このデータは<投げ込み寺>の浄閑寺の過去帳に記されている年齡を平均したもののようです。浄閑寺には岡場所の遊女も葬られているみたいですが、わざわざデータが「吉原の」遊女の平均となっているのはなにか意図的なトリックがあるのか、そもそもほんとに遺体を投げ込むこともあった寺の過去帳、それも商売的にも法的にも若く見せることに意味のある遊女の記載年齡がどこまで信用できるのか、近所の図書館で調べてみましたが判りませんでした。大学図書館なら調べがつくでしょうからどなたか教えてください。江戸東京博物館はどんな資料作成をしているのか識りませんが、それと1次データを見比べないことにはなんも判らん。この人たちは己の最大の拠り所となるデータの成り立ちに疑問が浮かばないんでしょうか。この年齡が満か数えかさえ確認しないで得意気に吹聴しているのでしょうか。
なお、岡場所の手入れで捕まって罰として吉原に送り込まれてきた者には28歳より上の遊女もいましたが、岡場所だって若いのが中心で、また刑罰としての年季は短かったですからむしろ吉原全体の年齢を押し下げていたのではないかとも考えられます。この者たちが死んだ場合、どういうあつかいで過去帳に記入されるのか、またこのデータではどのようにあつかわれているのかもはっきりしてもらわないとデータの価値はゼロです。
江戸東京博物館の学芸員に電話で訊いてみようかとも想いましたが、せっかくの展示をはずされたりしたら困りますからやめました。発言者の歴史理解度を測るにはじつにいいデータですので。ウェブとも連動させて情報の受け手側の脳内を視せるインタラクティブで立体的な画期的展示法ですな。
『江戸幻想批判』には『人麻呂の暗号』という本の内容を信じていたなんてなことも書いてありまして、この手の単純なトリックに弱い方みたいです。そんなことでは、何百年前の歴史や文化を読み解くなんておよそ人間の知的活動としてはもっとも難しい部類に属する探求に携わるのはとうてい無理と云うものでありましょう。この方は「浄瑠璃や歌舞伎を知らない、馬琴や黙阿弥を読まない、落語を聴かない、そういう連中に先導されて賑わっているのが<江戸ブーム>なのだから、お寒い話である」なんてなことまで仰って江戸時代の本をいろいろいっぱい読まれているようなんですが、吉原の年齢構成なんて最低限のまともなイメージさえ掴んでいないのではすべてが無駄だったということです。
このトリックに引っかかった方は、以後歴史や昔の文化について口を出すことを一切禁ずる法令を出していただきたいもんです。べつに知識がなくても、遊女が基本的に若いことくらいは常識で考えれば判ることですので。ちなみにあたしは年季が27歳までと決まっているとは識らず、それでも23歳というのはごく普通の数字ではないかと感じて調べてみたわけです。
さて、あたしはと申しますと、やっぱり江戸時代は性的に解放されていて女性も自由だったと考えています。あくまで同時代の欧米や明治以降と比べての話で、みんなが幸福な天国ではなかったのはあたりまえのことですが。いまでも借金のために風俗で働いている女性は大勢おられますし。
この手の話は遊女特有の問題と医学の進歩の問題をごちょごちょに論じてるものが多くて困ったもんです。同時代の遊郭の内と外との罹患率、死亡率を比較しないことにはなんの意味もない。あたしは兵舍なんかと同じ問題でべつに遊郭特有ではないと推測していますが、データを出してもらわんことにはなんにも判らん。
抱え主にとって遊女はクビにすれば済む従業員ではなく先に大金を投資している財産ですから、投資を回収する前にわざわざつぶすようなことをやるとは同じ商売人としてとても信じられません。遊女を責め殺した抱え主がひとりいましたが、財産没収され遠島となりました。吉原の経営が苦しくなっていた幕末のこんな商売人失格の男を基準に、何百年も栄えた吉原全体を語る方が多いのは困ったことです。
また、よく医者にも診てもらえなかったというようなことを云う方がいますが、当時の医者に結核や梅毒を治す力はありませんから同じことです。たっぷり栄養を摂って何年も養生すれば死亡率はさがるかも知れませんが、現代でも借金を抱えている方は病気になっても休めるものではありません。江戸時代の遊女は働けなくなっても借金先にご飯を食べさせてもらっていたのですから、むしろ現代より優遇されていると云ってもいいくらいです。
なんにせよ、遊女をことさら持ち上げたり反対に悲惨だと嘆いたりするのはいまだに歴史が下卑たイデオロギー対立のおもちゃになっているということでして、死んだあとまでこんな変態プレイで遊女を弄ぶとは蛆蟲以下の唾棄すべき連中であります。
『江戸幻想批判』は遊女の平均寿命以外にもなんともへんてこな論が続きまして、それはべつにいいんですが、ひとつ判らんのは歌舞伎や文楽についての記述がなんかおかしいことです。この方が歌舞伎や文楽をいっぱい観ていて関連書もいっぱい読んでるのはたぶんほんとのことだと想うのですが、なんで基本的な部分がこんな妙な具合になるのか。
たとえば「近松門左衛門は江戸時代には人気がなかった」なんて註釋なしでは誤解を与えるような記述が頻発しまして、この本は狭い業界向けのものだからそれでいいと考えているのやも知れませんが、実際にそのまま受けとめている方もいるようでやはり問題です。時代物を無視したまま近松を語ったりとどうも江戸時代の歌舞伎や文楽の基本を理解していないのでないかというような印象を受けましたが、ひょっとすると反対陣営が持ち上げるものを無理にでも貶めようとする戦略のようでもあり、もひとつ判らない。この方のほかの本も読めば判るのかも知れませんが、とてもそんな気にはなりませんし。意図はともかく、歌舞伎や文楽の知識がない方がそのまま受け取るにはかなり問題があり、ほとんど出鱈目と想っておいたほうが無難なしろものです。
ウェブを見渡すとこの本を元にしていろいろ云ってる方もいて、おまえらもちっとしっかりせいと云いたくなります。いや、しっかりせんといかんのはあたしのアンテナのほうか。やっぱり最近の本に手を出すのはやめときます。
※遊女の平均寿命について、資料に即した実証的な考察はこちらの続編をご覧ください。
いかに出鱈目な説を基に江戸時代の遊女についてこれまで語られていたのかが判ります。
遊女を虐待する人々 1
遊女を虐待する人々 2
上記の文章に対して小谷野敦氏よりメールをいただいた。当方の返信とともに交互に掲載するので併せて読んでいただけると幸いである。当方の事実誤認などを正すにはこれがもっとも公正なる方法であると信じる。 なお、小谷野氏より具体的な指摘がある前に、表現については確かに行き過ぎがあったと反省し自主的に書き換えされていただいた。内容はまったく変わっておらず無駄な修飾が無くなって却って問題点が浮き彫りになってよかったのではないかと当方は考えている。
2002/11/26 絶望書店主人記す。
2006/4/10 追記 |
小谷野敦氏よりのアンケートフォーム送信 | <1> 2002/11/25/00:10 |
絶望書店主人・要約 小谷野氏よりの第一信です。本名などを問う二行だけの内容でした。 |
絶望書店主人より返信 | <2> 2002/11/25/04:31 |
小谷野敦 様 絶望書店でございます。お忙しいところ、アンケートにお答えいただきありがとうございます。 当方のメールアドレスは当店表紙に明記しております通り 5c33q4rw@interlink.or.jp でございます。 当方の駄文に関しまして事実誤認を指摘するようなメールがいただけるようでしたら、全文をあの駄文の下に転載させていただきたいと存じます。それが事実誤認を改めるための一番公正なる方法であると存じます。あらかじめご諒承ください。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <3> 2002/11/25/08:50 |
絶望書店主人・要約 インターネットと匿名を批評する内容で、本名を名乗らないのなら議論はしないということでありました。 |
絶望書店主人より | <4> 2002/11/25/11:47 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。お忙しいところ、メールいただきありがとうございます。 グーグルで「絶望書店」を検索していただくと600件ほど出てまいります。小谷野様のお名前で検索すると2600件ほど出てまいります。絶望書店という店名は少なくともインターネット上では小谷野様の5分の1程度の知名度があると考えていただいてよろしいかと存じます。その店名を背負って開店以来5年間やってまいりました絶望書店主人はささやかながらも世間で通用している筆名と考えていただけると幸いです。 議論をされないのはご自由でありますが、具体的な事実誤認などを指摘していただかないと当方といたしましても対処のしようがございません。それとも事実誤認ではなく表現だけの問題でありましょうか。たしかに表現には行き過ぎのところもあったかと反省いたしまして少し書き替えさせていただきました。 インターネットは誰のチェックも入らないというのは小谷野様の事実誤認でございまして、現にこうして小谷野様ご本人のチェックが入っているわけです。あの文章を当方が本にして出したとしても小谷野様の眼につくことはなかったでしょう。 ご指摘お待ちしております。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <5> 2002/11/25/18:14 |
絶望書店主人・要約 議論はしないということだったのですが、いろいろ批判を展開される内容でした。遊女の平均寿命に関しては当方の論を受け入れられたようで、それ以外のことは私にはさっぱり判らない論でした。平均寿命以外に『世事見聞録』も掲げていることで遊女が悲惨だったという根拠は充分だとお考えのようです。 2ちゃんねるはすでに批判している。「江戸幻想批判」によって村八分にされて就職もダメになったというようなことも述べておられます。 |
絶望書店主人より | <6> 2002/11/26/09:29 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。お忙しいところ、ご指摘いただきありがとうございます。 2ちゃんねるにつきましては存じ上げております。さらなる誹謗中傷があったのに何故、批判をおやめになったのか不思議でしたので申し上げた次第です。匿名を問題にされるなら、当方などより2ちゃんねる批判を優先させるべきであるかと存じます。 あの文章を書いたあとに『文学界』2000年5月号の岸田秀氏との往復書簡を拝読いたしました。小谷野様は最後に遊女の悲惨さについてはこれを読むようにと『世事見聞録』を註釋なしで引用されており、当方は大変驚きました。いままたこの書名が出てくるということは、あの内容をそのまま信じておられるということですな。 遊女の平均寿命の問題も博物館の記述をそのまま受け入れられて、資料批判どころか資料の出処の検証さえされていない。資料を読んでそのまま受け取るだけなら学問も学者も必要ないでしょう。当方は小谷野様の間違いを批判しているのではなく、研究者としての基本的姿勢に疑問を呈しているのです。ましてや、それを根拠に人の研究を批判されているわけですから。小谷野様は遊女の平均寿命については間違いだと認められたようですが、それがいかに重大なる意味を持つかお判りなんでしょうか。 近松に関しても世話物と時代物、あるいは近松生前と没後をはっきりと区分けせずに、一人遣いから三人遣いへの変化に関する註釋も附けずに「近松門左衛門は江戸時代には人気がなかった」とだけ記述されています。論争相手にはそれでも通じるでしょうが、文楽や歌舞伎に知識のない一般読者はそのまま近松はまるごと人気がなかったと受け取っているようで問題です。論争相手にはほかの著作も読めということで結構ですが、読者にはそんなことを云うべきではなくこの一冊だけで正確に伝わるように書くべきだと存じます。 『世事見聞録』を読みましても江戸時代の女性はずいぶん自由だったようです。どこの誰かも判らないまったくの匿名でいろんな相手を批判をしている武陽隠士の云うことなど小谷野様は信用されないやも知れませんが、自由な女性についての記述はまったくの伝聞でもないようですし、当方はそのまま受け取っております。 当方は「前近代の日本人は聖なる行為としてセックスしていた」なんてことはどちらでもあまり重要ではないと考えておりますが、現代でも性行為を聖なるものと考えている方はおりますし、風俗嬢やAV女優を菩薩だと半ば本気で考えている方もおります。中世以前にも一応そのような考えはあったようですし、近世にもあって不思議ではないと想っております。 当方は佐伯氏などはどうでもいいのです。『江戸幻想批判』によって遊女の平均寿命などのおかしな知識が広まってしまったことに対して、小谷野様は読者にどのような責任を取られるかということが問題なのです。業界内で村八分になろうが就職が駄目になろうが、読者に対しての責任を取っていないことのほうが問題なのです。その読者のなかには当方も含まれているわけです。読者よりの疑問を封じ込めてしまおうとする小谷野様のご発言はまことに残念です。ほかの間違った論を排するためなら間違った論を広めてもいいと小谷野様が考えられているわけではないと存じますが。あるいは業界内のほうが大事で読者などどうでもいいということなのでしょうか。 なお、先にお断りしておきました通り、小谷野様と当方のメールを当該の文章に添えて掲載させていただきました。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <7> 2002/11/26/10:25 |
絶望書店主人・要約 とにかく遊女は悲惨で、学術論文を書けとかいう内容です。当方には何を仰っているのかよく理解できませんので、うまく要約できません。恐縮です。 |
小谷野敦氏より追伸 | <8> 2002/11/26/10:56 |
絶望書店主人要約 とにかく江戸時代の女性は不自由で、現代において性が神聖だと考える人がいるのはキリスト教の影響で、絶望書店主人はバカだという内容でした。 |
小谷野敦氏よりさらに追伸 | <9> 2002/11/26/19:09 |
絶望書店主人・要約 「世事見聞録」についての当方の論拠を問うことと、平均寿命についての訂正で当方の名前を出したいので本名を問う内容です。 |
絶望書店主人より | <10> 2002/11/27/11:48 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。 戦前の学者云々は当方の完全な勘違いで大変申し訳ございません。青蛙房版『世事見聞録』の解説で滝川政次郎氏が本庄栄治郎氏の文章を引きながら記していることを本庄氏の論だと想い込んでおりました。しかも、滝川氏もこの本は暗い面のみ取り上げたものでそのまま江戸時代が悪いと考えてはならないが、個々の事実に誇張があるわけではないとも記しておりますので、二重に勘違いでありました。一応、本庄氏も「時弊を高調し過ぎたる点なきに非ざる」とは云っておりますが。 『世事見聞録』では、常連客が犯罪を犯したとき警察に突き出すのは遊郭の楼主が恩義を識らないためで人間ではないと無茶苦茶な批判をしております。とくに吉原の部分はこういう偏った考えをもとに書かれた文章であることはまず念頭に置いておくべきでしょう。 小谷野様が近世の遊女が悲惨だということの根拠に挙げておられるのは平均寿命23歳と『世事見聞録』だけだと想っておりましたが、ほかにもございましたらご教示ください。少なくとも『江戸幻想批判』にはほかに無かったと存じますが。 さて、小谷野様は江戸東京博物館がどのような資料作成をしたのか調べもしないで、平均寿命23歳は誤りで訂正するなどとまた同じ決定的な失敗をされております。一時資料と照らし合わせてみないと博物館の展示データがどういう意味を持つのかは判らないはずです。当方も問い合わせたわけではなく推測で書いているだけですので、最終的な確信を持っているわけではございません。素人の当方にも判る手順がどうしてお判りにならないのでしょうか。 女性の自由度に関してですが、現代でも避妊をせずにいろんな相手といたしている女性は数多くおられます。こういう方はあとで困るのかも知れませんが、性的に自由と云っていいのではないでしょうか。江戸時代もあまり変わりはなかったと想っております。 田中優子氏などが現代のポルノについてどのように考えようと、それによって江戸時代の史実が影響を受けるわけではございません。業界内の党派争いと史実との区別がどうしてできないのでしょうか。また、どうして当方をどちらかの陣営と位置づけないといけないのでしょうか。 近松につきましてはメールを拝見してまた判らなくなってしまいました。小谷野様の「近松」という言葉は「近松全体」を指しているのか「近松の世話物」だけを指しているのか曖昧で、当方にはうまく読み取れないのです。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <11> 2002/11/27/13:02 |
絶望書店主人・要約 「世事見聞録」に異論があるなら学術論文を書きなさいということ。党派争いではなくまともな学問を求めているということ。他の作者に比べて近松が過大評価されているということ。当方が『江戸幻想批判』に対してアンフェアであるというような内容です。 |
小谷野敦氏より追伸 | <12> 2002/11/27/14:01 |
絶望書店主人・要約 性が神聖という考えは「見方」ではない。『傾城買二筋道』などを見ても遊女は悲惨。江戸時代の女は不自由。絶望書店主人はふざけているので恥を知れというような内容です。 |
小谷野敦氏よりさらに追伸 | <13> 2002/11/27/14:15 |
絶望書店主人・要約 絶望書店主人は胡乱な者なので、『遊女の文化史』を褒めると佐伯順子さんも迷惑というような内容です。 絶望書店主人・注釈 |
絶望書店主人より | <14> 2002/11/27/16:46 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。早速の返信いただきありがとうございます。 批判というのは相手が改めるまで継続的にするものと当方は勝手に想い込んでおりまして失礼いたしました。ただ、2ちゃんねるに書き込んでいる方々はもう批判されてないと想っているのではないかと存じますが。当方に向けられている情熱をまたぶつけてみられるのも一興かと。 『世事見聞録』には売春を批判した部分もございます。しかし、当方が問題としているのは「酔っぱらいが無理を云うのをもっともと機嫌を取り、泥酔して吐いた客を介抱し、田舍者の髭のゴミも取り」などということを批判した部分でして、こんなのは売春と関係はなく客商売なら当たり前のことです。これを遊女の悲惨というのはおかしいと云っているだけです。 いままでのメールを読み返していただければ判りますが、小谷野様は当方がそれほど興味もない佐伯順子氏や田中優子氏の名前を掲げて、こっちはどうなんだとたびたび迫ってきておられます。てっきり党派争いに当方を巻き込むのかと想い込んでしまいましたが、そうではなくまともな学問をやろうとされているだけなら他人のことは気になさらずにひとりで立派なお仕事を続けて行かれればよろしいことかと存じます。 妙な抑圧が少なかったというのは先にも記しました通り、小谷野様の御著書の「昔の農村ではセックス相手の選り好みがあまりなかったかもしれない」「愛のないセックスはいけないという観念はなかった」というようなことです。もう一度、当方のメールを読み返されたほうがよいかも知れません。 遊女の平均寿命については確認をされていたのですか。どうも、あれは西山松之助『くるわ』を元にしているようで、データには最高齢40歳となっているようで、当方はこの本は未見なので気になっていたのですが。 当方のメールを読み返していただけるとお判りいただけるかと存じますが、当方は小谷野様の間違いを批判しているのではなく批判的な資料の読み取りなどをされるように申し上げているだけで、これからはつまらないトリックなど引っかからずに立派なお仕事を成されるのならそれでよいのです。訂正されてもまた同じようなことをされるのなら意味はございません。 近松に関してはほかの作者の重要性を述べるのにわざわざ近松が人気がなかったなどと云う必要はないはずなのですが。どうも、二項対立の図式にもっていかれるのがお好きなようで。 久本福子氏の『文化ファシズム』はあの妄想によって幾人かの方々の深い感動を呼び起こしているのです。ウェブ上で検索されてみればお判りいただけるかと存じます。当方も感動をもらったひとりなのです。読者に感動をもたらす以上の読者への責任の取り方がほかにあるでしょうか。 本日の2通の追伸で、当方にもようやく小谷野様の御著書が多くの方々に愛読されている理由が判ってまいりました。当方は『江戸幻想批判』しか読んだことはなかったのですが、これからはほかの御著書も拝読させていただきます。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <15> 2002/11/27/18:50 |
絶望書店主人要約 近松半二よりも近松門左衛門が優遇されているのは西洋の恋愛観の影響で、江戸の性愛を礼讃するのも西洋の影響。佐伯氏や田中氏などの似非学問は批判していくという内容です。 |
絶望書店主人より | <16> 2002/11/28/06:54 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。 我々は残念ながら近松の本当の舞台を観たことがありません。現在の三人遣いや実験的に行われた一人遣いの人形の舞台は、おそらく当時のものとは懸け離れているんでしょう。演劇は演出でまるっきり違うものになりますから、我々の抱く認識がどれほど正しいものかは考え物です。 何百年前の歴史や文化を読み解くなんて、およそ人間の知的活動としてはもっとも難しい部類に属する探求です。眼の前にある資料を批判的に疑問を抱きながら読み解くことも大切ですが、己がどれほど正しい認識を抱いているのか絶えず自分自身に批判的に疑問を抱き続けることがさらに重要なことだと想っています。 あたしくは歴史や昔の文化についてはまったくの素人で知識も御粗末なものです。しかし、資料を疑ったり自分自身を疑ったりする姿勢はつねに忘れていないつもりです。いや、忘れることはちょくちょくありますが、強いて想い出すように努めています。 あなたは三日前まで吉原の遊女はほとんどが23歳で死んでしまうと考えていたわけです。これは単なる数字の間違いではなく、江戸時代の世界観全体を掴み損なっていたということです。 あなたひとりだけに向かって云っているつもりはありません。歴史や昔の文化を探索しようとしている諸氏すべてに伝わればと想ってあの文章は書きました。あなたはお笑いになるやも知れませんが、ウェブ上に文章を晒すとはそういう可能性が幾分かでもあるということです。 対象を疑って、己を疑って、考えて考え抜けば視えてくるものはあるとあたしくは信じています。ほんとうに考えて考え抜けば、平均寿命23歳などという間違いは決して起きないと信じています。これは自戒の言葉でもあります。 絶望書店主人 |
小谷野敦氏より | <17> 2002/11/28/10:20 |
絶望書店主人・要約 謙虚になれというのはいけない。遊女の平均寿命はきちんと調査しても数年増えるだけ。2ちゃんねるは北朝鮮。近松門左衛門の文章は感動しないというような内容です。 |
絶望書店主人より | <18> 2002/11/29/04:55 |
小谷野敦 様 お世話になっています。絶望書店でございます。お手紙いただきありがとうございます。 傲慢を通すにはそれに見合う知識や見識が要求されてなかなか辛いものです。知識が追いつかないと単なる嘘つきや莫迦のように見られてしまいますから。しかし、小谷野様ほど江戸時代の歴史や文化に通じた方なら問題ないでしょう。なにせ、遊女の平均寿命は調べ直しても数年上がるだけという画期的な新説を打ち立てられているほどですから。 とくにあたくしが感服いたしましたのは遊女の平均寿命は調べ直すということのほうでして、何万人いるかも判らない吉原を出たあとの女性たちをどうやって追跡調査して寿命を出すのか、凡夫のあたしくには想像もつかない革新的調査方法を編み出されたのだと存じます。これだけでも素晴らしいことで、ぜひ調査方法だけでも先に発表していただけると歴史調査の進歩に決定的貢献となります。もちろん調査結果のほうも、あたくしを初めとして1000人の方々が固唾を飲んで待っております。これが小谷野様の江戸時代研究の価値を決定付けるすべての中心になると信じます。 江戸文化だけではなく現代の歌舞伎にも造形が深く、また戦後の女形廃止論を歌右衛門丈のひとつの画期としている渡辺保氏の本を論じられた小谷野様が戦後の女形廃止論をご存じないはずがなく、あたくしなどには計り知れない深謀遠慮によって不勉強などと仰ってるのだと想います。 2ちゃんねるでは小谷野様ほどの知識も見識もないくせに文体だけは小谷野様のメールの文章をそっくりマネたような輩が数多く跋扈しておりまして、またこの連中がなんの根拠もないのに歴史事実をゆがめるような珍説を振り回しながら専門家ヅラをして社会に害毒を流しております。 各方面での小谷野様のご活躍を祈っております。おそらく小谷野様からいただいたメールを読む者は最終的に数千人に達すると存じますが、その方々の期待と注目が一身に集まっていることをお忘れにはなりませぬよう。 絶望書店主人 |
<参考資料> 『文学界』2000年5月号の岸田秀氏との往復書簡に於いて小谷野氏が遊女の悲惨さについてはこれを読むようにと引用した『世事見聞録』をここに再引用する。上記の議論の参考にされたい。 「私としては、この辺でいったん往復書簡を打ち切り、読者諸賢の判断に委ねたいと思う。岸田氏はさらに続けたいと言われるが、また別の機会に譲りたい。ここでは、返答の代わりに、武陽隠士の『世事見聞録』(岩波文庫、品切れ)から、徳川後期の遊里の実態を描いた部分を引用しておきたい。 小谷野敦」 売女は悪む(にくむ)べきものにあらず。ただ憎むべきものはかの忘八と唱ふる売女業体のものなり。天道に背きたる業体にて、およそ人間にあらず。畜生同然の仕業、憎むに余りあるものなり。 (中略) さてまた右の婦人ども(遣手婆=小谷野注)が売女を責め遣ふ事、まづ心の塀怠起らざるやうとて、常々食事をも得と給べさせず、夜の目も眠らで客の機嫌をとるやうにと時々に改め、もし眠りたる体か、または愛敬の宜しからざる体の見ゆる時は、厳しく叱り責むるなり。売女はその叱り責めらるるを怖ぢ恐れて客を大切に取り、あるいは生酔の無理の上の無理をいふをも、もつともと機嫌を取り、また熟酔して酒食みに溢れて吐潟するをも介抱し、また親子兄弟の見堺もしらざる傍若無人も愛情に懐け、また田夫野人の髭のちりをもとり、また我が親の年齢より倍増したる白髪の老人をもなでさすり、懐き抱へて機嫌を取り果せ、右体様々の客を、一昼夜の内に三人五人、また六人七人をも懸り合ひ次第相手に致し、我が心中の悲歎を隠してそれぞれに笑顔を見せ、その向々の機嫌任せに情根を尽すなり。もしその機嫌を取り損じて客の盈れ(あばれ)出したる事あるか、また不快にて不奉公をいたすか、また客来たらで手明きなる時は、ことごとく打榔に逢ふ事なり。これみな老婆が目付役にて、妻妾娘分なるものの指揮する所にて、鬼の如き形勢にて打郷するなり。その上にも尋常に参らざる時は、その過怠としてあるいは数日食を断ち、雪隠そのほか不浄もの掃除を致させ、または丸裸になして縛り、水を浴びせるなり。水湿る時は苧縄縮みて苦しみ泣き叫ぶなり。折々責め殺す事あるなり。昔はかほどの叱責はなかりしなり。諺にも、遊女は一夜の妻、一日の夫といひて、一昼夜に客一人二人ならではとらぬ事なり。一人二人ならば機嫌を取り損ねる事はなし。 |
平均寿命23歳 前口上 参考資料 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 2003/3/8 遊女を虐待する人々も参照のこと。 |