絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2001/2/25  ブラック・ジャックの素

 いまファミリー劇場で丹波哲郎・主演の『ジキルとハイド』という何とも形容のし難い凄まじいドラマをやっているんです。
 医者の慈木留(ジキル)が薬で変身して殺すは犯すは極悪非道の限りをつくすわけですが、このハイドの暗い姿格好がブラック・ジャックそのものでして、いつも白衣を着ている白髪の慈木留と左右半々に合成されるオープニングはもうそのまんまでして。少なくとも、加山雄三よりも宍戸錠よりも本木雅弘よりも出崎統アニメのブラック・ジャックなんかよりも遥かにぴったり重なります。
 ああ、手塚さんは確実にこれを観てるな、ブラック・ジャックの素が丹波哲郎とはこりゃまた驚いたもんだなと調べてみたれば『ジキルとハイド』の放映終了が1973年の4/24で、『ブラック・ジャック』の連載開始がその半年後の11/19号なんですな。

 『ジキルとハイド』は1969年製作なんですが、あまりに殘虐かつシュールな内容でお蔵入りになり、やっと三年以上経ってから23:15~00:15という当時としては異例な深夜かつ半端な時間帯に一度だけ放映し、地上波ではその後まったく流されなかったといういわくつきのドラマであります。
 『人造人間キカイダー』の長坂秀佳がシリーズ構成をやっているんですが、さもありなんといった出来でして、なんせ時代が時代ですからさらに輪を掛けてサイケな絵づくりとなっております。いま観ても、お蔵入りは充分うなずけます。
 露口茂が血の気の多い刑事役で出てきたり、もういい歳の松尾嘉代のセーラー服姿が拝めたり、池田昌子が乱暴されながらも悦んでしまう人妻だったり、もちろん丹波哲郎のイッてしまった怪演とたまらん観処満載で、これだけでファミリー劇場と契約する価値はありますな。

 そんな丹波哲郎の導きで、ジキル博士とハイド氏のふたりの分身をさらにもう一度ひとりに合体させたのがブラック・ジャックだということに、たったいま初めて気付いてしまいました。だからこそ、髪や顔が白黒半々の姿をしていて、名前が間(はざま)だったんですな。だからこそ、恐怖コミックスだったのですな。
 こんな簡単なことに、あたくしはいままでなんで気付かなかったのですかな。皆様には衆智のことだったのでしょうか。近所の図書館で読むことのできる20冊ほどの手塚治虫研究書に眼を通してみましたが、どうも見当たらないのですが。手塚治虫自身のハイドだというような捉え方はありますが、これは明らかに誤りですな。両極端な性格を併せ持っていた手塚治虫の投影だというのなら、まだしも判りますが。
 手塚さんはブラック・ジャックは海賊のことだとかなんとか云ってますが、どう考えてみても両性具有ならぬ両性格具有の<黒いジキル>から来ているのでしょうな。第一回目の扉絵はふたつの貌を持つトランプのジャックですし。
 ほかの人のブラック・ジャックよりも丹波哲郎のほうが近いと感じるのは、きちんとこの主題を踏まえているからなんでしょう。

 而して、こんなことに気付いてもただ虚しいだけです。
 あたくしはドストエフスキー云うところの「両方の岸がひとつに出逢ってすべての矛盾がひとつに棲む」「聖母とソドムを併せ持つ」という完璧な人間描写を史上初めて爲し遂げたのは古今東西あまたの物語のなかで『ブラック・ジャック』、それもこの主人公ひとりだけであると常々考え感歎していたのですが。種明かしをしてみれば簡単なことで、なあんだという感じがあります。
 まったく困ったことでして、完成した作品をこんなふうに部品に分解して分析してみても、理解したということにはなりません。まさしく寿司屋のアナゴの一種に過ぎません。美女の骸骨をわざわざ視て、永年抱いていた大切な想いまで永遠に失ってしまったようで、情けないことであります。

 さはさりながら、『ジキル博士とハイド氏』の主題は変身なんかしないで一個の人格に結晶させたほうがより複雑に深遠になるというのはコロンブスの卵で、ほかにありそうでなかなか見当たりません。悪人が善人を装ったり、また善人が悪に染まったりといった話はありますが、それらはすべて変身の一種で、同時にふたつの性格をドストエフスキー的に内在するのはブラック・ジャックしかあたしには想いつきません。ドストエフスキーの登場人物さえこれほど完璧なる造型ではありません。
 デビュー以来飽くことなくメタモルフォーゼを描き続けた手塚治虫が、虫プロが潰れて究極のメタモルフォーゼたるアニメに挫折したまさしくその年、引退記念とも囁かれた『ブラック・ジャック』に於いて、変身とは反対のベクトルである<逆ドッペルゲンガー>を描いたのは必然なのでしょう。
 それがおそらく想ってもみなかったコロンブスの卵、ヒョウタンツギからコマを生み落としてしまった。手塚治虫生涯のテーマに逆叛(あるいは濃縮)するこの主人公が、皮肉なことに矛盾した両極端な性格を併せ持つ手塚治虫自身の投影ともなってしまった。おまけに、大人と子供を併せ持ちながらも決して変身しない<ふしぎな逆メルモちゃん>であるピノコまで生み出してしまい、こちらのほうは矛盾ではなく理想の完全体として女性からは憧憬されているらしい。
 丹波哲郎の靈氣や恐るべし!三年間のお蔵入りがなかったら、これらすべてが地上に存しなかったのやも知れぬのですからな。

 まあ、こんな詰まらん分析をしているうちに、ヒューマニズム云々だけではなく世間一般のキリコとブラック・ジャックとの対比の仕方にこれまでどうも違和感を感じていたのは何故なのかが判ってすっきりといたしました。<寿司屋のアナゴ>談義も多少は役に立ちます。

 ところで、ウェブ上では『ブラック・ジャック』の連載開始を1/19号と間違えて記しているページがあまりにも多いですな(間違えているとこのが多い!明らかにウイルス状に増殖しておる!)。週刊誌の実際の販売日は一週間前ですから、これでは『ジキルとハイド』の放映開始日1/9とぴったり重なってしまいます。
 「すわっ!シンクロニシティーかあ!?」とあたしが仰天しますので、これ以上拡がる前に皆で手分けして訂正させなさい。あーびっくりした。

4/24 ブラック・ジャックの素2も参照のこと。
 
 
※2006年12月27日(水)の深夜0時から、ファミリー劇場で『ジキルとハイド』全13話一挙放映が決まったようです。
女房を売り飛ばしてでも観るべし!!!!
すんごいよ。とくにブラック・ジャックのアニメやドラマを制作するスタッフは刮目して観るように!!!出崎さんなんかにもちゃんと観てほしい。
 
   


2001/2/8  女馬賊萌え

 あたくしは生まれてこのかた小説やまんが以外で女馬賊という存在を一度も観たことがないのではと人生行路を顧みて想うのですが、何故か去年になって三回も立て続けに対面してしまうことになりました。
 ラピュタ阿佐ヶ谷で全通し上映をやってたため初めて観た岡本喜八映画の上原美佐 、水野久美、『いまに見ておれ』の稲垣美穂子の三人です。

 えーと、一応云っときますと、馬賊というのはチンギス・ハーンでもインディアンでもフン族でもなく、20世紀前半の満州で活躍し、日本軍とも国民軍とも中共軍ともソ連軍ともよろしくやりながらもうまい具合に手玉に取り、最後にはおそらく中共軍に全滅させられてしまった、実在したらしいけどあまりそれとは直接関係のない、日本人の大陸幻想のなかだけに棲んでいる義侠的盗賊団のことであります。もちろん、団体さんでお馬さんに騎っております。
 お三方とも瞠若たらしむ如くにすこぶる魅力的で、あたくしはこの歳になって初めて、己が女馬賊に萌え萌えであることを見出すに至ったのでありました。この場を借りまして、はなはだ僭越ではございますが、皆樣方に発表させていただくような次第です。

 まあ、戦闘美少女の一種なのでしょうが、特別な戦闘能力があるわけでもなく、却って嫋やかさが強調されてしまったりするところがよろしいような気がいたします。日本女優がカタコトの日本語で中国娘を演じるというのも、何かしら琴線に触れるものがあるような気もいたします。本物の中国人では、ここのところがもひとつ違ってくるのですな。

 事ここに至って最大かつ急務なる問題は、この崇高なる萌え萌え心が満たされる場が腐敗しきった現代社会に於いて、寸分たりとも見つけること能わざるという嘆かわしき現実でございます。まんが以外で眼にすることはまずありませんからな。
 女馬賊の風俗でもできないものでしょうか。あたくしは毎日でも通い詰める決意を胸奧に固めているのですが。
 女馬賊ですから、もちろんのこと馬が不可欠となります。となりますと、都心のせせこましい店では如何ともし難いものがございます。
 幸いバブル崩壊によって廃虚同然になってしまったゴルフ場などが郊外にいくらもございますから、こんな処で営業できぬものでしょうか。何か法律に触れたりするのでしょうか。
 べつに脱いだりする必要はないのですが。そもそも、脱いだりすると女馬賊だと判らなくなってしまいますからな。
 一緒に焚き火を囲んだりするだけで充分満ち足りた想いが味わえるかと存じます。

 考えてみますれば、コスプレパーティーやコスプレ居酒屋なども都心の窮屈な場でやるよりも、このような開放的な処で開催するほうがよろしいような気がいたします。コミケなんかもゴルフ場のほうがよくはありませんでしょうか。
 何か問題があるのでしょうか。もう、やっていたりするのでしょうか。
 これからは風俗もヲタクも郊外の時代だと愚考するのですが。大儲けを目指す起業家の皆樣にはぜひにも挑戦していただきたく。気高く崇高なるひとつの魂が救われるためにも。

 ところで、水野久美は果たして馬賊でありましたかな。それまで一本も観たことのなき岡本喜八作品全40数本を通しで観てしまったため、頭の中がうにょうにょになっとります。
 じつはいまのいままで雪村いづみも女馬賊だったような気がしていたのですが、調べてみるとどうも違うようですな。我が事ながら、惚れ惚れするほど出鱈目なもんです。
 でも、皆さん魅力的で萌え萌えだから、べつにいいのです。ふふーんだ。

 
 
    


2000/12/10  タイムトラベラー到来

 『タイムトラベラー』が来年三月、DVDで発売されることが決まったそうです。詳細は少年ドラマ伝説をご覧いただきたい。
 『タイムトラベラー』が2001年にDVDというのは、まったくSFの世界であります。当時の自分に聞かせてやりたいもんです。

 しかし、子供の頃の自分に湧いたであろうほどの昂奮があるわけではございませんな。いや、30年ぶりに『タイムトラベラー』が再び観れるのは大いに結構なことで、そのことではございません。器の話です。
 女子供の棚に並べております『これからのせかい』に出てくる武部本一郎の未来画は電子レンジだったり有線テレビでお買い物だったりと、現在実現されているものが多いのですが、それでもこの本のほうが現実よりもわくわくします。とても比べものになりません。
 現実の技術のほうはヲタク心が欠けているからなんでしょう。DVDなどは、存在そのものがもっと昂奮をもたらすことができるはずなのですが。
 結局、時間というものは人の心の中にあるもので、物理的世界がどう変化しようと心のほうを刺激してくれないと未来にやって来たことにはなりません。タイムトラベルとは意識の変容のことであります。
 昨今持て囃されているロボットなどもこの一番肝心な機能が欠けていて、あたしはあまり感心しません。ああいうものに喜んでいる方は、あたしの考えるような正しいヲタクの心を持っていないと愚考いたします。ヲタク文化がこういう方面にきちんとした影響を与えていないのは大問題として認識されるべきだと想います。

 その点、パーソナル・コンピューターなどというものはじつに結構なものでございます。これはジョブスというおかしな人物のパーソナリティが反映されているからなんでしょう。
 パーソナル・コンピューターの個人とはジョブスのことであるという基本的なことがあまり理解されていないのは残念なことです。こんな矛盾だらけで史上初めて人間以上に不合理な道具が生まれたのは、それ故なのでありますから。
 絶望書店もその部品のひとつ、とくに意識を変容させる方面の機能を受け持つ部品のひとつとして、ますます性能を発揮させていきたいものでございます。

 

    


2000/11/24  小金治ドットコム

 あたしが日頃観るのは歌舞伎やら文楽やらアニメやらの古典的なものがもっぱらでして、妙なリアリズムなんかが侵蝕してくる近代演劇と云いますか西洋演劇と云いますか、その手のが全般的に苦手なんです。歌舞伎でさえ時折その手の臭いがしてくるので、近頃では避けるようになっている塩梅でして。まあそんなようなわけで映画というのがまったく駄目で、じつはほとんど観たことがないんです。
 それが近所の阿佐ヶ谷ラピュタで川島雄三をやっていたもんで、なんとなく気が向いて、初めて観てしまったんです。
 観てみるとまあそれなりに面白かったもんで、帰ってきてからさっそくウェブで検索なぞしてみました。
 あたしは何とはなしに川島雄三というのは映画オタクの一番群がる巣窟だと勝手に想い込んでいたんですが、どうもそうでもないらしく、専門サイトというのはそんなに数多くあるわけでもないのですな。そんななか眼を惹いたのが、kokinji.comという素晴らしい領地名を持つ桂小金治おふぃしゃるさいとおやじのげんこつでした。

 ここで桂小金治が何故か本木雅弘を相手に川島雄三の想い出を語ったりしているのですな。どうもこのサイト独自のものらしいですけど、考えてみればこんな無茶苦茶な組み合わせの企画はテレビでも雑誌でも通りませんわな。
 なんせ、モッくんは昔の映画のことなんか何にも識らないから、この長い長い対談の最後まで「へえ〜」とか「あー」とかしか云っていない。本木雅弘である必然がひとつもありません。なんとも贅沢極まるモッくんの使いかたです。とてもじゃないけど、誰にでもできることではないです。
 このサイトは他にも錚々たる面々がゲストとして登場しているのですが、カウンターは弱小サイト並みにしか廻っていない!何だかとっても男らしいぞ小金治!
 ああそれなのに、そんな小金治のことをこれまであたしはあまり快く感じていなかったんだ。いまの徳光や紳助のごとくに毎週毎週泣いていた小金治を子供の頃に観てからのことさ。
 じつは川島映画に出てくる小金治はとても素敵だったのに、そんな昔の想いが引っかかって素直に認めることができなかったんだ。ごめんよ小金治。そして、ありがとう小金治。
 小金治はあたしが過去のくだらない想いをいつまでも引きずって、眸を曇らせてしまうようなちっぽけな人間であることを気付かせてくれたよ。あたしは眼が醒めた。まるでほんとに親父のげんこつを喰らったみたいな心持ちだよ。日頃偉そうなことを云っていたって、いざとなればこのザマさ。笑ってくれよ小金治。
 歳を喰えば親父のありがたみと偉大さが判るなんて人は云うけど、こんなことだったんだな。あたしはやっと大人になれたような気がしたよ小金治。

 でもさ、小金治。あたしは偏見によって現実から眼を逸らしていたわけじゃないんだ。その逆なんだ。
 考えてみれば毎週他人事の不幸に涙を流していた小金治に胡散臭さを嗅ぎ取っていたのは、それが嘘だと想っていたからなんだな。涙は本物じゃないといけないと、莫迦な子供らしく想い込んでいたわけさ。
 モッくんとの対談を読むと、小金治はじつにいい加減に演技に取り組んでいたんだな。だから、川島映画の小金治は輝いていたんだ。くだらないリアリズムに侵蝕されなかったんだ。
 嘘ってのは素晴らしいな。出鱈目こそが宇宙の推進力と成り得る唯一の真理なんだな。
 あたしは詰まらない現実に眸をふさがれて、眼の前にある素敵なまぼろしを観逃すところだったよ。現実の攻撃はいつも狡猾細緻だな。
 そんな現実の攻撃にあたしが負けそうになったら、また、げんこつを喰らわして眼を醒ましてくれよな小金治。頼んだぜ小金治。きっと、きっとだぜ。小金治・・・・・

 
  
  


2000/11/10  <幻22号>の遺言

 先週キッズステーションで『新 忍者部隊月光』をぽおおと眺めていたら、いきなり幻仮面の妹<幻22号>として菊容子が登場し、あたしはただただ驚駭するよりほかに為す術を識らなかった。
 菊容子のサイトはわりとあるのだが、どこにも<幻22号>のデータがない。後篇が放映されたおとついからさすがにレポートがぼちぼち出てるが、事前に教えてくれんと役に立たん。たまたま観てたから、天下の大事に遅れを取ることだけは免れたが。(先週の前篇は菊容子の登場シーンだけ観て、呆気にとられているうちにビデオは録り損なってしまいましたが)
 『忍者部隊月光』なんてメジャーな作品さえデータが整備されていないようでは、やることはまだまだありますな。もっとも、全130話の最終回に近いこのあたりまで再放送をやったことは幾度もあることではなく、しょうがないことでもありましょうが。

 詳細は禁断のハイブリッドマニアックにこれ以上はない報告があるので、観てください。いや、観ろ!1966年だから、菊容子さん16歳か。一緒に映っている綺麗なお姉さんは忍者部隊の銀月です。
 黒尽くめの衣裳で、他にも持っていた武器を何故か使わずにあくまで薔薇だけで闘いぬき、美しく散っていった菊容子さんの姿にはこの絶望書店主人、格別に湧き上がる感慨があった。忍者部隊に倒されし幻仮面のカタキをとらんと果敢にも立ち向かっていったあなたは、きっとまぼろしのために現実と闘えと絶望書店に告げるためこの日に甦ったのでありましょう。

 放映日にはさっそく「菊容子 幻22号」で検索して当店まで辿り着いた方がおりましたが、何のおもてなしもできずに失礼いたしました。菊容子さんについては黒い薔薇の刻印のページと、女子供の棚をご覧ください。

 『忍者部隊月光』をきちんと観るのはじつは今回が初めてで、昔から識っている方にはいまごろ何を云っとるかとお叱りを受けそうですが、じつにあらゆる意味でお洒落な作品ですな。あけぼの機関と幻同盟の戦いというネーミングだけでも、いや、禁断のハイブリッドマニアックの画像を観れば一目瞭然でもありましょうが。



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