阿佐ヶ谷ラピュタで円谷英二特集をやっておりまして、あたしはゴジラ物以外の特撮映画は子供の頃テレビで観ただけでビデオでさえ観てないので、きちんと観るのはじつは今回が初めてだったりします。
『マタンゴ』はやっぱり奧深くも怖かったし、『妖星ゴラス』はやっぱり莫迦莫迦しくも壮大だったし、『宇宙大戦争』のパラボラはやっぱり美しかった。子供の頃のイメージが壊されないどころかさらに大きく膨らませることができるとは、作品の力強さを再認識いたします。
ちなみにあたしくは細身好みではなくデブ専ですので、ロケットやドリルではなく断然!丸まっちいパラボラであります。男ならパラボラ!それも『地球防衛軍』の<マーカライト・ファープ>のように細長い脚がついてるのは邪道でありまして、『宇宙大戦争』の如く大根脚でしっかと大地を踏んまえたパラボラであります。男なら絶対パラボラ!!
昔は正月といえばこの手の映画をテレビで観るための日という感じでしたが、最近やらなくなったのはけしからんことであります。子供の頃に『マタンゴ』でトラウマを形成することは大事なことなのですが。
まあ、そんなことで存分に堪能していたのですが、去年最後に観た『ガス人間第一号』の純愛には號泣いたしました。こんな美しくも素晴らしい作品だったのか!
純愛物の最高傑作は三島由紀夫の小説『春の雪』だとあたしはこれまで想っていたのですが、これは完璧に越えておるではないか!!
ウェブ上では「第二号がいないのになんで第一号なの」というツッコミが多いですが、あたしはヒロインの八千草薫がガス人間第二号、いやむしろ彼女こそが本物のガス人間であってガス人間と称する男は第二号に過ぎないよという意図のもとに構成された物語であると視ています。
やっばり無理があるか?いや、そうではあるまい。
以下の異端の解釋を読む前に、純愛好きなら『ガス人間第一号』を必ず観るように。
この作品は大胆な省略法を採用することによって成功しており、住む世界のまったく違うふたりがどうやって恋人となったのか、名門で踊りも名手であるはずなのにこの流派がなにゆえ没落したのかよく判らんようになっている。なにより、八千草薫がなにを考えいるのかまったく判らない。
己のすべてどころか世界のすべてを捧げようとしているガス人間の純愛に対して、同じく愛情を持ってるのか単なる道具と想っているのか、自分のために爲される兇惡犯罪についてどう想っているのか、舞踊に執拗にこだわるのは芸術上のことなのか名門の意地に過ぎないのか一切合切なんにも判らない。
名門の日本舞踊の女の家元なのに長唄で能を舞う松葉目物、それも新作をわざわざやるという話なのは、美女と般若のふたつの能面を交互につけさせるためなんだろうけど、八千草薫はそんなよくある女の二面性の怖さを遙かに凌ぐ複雑な造形をされている。むしろ感情のまったくない気体と云っていいほどの透明な存在ゆえにあらゆる情念を内包しているように感じられる。
何事にも無関心に見える彼女が唯一執念を燃やす舞『情鬼』は「蒸気」と掛けているのだろうし、貌を白塗りにしているのも「蒸気」と化してしまったことを象徴しているのだろう。
そして、最後に劇場に充滿したガスに点火することによって自らほんとに気化し、ガス人間と一体化する。ここで彼女の芸術と愛情は完結する!三島由紀夫にも通ずる見事なる物語構成だ!
婦人記者が「女として」舞踊を取りやめるように説得するが、無反応のまま八千草薫は強行する。その上に点火装置を切ったのはおそらくガス人間ではなく彼女で、最後まで舞い終わったあとに自ら点火することによって、芸術家としても女としてもすべてを、絶対の美を手に入れるのだ!
客のまったくいないがらんとした劇場でただひとり満足気に理想の女の舞を見詰めるガス人間と、屈辱的な状況でも凛として舞い続ける美しすぎる八千草薫!なんと素晴らしい完璧なる構図!
この物語で眞の絶望者であるのは肉体を欠損してしまった土屋嘉男ではなく八千草薫のほうである。最後、彼女の衣装の切れ端を握り締めながら劇場の外に這い出す土屋嘉男はじつは燃えカスの個体なのであって、眞のガス人間は見事に気化して姿を消してしまった八千草薫のほうなのである。いや、彼女は最初から一貫して気体であったのだ!
東宝特撮にお馴染みの顔ぶれが並ぶなかでひとり異様な感じさえする配役の八千草薫は、宝塚出身で日舞の心得があるから連れてこられたんだろけど、あれだけの柔らかい美貌なのに底知れぬ冷たさと怖さを同時に併せ持っていてもうこの役に填りまくり。『生きている小平次』でも女の怖さを見せてたけど、最後まで正体を隠したこっちのほうが怖い。こういう役ではよくある細身の冷たい美女ではなく丸まっちいのでパラボラ好きにもたまらん。
省略の多いこの物語、とくに眞のガス人間・八千草薫を読み解くには劇中舞『情鬼』を読み解かねばならぬであろう。あたしはドラマに引き込まれてしまいこの長唄の歌詞を一言も聴き取れなかった。もうすぐ販売されるDVDを観ても冷静に聞き取れるかどうか自信がない。
『情鬼』の歌詞が載っている文献があればご教示いただきたい。パンフには解説があるのでしょうか。探偵小説には『情鬼』という作品がいくつかあるけど、なんか関連性はあるのでしょうか。作詞の片山貞一という名は聞いたことないけど、どういう人なんでしょうか。
もう一度念を押すが、純愛好きの諸氏は必ず『ガス人間第一号』を観なさい。できればスクリーンのほうがよい。
絶望者であるなら号泣できます。
4/2 君よ!そこに遺書は遺せたのか!?も参照のこと。
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 泣ã„ã¦å¯ã‚‹ã€‚
50年ぶりの全通しとかいうことで国立劇場の『三人吉三廓初買』を観る。
ひさしぶりの歌舞伎なのにまた苦手の幸四郎。あたしが歌舞伎をほとんど観なくなってから幸四郎シンクロ率が70%を越えておる。それだけ珍しい演目をやってるということかな。同じく珍しい復活演目をよくやってる菊五郎はなんか観逃しておるというに。
もっとも、七五調のせりふとガチガチの構成とで絡め取られた黙阿弥芝居では幸四郎は逆に生きる。悪くない。
赤の他人のはずの三人がなぜか同じ吉三という名で義兄弟となり、じつは親子だったり、親のカタキなり、近親相姦なり、また同性愛なり、殺し殺され盜み盜まれ、登場人物たちがおよそ考えられる限りのあらゆる関係を互いに結んでゆく。その人々の間を名刀庚申丸と金百両が複雑に流れてゆき、最後にこのふたつのアイテムが揃ったときに張り巡らされた因果は緘じ、三人吉三は差し違えて死ぬ。
主役は明らかに庚申丸と百両で、これは何かというと関係の視覚化で、つまり張り巡らされたリンクそのものが物語の主眼である。丸まっちいものとトンがったものの結合は、アムロがビームサーベルでララァのエルメスを貫いたのと同じリンクを象徴しているのでしょう。
七五調の流麗華美なるせりふも登場人物の心情やテーマを語るものではなく、ただ調子よく美麗な形象を形造るためだけのものであって、前後の言葉との関係から紡ぎ出されて成り立つものである。また、八百屋お七と寺小姓吉三との恋物語を踏まえている。
日本のヲタク文化が先行する作品を踏まえるのは、ネタに困窮したゆえのパクリではなく、パロディーでもたんなるリスペクト引用でもなく、何かと結びついていることそのものに意味があるのである。なにゆえか孤立が重要らしい歪んだ西洋文化とはまったく違う。ヲタク作品にオリジナリティーなど求めるのは、ウェブ上にサイトを構えながらリンク拒否しているようなもんで、根本的錯誤ではある。
とくに黙阿弥は因果(リンク)にもっともこだわる作者で、そのなかでも『三人吉三』は極めつけ。ここまで縱横に絲が張り巡らされ雁字搦めだと登場人物はもはやたんなる人形で、幸四郎の如きリアリズム演技のはみ出し具合が却って面白味となる。どれほど歌舞伎らしくなくやっても簡単に跳ね返すほど強靱なる構築が事前に施されている。
戦後ずっと上演されてきたダイジェスト版『三人吉三巴白浪』では三人のアウトローの物語で因果は背景に過ぎなかったが、今回の復活で因果が主役だとはっきりした。もっとも、あたしには観ててよく判らんところがあって、原作に当たってみたらやっぱり肝心なとこが切られてる。ミッシングリンク回復のための復活上演のはずなのに、もうちょっとなんとかしてもらいたいもんだが。
染五郎の女形は相変わらず評判著しくないようで。あたしはというと一年前の桜姫の時と比べて女形が板についてきていたのに感心する。
もちろん、あやうい刹那は眼に余るほどあるものの、こういう危なっかしい時期こそ女形としてもっとも美味しい頃合いのような気もする。
問題はあやうさの中身で、これまで芸の未熟な女形は幾人も観てきたけど、女に成り切れない女形というのはあたしは初めてだ。『加賀見山』の岩藤のようにゴツい立ち役がわざと扮する役処さえ男と女の境界が真にあやうくなることはまず無い。演出としてやることはあるものの、役者の存在の破綻としては観たことが無い。画期的なことで、これこそ女形の原点ではあるまいか。このあたりを突いた評がないのは解せんな。
もっとも、お嬢吉三はじつは男なんであって、しかもじつは八百屋お七という役であるから女形として評価するのはなかなか簡単ではない。
歌舞伎は先行する作品を踏まえるのだから、そのへんの町人がいきなり「じつは曽我五郎」とか「じつは八百屋お七」というのは珍しくはないが、ほんとに八百屋お七ならお坊吉三との関係が同性愛として成立せず、生まれ変わりとしても妙なもので、そもそもお七の相手であるはずの吉三の名を名乗ってるのだからややこしい。もともとふたりの役をミックスして三人に分割したのは、吉三に3が入ってることやたまたま主役級の役者が三人いたからなんだろけど、よく識られた物語の<世界>をいかに変わった<趣向>で見せるかという歌舞伎の第一テーゼであるところのその趣向の対象として<関係>そのものが扱われるようになったということでもある。
リンクの先にあるものではなくリンクの張り方そのものが芸となる。黙阿弥の前にこんな多重のメタ次元のことをやったものがいるのかどうかすぐには想いつかんが、因果に拘った幕末の歌舞伎の完成者である黙阿弥ならではの趣向ではある。ヲタク文化を論ずる者はこのあたりはきちんと押さえておくように。
今回復活されたミッシングリンク・木屋文里の場で、和尚吉三の幸四郎が二役で文里をやっていた。しかし、恋仲の一重はさすがに地味な正統派女形は無理と判断したのか染五郎ではなかった。本来はお坊吉三と恋仲のお嬢吉三の役者が和尚吉三の恋仲も二役同士で勤めることで、三人吉三の歪な愛慾三角関係が緘じるはずなんだが。実際、初演時の配役はそうなっとる。
これは物語としての円環が緘じるだけではなく、人気役者同士のやおい組み合わせを客にすべて見せることに重点があることに注意。歌舞伎は最初からこういうメタ構造を持つ。
評論家の劇評を読むと「現代にも通ずるリアルな世界観」とか「登場人物の心理描写の掘り下げ」がとか相変わらず見当はずれの文言が並んでて、やおい作品にこんな評を大真面目にやってると考えればいかに莫迦かが判ろうと云うもんだが、この二役問題に触れているものがなくもう致命的だ。染五郎の出番が少なくて悲しいと嘆いているお姉さま方のほうが的確に芝居を観てる。黙阿弥はファンにこんなことを云わせる作劇を決してしなかった。
染五郎は出突っ張りで何層にも関係を構築すべきであった。恋人同士にならなければせっかく親子というリンクをしょって競演した甲斐がない。
もっとも、文里と一重の悲劇的な最後が今回は切られていて、親子でこれをやってくれたら、男女の境界に破綻というリンクを張ってくれたら、黙阿弥の目論見以上に完璧なんだが。
まあ、なんのかんのと云いつつ、脇までなかなか揃っていて大いに満足する。
あたしは文楽を観るようになってから文楽を原作とする義太夫歌舞伎は莫迦莫迦しくて観る気が失せてしまったし、南北物は役者の当たり外れが大きいと云うかほとんど外れしか観たことがない。それが、黙阿弥の通しは全部当たりだった。やっぱりぎちぎちの構成だと少々役者に難ありでも安心して観ていられる。
あたしはこれからはもう歌舞伎は黙阿弥だけでいいな。ほんとは南北を揃った顔ぶれで観たいのだけど。
なお、これは減点法でしか観れなくなってしまった字義通りの半可通の見解で、初心者は細かいことは気にせず南北のぶっ飛んだ芝居なんかから観ることをお獎めする。
ただし、誰の作にせよ最初から最後までやる<通し>で観ること。リンクが切れてしまっては歌舞伎など観る意味はまったくありませぬ。
いや、いくつかの幕だけやる<みどり>てやつがやたらと多いのです。リンクが切れたウェブみたいなもんで嫌い嫌い大嫌い。
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