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『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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Archive for カテゴリー'ヲタク'

2010/11/16  「このドラマはフィクションです」の始まりはバロム1じゃなかった!

D71 1964年にフジテレビで放映されていた白黒ドラマ『第7の男』のフィルムが発見されたということで、46年ぶりの再放送をファミリー劇場でいまやってるんですが、そのオープニングの最後に、「こゝに登場する物語 場所 並びに人物はすべて創作である」という断り書きが出てくるのを観て、あれっ?と思いました。
D72 ファミ劇が入れるのなら番組の一番最後でしょうし、画像の具合からも当時のテロップなんでしょう。
 ちなみにうちはテレビキャブチャーなんかないですし、この画像はアナログブラウン管テレビをデジカメで直撮りしたものであんまし鮮明ではありませんが、実際の画面はHDリマスターなので無茶苦茶奇麗です。

 この手の「このドラマはフィクションです」系テロップは1972年の『超人バロム・1』放映時に、ドルゲ少年が学校でいじめられたから悪役の名前を変えてと訴えたときからはじまったと当時も云われていたし、いまもあちこちで云われていて、私もそうだと信じてたんですが、すでにその8年前にはあったのですな。
 テレビに関する蘊蓄話は昔から溢れかえってるのに、なんでこんな基本的なことが何十年も解明されてこなかったのでしょうかね。
 ちょっとだけ調べてみましたが、『超人バロム・1』からこのテロップがはじまったなんて云い出したのが誰なのかはどうもはっきりしませんな。当事者である平山亨さんの『東映ヒーロー名人列伝』なんかを読んでみても、確かにドルゲ少年の訴訟のためにテロップを入れるようになったと書かれてますが、それがテレビドラマ初なんてことは云ってませんし。
 ドルゲ少年側が番組終了を求めたみたいな話も広まってますが、1972年8月25日と9月26日の朝日新聞を読むとあくまでも名前の問題で番組終了など願っていないとドルゲ少年のお父さんは明言しています。和解の内容もテロップを出すことと、再放送以外は12月1日以降にドルゲという名前を出さないということで、番組打切りが条件になっているわけではありません。読売テレビの制作部長は「当初から11月いっぱいで打ち切る予定だった」と語ってまして、和解をした9月25日にはすでに番組終了を決定していたみたいではありますが。
 改めて記事を読んで、ドルゲ家の母国西ドイツでは「氏名権」が民法に明記されていて、それを根拠に訴訟が起されていたことを知りました。ヨーロッパでは氏名権が確立されていて、この手の訴訟はわりとあるようです。氏名権は日本の民法には明記されていないものの、民法第710条「財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない」に含まれるという学説が有力なんだそうで。
 ついこの間もフランスでこんなニュースがあって無茶な話だなと思ったんですが、それなりに正当性はあるみたいです。
 


「娘の名前を車ブランドに使うな」、仏ルノーに差し止め訴訟

【10月22日 AFP】仏自動車大手ルノー(Renault)の新型電気自動車「Zoe」(ゾエ)の名称のせいで、わが子がイジメにあうかもしれない――。このような理由で、「ゾエちゃん」を娘にもつフランスの2家族がルノーに対し、名称の使用差し止めを求める訴えを起こした。

「そろそろオイル交換の頃じゃないか、とか、エアバッグを見せてみろ、などと(子どもたちが)言われるのを聞きたくはない」

 ルノーを訴えた親の想像力はなかなかぶっ飛んでようにも思えますし、裁判所は訴えを却下したようですが、ドルゲ少年に関しては共感できます。ドルゲ少年側を理不尽なクレーマーみたいに云ってる人もいますけど、現実にあのドルゲに自分の名前を付けられたらそれは目茶苦茶キツイですよ。
 ドルゲだけでも嫌ですが、毎回出てくるドルゲ魔人は仮面ライダーの怪人のような格好良さなど微塵もなく、ただただグロい異様さだけを追求したいまだに強烈なインパクトを残すネタとして熱く語られるウデゲルゲやクチビルゲなんですから。ヤゴゲルゲの子守歌も、自分の名前とセットなら笑ってばかりもいられません。オープニングでは毎回「ドルゲとは地球の平和を乱す悪を云う」とか思いっ切り宣言されてますし、ほかのヒーロー物の悪役とはいろんな意味でちょっと違うだろうと思います。子供の頃観てドルゲがトラウマになってる人は、他の番組の悪役より遥かに多いでしょう。しかも、賠償金を払えとか訴えてるのではなくて、とにかく名前をなんとかしてほしいと云ってるだけなんですから。
 なお、「ドルゲ」というのは意味のない言葉だとドルゲ少年のお父さんは語ってまして、それもまた凄い話ではあります。世界的に意味のない姓なんてそんなにいくつもあるもんなんでしょうか。下の名前なら最近の日本では音の響きだけで名付けたりしてるようなのも多いですが、日本で意味のない姓なんてありますかね。

 今回ウェブもいろいろ経巡ってみて、何年かのちにテレビ番組でこのドルゲ一家を探したけど見つからずに実在しないことが判明した、「このドラマはフィクションです」系テロップは誰かのいたずらから始まったという、「噂からできた放送業界のルール」なる話が広まっていることを知りました。
 これは『やりすぎコージー』というテレビ番組で3年前にやった「やりすぎ未公開都市伝説」で伊集院光が語ったものらしい。
 しかし、ドルゲ少年のお父さんが兵庫県在住の音楽家であることは当時の新聞を見ればすぐに判ることなのに、伊集院は「八王子在住の医者」とか云ってたみたいだし、これは都市伝説と云いつつネタを披露する番組なんですかね。観たことがないので私にはよく判りませんが。この番組のDVDではバロム1の映像が使えなかったからなのか、伊集院は削られているようですし。
 ドルゲは姓なのでお父さんもドルゲさんですが、この人は音楽大学教授で、訴えを起す何年も前にピアノリサイタルを開いていたことが新聞広告でも確認できますから、実在の人物であることは間違いありません。朝日の大阪版には両親の写真も出ています。探そうと思えば、大学なり教え子なりから辿ってそれほど難しくはないでしょう。つーか、伊集院がこんなことを語ったちょっと前に神戸生まれのドルゲというバイオリニストの方がコンサートを開いてますが、この人は年齢から見てドルゲ少年の弟さんではないですかね。
 伊集院の話をほんとのことだと信じてる人もいるみたいで、意図的に都市伝説を創ってしまってもあんましおもしろくもないと思うのですが。まあ、そうでもないか。おもしろけばいいんだけど、これはどのへんが笑い処になるんかね。
 意図せず実在の人物の名前を悪役につけてしまったことよりも、意図的に、いや意図的じゃなくても、実在の人物を実在しないと云うほうがよっぽどひどいような。それこそ氏名権や人格権の問題ともなってきます。
 番組を観てないのでよく判らないのですが、名前を偽ってテレビ局に抗議したなんてことまで云ってたとしたらますますひどい。ウェブ上の書き込みではこういう具合に受け取っている人もいますが、「噂からできた」というタイトルから考えると、ここの部分は違うかも。しかし、直接抗議されたのではなく噂だけでテロップを付けるようになったというのもよく判らんな。
 まさか、伊集院光がこんなことを語ったなんてことまで含めた都市伝説ではないでしょうな。この番組の他の部分の映像はウェブ上に結構アップされてるのにこれはないし、DVDに収録されてないこともあって、八王子在住の医者にわざわざ変えるとか、なにもかもみな嘘に見えてくる。ウェブのあちこちに違う角度からの証言を残してここまで都市伝説として仕立て上げてるのなら、それはそれで多少はおもろいけど。あちこちと云っても、ウィキペディアとアマゾンの書評といくつかのブログだけで充分成立してしまうものではありますけどね。

 ウェブ上では1970年放映の『アテンションプリーズ』でも「このドラマはフィクションです」系テロップが出てくると云ってる人がいました。
 つい最近『アテンションプリーズ』も再放送をしてたけど池田秀一が出てくる場面くらいしか観てなかったし、これならウェブ上に映像がアップされてるだろうと思ったら、上戸彩のやつばかりがやたら出てきて辿り着けん。しょうがないからDVDで確認すると、「このドラマは日本航空の協力により制作しました。登場人物、物語等全て架空のものです。」というテロップが1話から出てました。
 バロム1のわずか2年前のこんな人気番組にあったとしたら気づきそうなもんですけど、世に数多くいるテレビ蘊蓄家も大したことはありませんな。かく云う私も気づいていませんでしたが。テロップは番組の一番最後に出るので、地上波の再放送では切られることが多かったのかもしれません。

D73D74 『第7の男』は悪役で有名な今井健二が主役の二枚目で、2年後に『マグマ大使』のモルとなる三瀬滋子がヒロインという、キャスティングの妙がなかなか。話はゆるいけど。
 テロップは初回から出てましたので、これよりも前に付けていた番組があるような気もします。1961年放映開始の『七人の刑事』がそれだと云う人もいるみたいですが、1967年以前のフィルムは残っていないそうなので、1964年の『第7の男』より早いかどうかは確定しようがありません。台本や企画書なんかで判りますかね。とりあえず、1967年のものは放送ライブラリーで観れるそうなので、どなたかこれだけでも確認してウェブ上にきちんと記述しておいてくださいよ。
 元々は米国ドラマのマネのような気もしますが、そっちのほうの研究は進んでるんでしょうか。



魔人ヤゴゲルゲが子守唄で呪う

初音ミクがヤゴゲルゲの子守唄を歌う

   


2009/3/31  ブラック・ジャックの正体はジキルとハイドなんだってば!

 ブラック・ジャックの正体はジキルとハイドの合成なんだというこの真理が広まらないのが、あたしにはどうしても悔しい(※ブラック・ジャックの素を参照せよ!)。己の情報伝播の力不足が不甲斐ない。
 これはたんなる豆知識やヲタクの蘊蓄自慢ではなくて、『ブラック・ジャック』という名作をきちんと読むためには必ず踏まえておかねばならぬことだからです。いや、受け手はともかくとして、創り手側は常に胸に刻みながら何度でも繰り返し噛み締めておくべき絶対の真理なのです。
 ブラック・ジャックのアニメなりドラマなりがピント外れになるのは、この真理にまったく気づいていないからなんですよ。このあいだの手塚治虫特番に出ていた手塚眞は、ブラック・ジャックの左右白黒の姿はたんに不気味なキャラにしようとしただけで意味はないなんて云ってたけど、これではどうしようもない。偉大なる魂が受け継がれるはずもない。
 あたしの言説に説得力がないのは画像がないことが大きいんでしょう。ひさしぶりに探してみたら、丹波哲郎の『ジキルとハイド』をYouTubeにアップしてくれてる人がいた。
 これがブラック・ジャック連載開始半年前にテレビで放映されていたのです。オープニングの白いジキルと黒いハイドの顔が半分づつ合成される場面や、後半の予告編に出てくる黒コートを着たハイドの大立ち回りを見てくださいよ。これはもう誰がどう見たって、ブラック・ジャックの素でしょうが。異論の出るはずがありません。

 新たにブラック・ジャックのアニメなりドラマなりを創ろうという人は、この丹波哲郎ハイドの強烈な悪を意識しなければならんのです。キャラの見た目だけではなく、このジキルとハイドという異様なるドラマは話そのものがブラック・ジャックであって、きちんと踏まえないといけないのです。
 さらにそこから、手塚治虫生涯のテーマが二重人格とメタモルフォーゼだったのに、ブラック・ジャックはそれに反して決して変身せず、二重人格がドストエフスキー的にひとつに融合していることにも気付かなくてはならぬのです。それはもちろん、大人と子供を併せ持ちながらも決して変身せずひとつに融合している<ふしぎな逆メルモちゃん>であるピノコにも当てはまる。
 そうして初めて、ブラック・ジャックがどんどんいい人になってしまって、手塚治虫自身がキリコを出さざるを得なくなったそのジレンマもきちんと受け止めることができる。ジレンマを感じながらキリコを出さないと、それはキリコではないのです。
 『鉄腕アトム』のふたつのジレンマが「ロボットは成長(メタモルフォーゼ)できないから不完全」と「ロボットは悪いことができないから不完全」で、手塚治虫生涯のテーマであるメタモルフォーゼと二重人格に反するため、なんとか成長させようとし、またアトラスという悪い心<オメガ因子>を持ったロボットを登場させたことと裏腹の関係になるです(※ブラック・ジャックの素 2を参照せよ!)。
 丹波哲郎の強烈なキャラをたんにパクっただけではなく、『ジキル博士とハイド氏』のふたつの人格を融合させてより深化させ、手塚治虫の生涯のテーマさえも超えた境地にブラック・ジャックはあるわけです。それを踏まえないブラック・ジャックのアニメなりドラマなりを創っている人たちは結局、手塚治虫の根本をなにも理解していないということです。表面だけなぞっても意味はありません。
 なにゆえ「恐怖コミック」だったか、もう一度よく考えて感じていただきたい。切にしかあらんことを希う次第であります。

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2006/12/10  丹波哲郎の史上最狂カルトドラマ『ジキルとハイド』が再放送!!

 絶望書店日記は、手塚治虫とブラック・ジャックの秘密を悉くあばきたててしまった「ブラック・ジャックの素」「ブラック・ジャックの素2」を世に問うためにのみ存在したと云っても過言ではなく、この一押しの記事は結構読まれているのですが、残念ながらまったく話題にもならず情報も広まってはおりません。
 これはひとえに肝心の丹波哲郎主演ドラマ『ジキルとハイド』を見てる人が極端に少なく、画像さえない当方の記述ではあんまり皆さんピンと来ていないということがあるのでしょう。
 
 あまりの凄まじさに地上波では30年間二度と再放送されず、CSでさえ滅多に拝むことのならぬ幻のドラマが、丹波さんがめでたく大霊界へと旅立たれたおかげで、丹波哲郎追悼特別企画としてファミリー劇場で5年ぶりに再放送されることになりました。
 12月27日(水)の深夜0時から2日間で全13話一挙放映というなかなかの暴挙です。ファミリー劇場やりよるなあ。あのドラマは週に一本でもかなり体力気力を消耗するのですが、年末にこれでは躯がもつかどうか。脳味噌爆裂するかも知れん。
 とにかく見れ!!!!女房を売り飛ばしてでも観るべし!!!!
 すんごいよ。とくにブラック・ジャックのアニメやドラマを制作するスタッフは刮目して観るように!!!出崎統さんなんかにもちゃんと観てほしい。
 
 ブラック・ジャック云々は関係なしに、これは史上最高のTVドラマ・・・っと云えば異論は出るかもしれんが、史上最高のカルトドラマ、それもさらに極北と云っても絶対に異論は出ない。いや、たぶん。
 事前にこれだけ煽っておいても、実際に観れば、諸氏の想像を遥かに超えた異様なものをそこに視ることになります。半端ではありません。衝撃的です。呆れます。
 丹波哲郎の凄さをすでに十二分に識ってると想ってる方も、これを観ると丹波の真の凄さに打ちのめされます。
 
 手塚治虫やブラック・ジャックに対する世間に流布する言説がいかに見当外れなものであるか、ヲタク評論のたぐいがいかに情報収集力が低く洞察力を欠いているかも判ります。
 とにかく、丹波さんがこの世への置き土産に数日遅れのクリスマスプレゼントをしてくれた今回を逃すと、次は丹波さんが天界から帰ってくるまで観ること能わざるなんてことになるやも知れません。ゆめゆめ見逃すことなきように。
 これを観ないまま死んでは、わざわざ地上界に生まれてきた甲斐がありませんよ。


2005/7/21  萌えキャラ第一号?

 萌えキャラの系譜は少なくとも手塚治虫のあやめやミッチィまでは遡れるであろう。伝え聞くところによると、当時の読者は正しく萌えていたらしい。
 しかし、彼女らの如きたんなる萌えるキャラとは次元が違ってしまって、超正常刺激が肥大化した現代のジャンルとして確立しているいわゆる<萌えキャラ>に直結するのは80年代以降、82年の『ミンキーモモ』あたりからというのが大方の一致した見解ではなかろうか。
 あたしもまあそんなところだろうと考えていたのだが、74年の玉乗りメリーちゃんを昨日発見してちょっと驚いた。この時代にここまで完成度が高いと云おうか、畸形化が完了してしまった萌えキャラがいたとは!
 80年代、いや、現代の萌えキャラと並べても遜色がないこの萌えっぷり。いったい、なんなんだこれは!
Merry なんせ、羽が生へてるだけではなくて傘まで持ってる。ここまでの組み合わせは、最先端の萌え界でもそうはあるまい。進化がまだ始まってもいない時代に、突出してサーベルタイガーの牙をすでにして装備してしまっている。

 傘は曲芸師だから持っているのだろうが、まさしく超正常刺激の徴の如き翠の二重丸を刻印したこの羽はどこから来たのであろうか。
 アゲハが出てくる『ミクロイドS』が73年、蝶々の女の子(シロチョンだっけ?)が出てくる『星の子チョビン』が74年の4月開始だけど、両者とも現在に直結する<萌えキャラ>ではなかった。『みなしごハッチ』なんかもまたしかり。
 ひょっとすると、昔の曲芸少女は傘だけではなく羽も生やしていたのだろうか。
 ともかく、羽だけでもなく、傘だけでもなく、羽と傘のこのアルス・コンビナトリア!おまけに訳の判らん玉の上での想い掛けない邂逅!水色の髪!

 この本は「NHK婦人百科」(いまの番組名は「おしゃれ工房」)のテキストで、つまりはテレビで作り方を放映していたわけであって、恐るべしNHK!!!!現在の<萌えキャラ>第一号の登場はNHKだったと云うのかっ!?それが歴史の回答なのかっ!?
 テキストの予定表によると、動く人形の放送は8/21。再放送が8/22(高校野球によって変更になった可能性はある)。夏休みの子供向け企画なので、宿題の工作として実際に作った記憶のある当時の小学生もいるのではあるまいか。
 眞に恐るべきなのは、エキグチ・クニオというこういう系統にはあんまり関係のなさそうな人形作家に、この年代にこんな萌え萌え人形を作らせてしまう、にっぽんのヲタク文化の根深さ奧深さであります。
 我等民族のDNAには脈々と・・・・。

 この人の「NHK婦人百科」の人形作品集にはメリーちゃんが載っていない代わりにと云おうか、中井英夫が推薦文を書いてて、「『人形たちの夜』という私の連作長編は、氏の援けなしには出来なかった」とかある。
 つーか、男どうし一緒に暮らしていたのか。
 この関係は『炎の女』という岩下志麻・主演でテレビドラマになったそうな。下条アトムがエキグチ・クニオ役をやったとか。テレビドラマデータベースでは出てこないな。なにゆえ女が主役なのか。
 謎が謎を呼ぶ、玉乗りメリーちゃんではあった。


2003/10/30  七変化の実身と仮身

 今月の歌舞伎座は玉三郎15年ぶりの『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』、別名『お染の七役』。鶴屋南北・作。
 絶望書店日記に記した去年末の『椿説弓張月』白縫は33年ぶり。6月の『曽我綉侠御所染』時鳥、皐月は16年ぶりと代表作を最近になって急に一気にやるのは一世一代(つまり最後の舞台)で二度とないのではと考えているファンもいるらしい。殊に最大の代表作である桜姫を19年ぶりに来年やるという噂があるそうなので、これはかなり信憑性のある話ではある。
 玉三郎の『お染の七役』は15年前に観ている。あたしはこの10年ほど歌舞伎から離れていたので、これほどの人気役をあれから一度もやっていなかったのかと驚いたが、再度観てみるとなるほどこれだけは前回が最後と一度は期したのもむべなるかなと想わされる。
 年齢も性格も性別も違う七役を次から次から目まぐるしく早替わりで魅せてゆき、舞台裏は戦場、舞台に出て休むといった塩梅らしい。あの外見からはとても信じられぬが、玉三郎ももう53歳でもあることだし。

 前回観たときは何が何やら訳が判らんかったが、早替わりは面白かったしそれが眼目なんだからストーリーなんかどうでもいい芝居なんだろうと想っていた。今回はちょっとだけ脚本がいじられて、ずいぶんと話が判りやすくなっている。
 あらためて原作を読んでみると、お染久松の心中物に御家騒動を絡ませた複雑な筋でいろんな人物が錯綜するのにじつによく構成されていて判りやすい。南北のほかの原作はあたしの頭にはあまりに入り組み過ぎて、なんか破綻してるようだけどほんとに破綻してるかどうかさえこんがらがってよく判らんというのがほとんどなんだが、逆に理屈が通り過ぎるということでもないしこれは珍しいな。

 この芝居が初演された文化文政期は早替わりが大流行で、2002/10/31 贔屓本の世界で名前を出した三世中村歌右衛門が大坂から下ってきて変化物が得意だった江戸の三世坂東三津五郎と張り合ったために、ふたりで七変化合戦が繰り広げられて大変だったらしい。ファン同士が殴り合いのケンカをしたりといったとこまでいく。
 もっとも、このふたりの七変化は舞踊が中心で、芝居の場合は『忠臣蔵』や『菅原伝授』のような定番で皆様お馴染みの七役を披露するというものだった。
 ちょうど最近、この三世中村歌右衛門の変化舞踊『慣(みなろうて)ちょっと七化』と七役務める『忠臣蔵』を鴈治郎が復活したのを観た。どこまで200年前の舞台に近いのかは識らんけれど、あれを観る限りでは早替わりはもちろんあるもののそれが眼目と云うより、とにかく人気役者が最初から最後まで出突っ張りでいろんなコスプレと幅広い芸を観せてくれるというのが値打ちであった。
 『お染の七役』は最初から七役向けに書き下ろしているのが新機軸だし、お染と久松の逢瀬のなかで玉三郎がお染になって久松になって、またお染になって久松になって母親の尼さんになるといった具合で、変化したあとより変化そのものが売り物なんであった。南北はすでにこういった2役くらいの早替わりのケレンはいろいろやっていて、それと七変化とを組み合わせたということか。早替わりには慣れていた当時の観客も「肝が潰れて見物するもしんどい」といったことだったらしい。

 今回面白かったのは玉三郎がお染になったときの久松、久松になったときのお染などの吹き替え役が伏し目がちながらもわりと堂々と貌を晒していて、玉三郎の体型に合わせてすらっとした格好のいい役者を揃えていることもあって、通常は殺そうとする存在感を打ち出していたことで、また玉三郎も早替わりの直後はわざと伏し目がちに貌を隠そうとするので、あれっこれも贋者かな?と一瞬惑わして、つまりいつもは抜け殻のような吹き替え役全員に玉三郎が詰まっているような錯覚を覚えるお得感があった。
 むしろ玉三郎は舞台裏の着替えに忙しくて舞台にはあんまり出てなくて、吹き替え役こそがこの場の主役だったりする。ほんとの主役が舞台に張り附きっぱなしになる『忠臣蔵七役』なんかとは、この点が根本的に違う。
 なんか吹き替えには玉三郎のお面を着けさせていたらしいんだが、貧弱な眼のせいか100円ショップのオペラグラスのせいか3階席からの角度のせいか、あたしにはよく判らんかった。また、ファンはお尻の形で玉三郎か贋者か見極めがつくらしいのだが、あたしにはそこまでのお尻方面の眼力はないので、他愛もなく騙されて、この吹き替えによる七変化というより七分身の効果が存分に味わえた。

 もちろん、主役の不在による吹き替え役の面白さなんてなことだけではファンは納得しないので、南北は江戸時代隨一の美貌を誇った女形・目千両の五世岩井半四郎のために唯一早替わりをしない土手のお六を用意している。現代隨一の美貌を誇る女形・玉三郎もここではぞくぞくする悪女ぶりをたっぷりと魅せてくれる。
 大勢の贋者のなかのどれに半四郎(玉三郎)が詰まっているんだろうと惑わせる場面と、これはもう半四郎(玉三郎)しかありえないという土手のお六の活躍する場面とのふたつをきっちり出してくるとは、南北はやはりただの七変化を仕込んだだけではなく、ヲタク文化にとってキャラとは何かと云うことを受け手側に意識して問い質そうとしている。
 半四郎(玉三郎)と同じスタイルの肉體で半四郎(玉三郎)と同じ衣裳を着て、ときに半四郎(玉三郎)と同じ声でセリフまで喋るあの贋者に惑い、また本物の半四郎(玉三郎)を一瞬贋者と想うとはどういうことなのか。我々はいったい半四郎(玉三郎)の何に萌えていることになるのか。そこにはお染久松というお馴染みのキャラと新キャラが七枚被さるわけであるし。
 200年前の芝居に驚いている我々は、200年前の南北の問いを突き附けられている。

 はたまた、我々のやってることは200年後の人々をこれほどまでに驚かせることができるのだろうか?

 
 
   



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