2007/3/20 私の大義を否定してッ!!
YouTubeに「三島 vs 東大全共闘」の映像なんてアップされてたんですな。しらんかった。
ずいぶん前に活字で読んでいたけど、映像を観るのは初めてのような気もする。
若き日に天皇に拝謁して立派だと感じてしまったことが出発点になっているというのは判りやすい話で、人間の思想というものはなにかしらこういう個人的な単純な体験が核にないとやはりいけないはずで、こういうのがないとただの観念的な流行りみたいなもんだけでころころそのつど着替えたりと、信用できないというかわざわざ相手をするだけ無駄などうでもいい人間になってしまう。
しかし、天皇より恩賜の銀時計を拝受したすぐのちに、三島由紀夫の場合は徴兵検査で結核と誤診されて不合格になって兵隊にならずに済んだと喜び勇んで走って帰ってきたという体験もあったわけで、大義による死という話とどういう具合に結びついているのかもひとつ判らんところもあったりする。
こっちの映像を観たのはつい数年前で、いつもの調子で「葉隠」の例を出して、武士道なんてものはほんとの武士の思想ではなく闘いのなくなった平和な時代のバーチャルな裏返しの思想で、三島の求めているのは逆説的ななにものかであるということを相変わらず表明しておるなと想っていたら、そのあとに「私」は死のために大義が欲しいではなく、「人間」はと普遍化して語っているので、あれっ?と首を傾げた。
三島がどういう思想を持とうと自由だが、すべての人がそうだというのはどういうことか。
たとえば、特攻出撃した戦艦大和の艦内で、死を前にした学徒出陣の幹部候補生が現実にこういうことを云ったのを三島が知らんわけはあるまい。
吉田満「戦艦大和ノ最期」より引用 何の故の死か 何をあがない、如何に報いらるべき死か |
さても、自分の命というのは全地球よりも全宇宙よりも重い。いよいよ死を目前にすると単なる華々しい死なんてことだけでは我慢できなくなる。大義もどんどんエスカレートする。国家や天皇なんてもんでは物足りなくなる。
三島は二・二六事件にやたらと入れ込んでいたみたいだけれども、どうも失敗したからこそいいと考えているらしい。
しかし、青年将校たちは成功するつもり満々だった。あれだけずさんな計画というか、その後の計画なんてなんもなくてもうまくいくと想っていた。君側の奸さえ取り除けば、あとは自分たちと志を同じくするはずの天皇が万事よろしくやってくれるはずだった。
ところが天皇に逆賊と云われて何もかもが無駄に帰してしまう。クーデターが失敗しただけではなくて、大義までもが否定されてしまう。
青年将校たちは自分たちの大義に毛ほどの疑いも持っていなかった。だからこそ陛下の軍隊を勝手に動かして、陛下の輔弼の臣を殺して、そのことで陛下に褒めてもらえると想っていた。
あにはからんや、烈火の如く怒られてしまったので、勝手に自分たちの味方だと想ったのに、天皇は裏切り者だと怨んで、かなりみっともない最後になる。とても大義に殉じて死んでいったという感じではない。大義などというどうとでも取れるような抽象的概念がこれだけはっきりと間違っていたと示されて死ぬということはなかなかあるまい。
三島はやっぱり逆説的に、失敗したからこそ、天皇だとか国家だとかを超越した、純粋な大義そのものがそこに顕れると想っていたふしがある。大義を疑いもしないことよりも、そこに亀裂が入って衝撃受けたほうが実感のある何物かが掴めると考えていた。青年将校たちにとっては勝手な話だし、三島がはっきりそう云っていたかどうかよく識りませんが。
よくよく考えてみれば、「葉隠」も大義だとかいちいち考えないでさっさと死ぬのが一番いいと書かれている。「図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし」と、これはつまり犬死が一番偉いということで、藩のためとか主君のためとかどうでもいいと云っているに等しい。
逆説の逆説で、平和の時代の純粋思想になってしまっている。藩とか主君とかを超越した、自分のためだけの極めて個人的な私的な武士道になってしまっている。
そうして考えてみればあの大和艦内の対話は、海軍兵学校出身の職業軍人のほうが、「大義なんてそんなものどうでもいいじゃないか」と云っているようにも読み取れてくる。それはつまり国だとか天皇だとかそんなものどうでもいいじゃないかと云っているようにもあたしには読み取れてくる。
山本七平なんかは、戦場の将兵の会話なんてすべて「死にたくない」ということが云えないから別の言葉を駆使して「死にたくない」と云っているので、そのまま表面の字面だけを読み取ってはいけないと記していて、たしかに大和艦内の対話もそういう面もあるだろうが、しかし、それだけでもあるまい。
山本七平のように南方のジャングルで何ヶ月もかかってじわじわ嬲り殺されていくのでは「死にたくない」ばっかりになるだろうが、これから特攻に出撃する若い将兵には華々しい死を迎える高揚感も当然あるだろう。
やはり、ここでは「死にたくない」ではなくて、もっと積極的に死と大義について語っているとあたしには想える。たとえ、あとづけの意味を求めているだけだったにしても。
自分の存在とはなんだろうかという哲学的な根本問題を考える時に、たいていは生と死ということから読み解こうとするのだろうが、人間だけの生と死の付属品であろう<大義>なんて処から考えてみるのも一興。
それも、その大義が破綻してこそ、純粋な私的な自分の存在が浮かび上がってくるということもある。三島が嫌いだと云っている安心している人のその安心を破ることによって何かが視えてくるということでもあろうか。
現在の天皇が自分の考える天皇でないことを前提に、天皇と云って死んでいった三島の逆説は存外に簡単ではない。そこまで幾重にも裏返さないと己の存在に実感が持てない哀しき人種がいるということでもあるが。
天皇よりも国家よりも、そして大義よりも、裏返していくという行為そのものが実感へと近づこうとする思想そのものだったりもする。
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