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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2004/9/28  <メディア循環>は誰が起こすか?

 面倒だから原文は読んでないのだけど、ここにある日本語解説の部分だけ見ると、ティム・オライリーがこれからのオープンソース・コミュニティに期待することは、以前にあたしが2003/7/26 <メディア循環>は起こっているのか?に記したようなもんらしい。
 まあ、そうだろな。たぶんあたしが識らないだけでこんなことは前から云ってたんだろけど、あちらの動きを紹介する方々はこういう部分をしっかり日本語化してくれんと横文字に弱いあたしが困る。

 <メディア循環>は、いよいよいつ起きるかではなく誰が起こすかの問題になってきたということだ。いや、大企業が起こすのなら本質的な循環にはならんと云ったほうがよいか。
 レッシグの新しい本でこんなことは論じられているんだろうか。杉並図書館にはいまだに入らないので読んでないのだけど。もう、みなさん飽きてしまってリクエストも出しておらんのだろうな。いくら杉並図書館の予算が減らされたとは云え、あの手のかしこそうで新しそうな本は2人もリクエストを出せば入るでしょうから。
 コンテンツの自由の確保を最優先させなければいけないなどという風潮を一時的にもせよ広めて、流通経路、つまりメディアの自由の確保の重要性から眼を逸らせていたので、これは良い傾向ではある。まさしく、あれこそスーツの手先だった。

 ソフトがコモディティ化(どこでも手に入るありきたりの日用品化)して、かつてハードの世界でデル社が自分では何も作らずにどこでも手に入る有り物の部品を買ってきて組み立てただけで最強のパソコン会社になったようなことが起これば、たしかにオープンソースでソフトなんか作ってても力と自由は確保できない。メディアのほうを抑えなければ。
 グーグルにすべてを握られたら、発生する問題はグーグル八分なんて皮相的なことだけでは済まなくなってくる。
 しかし、解説を読む限りでは、オライリーはお友達帳や予定表を確保しろと云っていて、これはまあ巨大企業に自分のデータを渡さない守りの姿勢としては判るけど、攻めていってほんとにメディアを抑える武器としてはしょぼ過ぎる。コンピュータープログラムがコモディティ化して、メディアを抑えるとなると、やはりコンテンツが重要になってくる。レッシグもここまで踏まえたうえでコンテンツのことを語っていれば評価できるのだが。
 あたしは一応そんなとこまで考えて、よそさんのところのデータ作成に掛かりっきりになっているのだけど、考えてみれば絶望書店主人にしかできない絶望書店の構築をほったらかして、誰にでもできるはずのデータ作成をやるというはおかしな話で、これはメディアの重要な要素であるシステム運用の問題と関わってくる。うまく人を操れていないということで。
 オライリーはオープンソース・コミュニティに「ソーシャルソフトウェア」をP2Pでやれと云ってるけど、これはつまり運用の問題はうまい具合にスルーしろということなのか。運用がなくてメディアが成り立つのか。メディアとはハードやソフトのように使われなくても一応そこに存在する物体ではなく、人々を動かしてこそ初めて成立するものではあるのだが。
 利用者も身内ばかりなら、それはメディアではなくて大企業から逃れるためのシェルターに過ぎんが、そんなものをイメージしているのだろうか。

 iTunesミュージックストアができる前に既存のレコード会社だけではなくオープンソース・コミュニティなんかもあの手のものを成立させられなかったのは、コンテンツの問題も大きいけど、運用の問題も大きいと想われる。
 いまだにiTMSに期待を抱いている輩ばかりだし。既存のレコード会社よりもうまくやる分だけやっかいな存在になるはずで、上陸していない日本は今こそ千載一遇のチャンスのはずなのだが。

 ところで、1年前にオライリーがソフトのコモディティ化についてぶちあげた時、スラッシュドットでのそれに関する議論を読んだんですけど、将来的なソフトのコモディティ化はおろか、すでに起こったハードのコモディティ化についてさえみなさん本質を理解していないみたいでびっくりしました。ここは一応プロのプログラマーやオープンソース・コミュニティに属しているような方のいるところだと想っていたのですが、日本のレベルというのはこんなもんなんでしょうか。あたしがスラッシュドットを読んだのはこの時だけなのでよく判らんのですが。
 同じ頃の2ちゃんの厨房が集まるような板での議論は、さすがにハードのコモディティ化くらいはきちんと踏まえて展開されていたのですが、どうなっているんでしょうか。