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絶望書店主人推薦本
 
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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2004/1/5  君はチューリング・テストを識っているのか!?

 いまだに「チューリングテスト」で検索して9/21 チューリングテスト被験者たちなんつう駄文にやって来る方が大勢いて、さすがのこの出鱈目なる絶望書店主人もまことに心苦しく想っている。
 まあ、これはいたしかたないことではあるが、問題はもっとも重要なるチューリング・テスト再考が検索結果の下のほうに沈んでいることだ。
 ちなみにタイトルに「チューリング・テスト」が入っているので点ありなら上位に来る。本文中には点なしのほうもきちんとあるのに沈んでいるのはほとんど話題になっていないということだ。ひょっとするとひとつもリンクされていないのか!?グーグルの仕組みともども、木の葉が沈んで石が浮く現状はこれでよいのか?!!!!!
 絶望書店日記は人が取り上げるようなことは面倒なので書かないという方針で、こんなのは放っておいても話題になるだろうと1年以上も静観していたのだが、いっこうにそういう気配がないのでしようがないから書いてみる。

 チューリングテストについて聞いた風なことを3年前に書いたわけだが、じつは大した知識を持っているわけではなかった。ウェブ上にある『計算する機械と知性』の翻訳を一応読んではいたのだが、この訳文がまったく壊滅的に理解できない。
 こういうウェブ上の翻訳活動は読み手からのいろんな意見を注入してみんなで成長させるのが筋で、訳者の方もそう望んでいるようでもあるし、とくにあたしのように異国語がまったく駄目な輩にとってこれほどありがたい活動はないのであるからできるだけ協力して大いにツッコミを入れたいところではあったのだが、なんせあまりにも取っ掛かりがなくて「最初から最後まで皆目ひとつも判りません」としか云いようがない。
 これほど訳の判らん文章を読んだのは、ラカンの『エクリ』日本語版序文以来のような気もする。ラカンのほうは誰か新たに訳したりしてんのかね。
 まあ、原文も同じくらい訳の判らん文章である可能性はあるし、それよりもあたしの読解能力や基礎知識が追いついていない可能性はもっとあるし、なにより原文を読む能力がないのであるから訳文についてとやかく云える資格はない。独占権を持って訳の判らん翻訳をされるのは困ったことだが、こういうウェブ上のオープンな翻訳はまことに結構なことではあるので大いにやっていただきたいものではある。

 さて、しかし、あたしに理解できなければあたしにとっては意味がないので、こいつはほとほと困ったなと弱っていたところ、上記の再考を見つけたわけだ。これも検索してうちにやって来る方々に教えてもらったようなもんで、「チューリングテスト」で検索して来る人数があまりに多いので、チューリングテスト業界のいまはいったいどうなっちょるのかと義憤を感じながら時々見ていたわけだ。そのころはまだタイトルが点なしだったのでそっちでは上位にあった。ちなみにあたしが見つけたのは再考の前段階の覚書のほうだったと想う。
 いまでは翻訳部分は異本「計算する機械と知性について」としてまとまっているが(こっちは多少リンクが増えたが、点つきでも点なしでも下に沈んどる)、一読するやあたしにもきちんと理解できる。判る!あたしにもチューリングテストが判るぞ!
 しかも、再考ではあたしがもっとも疑問に想っていた、なにゆえ人間と機械が1対1で対峙するのではなく、壁の向こうに2人用意してわざわざものまねゲームなんかをやらせるのかということについてなかなかスリリングな考察を展開されている。
 結局最後まで読んでもこの疑問点はよく判らんわけだが、この点についてウェブ上で大いに議論が展開されるだろうと想っていたのにリンクさえ張られてないとはまことに嘆かわしい。
 チューリングは説明の必要さえ感じてないようであるのにあたしに判らんというのは、あたしに認知科学の基礎が欠けているからなのか、英国の遊戯についての感覚がないからなのか。

 異本の最後の訳者コメントにはこのテストはあくまでデモンストレーションのためではないかという考察があって、そうであるならなかなか興味深い。デモンストレーションによって受け手に納得させることが機械が知性を持つ証明になるという二重のチューリングテストになっているわけだ。どんな立派な理論でも人々に理解されないのなら存在しないのと同じで、知性とは何かという問題と何周か巡り巡って結局は関わってくる。
 はたまた、デモンストレーションしたかったのは機械の知性についてなのか、ものまねゲームのほうだったのかという問題もある。ものまねゲームは最初は男性と女性が壁の向こうにいてどっちが女性か当てるものだったわけだが、機械と人間の区別がつかないと機械が知性を持ったと判定できるのなら、壁の向こうの男性が女性と区別がつかないのならその男性は女性だという理屈になる。同性愛者のチューリングにとってほんとに訴えたかったのはどっちなのか、区別のつかないあたしにとっては両者は一緒だということなのか?自明のこととしてものまねゲーム導入の意味を説明しないのはこのためのトリックなのか?
 最終的にものまねゲームに性差が関係なくなるのはチューリングにとって性などより大きな問題が出てきたのか、反対により大きな問題に膨らんで自殺へと追い詰められていたからなのか。
 性差を放棄してもやっぱり1対1で対峙するのではなく、あくまでものまねゲームにこだわるのはどういうことなのか。性なんて取り替え可能な幻想に過ぎないと云っているのなら、意識や知性も幻想に過ぎんと考えているのか。
 なんにせよ、チューリングテストについて言及している方々はどのくらい元の論文を読んでいて理解しているもんなんでありましょうか。

 ところで、9/21 チューリングテスト被験者たちの前半では、「紙の上のキャラには意識や智能がある」というなかなか大胆な思想をあたくしは提示しているわけですが、どの程度通じておりますかね。あー、モニター上のキャラは声優なんてアミガサっぽい因子が加わるのでとりあえずは外しておりますが。
 こんなことを主張している莫迦はほかにもいるんでありましょうか。