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『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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2008/12/31  『盟三五大切』の謎が完璧に解けた!

 鶴屋南北の『盟三五大切』(かみかけてさんごたいせつ)では、最後に薩摩源五兵衛が「こりやかうなうては叶ふまい」というよく判らないセリフを吐く。
 これまでいろんな人がこのセリフについての解釈をしているが、私にはどうにもピンとこないでいた。それが、管賀江留郎氏の江戸時代のモテない男の無差別殺人事件を読んで、そこに記されたひとつのキーワードから初めてこの芝居の構造が判り、このセリフの意味がはっきりした。いや、思わず知らず「こりゃこうのうてはかなうまい」と呻くこととなった。
 初演から180年間、これまで誰ひとりとして読み解くことができなかったこの芝居の意味を知るや、諸氏も思わず知らず「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉が口から漏れるに相違ない。また、南北の恐るべき忠臣蔵の読み取りも判明して驚愕することとなろう。
 順を追って説明してみる。

 この芝居は、文政7年(1824)7月28日に、江戸深川の妓楼で松平因幡守辻番の足軽野村三次郎が5人を殺害した実際の事件を元にしている。
 加藤曳尾庵『我衣』(『日本庶民生活史料集成 第15巻』収録)によると、馴染みの遊女哥咲に怨みを抱いて殺そうと夜中に押し入ったが従業員の男に留められ斬り殺して逃走、明け方にもう一度押し入り遊女4人を斬り殺し、先の殺した男の死骸を運び出すために来ていた人足ひとりを重体、料理人を軽傷とする執念深さだった。
 後日の改めて情報を集めた記述では遊女3人は重傷を負わしただけで死んでないようにも読み取れるが、いずれにしても肝心の怨んでいた哥咲が逃げて無事だったことには変わりない。哥咲が標的になっているらしいことを知った妓楼側が、最初の襲撃のあとに彼女を待避させていたのである。
 足軽三次郎は逃亡し、あるいは逃した遊女の行方を追っていたのかも知れないが、恨みを晴らせないままに8月1日に銀座で逮捕された。
 怨んでいた理由は判らないが、とくに漏れ伝わらなかったということはごく普通に惚れていたけど振られたということだろう。少なくとも、南北を含めて当時の人々はそう受け留めていたはずだ。
 9月に天然痘が蔓延し、医者だった加藤曳尾庵は多忙を極めたので日記の更新はなくなり、そのまま年末に、これまで役にも立たないことばかり二千枚以上も書いてきた我が罪が恐ろしく「もはや一筆も起すまじと心にかたくちかいける」とブログ終結宣言を出して、くだらないことばかり書く罪も一向に自覚せず未練がましく一年ぶりに書いたりするどこやらの痴れ者とは違ってほんとに一筆も起さなかったので、この足軽がその後どうなったのかは定かではないが、間もない頃に死罪となったのは間違いないと思われる。

 『盟三五大切』は翌年の9月25日の初演だが、並木五瓶の『五大力恋緘』(ごたいりきこいのふうじめ)の<世界>なのに、五人斬りの場面で惚れた芸者の小万に逃げられてしまうのはこの事件を踏まえているからだ。
 それからしばらくのちに小万の殺し場があるのは、振られた怨みある女を討ち漏らしたまま死刑となったモテない足軽の無念を、忠臣蔵と同じく一年後に晴らすという、<非モテ忠臣蔵>としてこの芝居を創作したということで間違いないだろう。
 小万の首を斬り落として愛染院へ持って帰るのは、忠臣蔵で<義士>たちが高師直(吉良上野介)の首を主君の墓がある光明寺(泉岳寺)に持ち帰ったのに対応する<非モテ義士>の武勲を示す壮挙となる。
 ところが、薩摩源五兵衛(不破数右衛門)は首と差し向かいでご飯を食べたあとに怒って首にお茶をぶっかけ、事の顛末にまだ満足していない。恋敵の三五郎を討っていないからだ。
 そうなるとこの場面にある四斗樽のなかに隠れている三五郎は、炭小屋に隠れている高師直(吉良上野介)となり、その死は仇討ち成就ということになる。
 また、己には小舅となる小万の兄を殺した罪で切腹する三五郎は、主のために騙し取った金が、じつはその主のものだったという「いすかの嘴の食い違い」から、早野勘平でもあることが容易に判る。宿敵・高師直であり、早野勘平でもある三五郎が、さらには180年間誰も気づかなかったもうひとりの化身であることを知るや、「こりゃこうのうてはかなうまい」と唸ることになるのである。

 ウェブ上ではもっとも頼りになる歌舞伎評論を展開している歌舞伎素人講釈でさえもそうで、『盟三五大切』の最後が討ち入りになるのは忠臣蔵が<デウス・エクス・マキーナ>として働いていると云う人が多いのだが、明確な間違いだ。源五兵衛の側も三五郎小万の側も、忠臣蔵と関係していることは最初から強調されて、そのためにすべての事件が起きるのであって、最後に唐突に忠臣蔵なり義士なりが出てくるわけではない。
 しかし、源五兵衛は討ち入りには参加したくないという立場で関わっており、最初は女に入れあげたため、最後はその女も含めて大勢の人を殺してしまったためとなっている。それが、どうして急に<義士>に参加することになるのか。
 森山重雄『鶴屋南北 綯交ぜの世界』にあるように、これは<やつし>なのだから、源五兵衛が不破数右衛門に戻ったところで別人物になって罪が消えてしまうからだというのは明らかに正しくない。彼は不破数右衛門として罪があるから討ち入りに参加したくないと云っている。

 民谷伊右衛門と小万の兄の弥助のふたりが塩冶家の金を盗んだために、その日の金蔵の当番だった不破数右衛門は主君・塩冶判官の勘気に触れて浪人となり、薩摩源五兵衛と偽名を使うようになった。判官の松の廊下での刃傷と切腹時は、塩冶家とは関係のない部外者だったのだ。
 史実の不破数右衛門も家来を斬り殺し、主君・浅野内匠頭の勘気に触れて江戸で浪人中に旧主切腹があり、赤穂藩と関係のない部外者だったために討ち入りのメンバーに入ることがなかなか赦されなかった。芝居で不破数右衛門を主人公にして、家来を犠牲にするのは、これらの事実も踏まえているのだろう。
 『盟三五大切』に於いて主人公が討ち入りに終始乗り気でないのは、判官切腹が己と直接関係ないことが影響していると思われる。それが、三五郎切腹とともに一変するのだ。

 そもそも、塩冶判官切腹とはなんなのか。『仮名手本忠臣蔵』では、高師直が塩冶判官の奥方・顔世御前に惚れて迫ったが振られたところから事件がはじまっている。
 非モテである高師直が、惚れた女の亭主でリア充の塩冶判官を切腹に追い込み、振った顔世御前も破滅させるという、非モテにとっては痛快この上ない復讐劇となっている。なんと!『仮名手本忠臣蔵』の前半は、<非モテ忠臣蔵>だったのだよ!!!!!
 鶴屋南北は『東海道四谷怪談』と『仮名手本忠臣蔵』を交互に上演して<忠臣蔵>と<不忠臣蔵>の対比を見せた翌月に、『盟三五大切』に於いて単純に<忠臣蔵>を<非モテ忠臣蔵>にひねっただけではなく、『仮名手本忠臣蔵』の前半を忠実に再現することにより『仮名手本忠臣蔵』とは<非モテ忠臣蔵>と通常の<忠臣蔵>を二重に重ねた『東海道四谷怪談』とよく似た構成の狂言だったことを喝破して示したのである。
 つまり、最後に切腹した三五郎は、早野勘平であり、主敵・高師直(吉良上野介)であり、さらには驚くべきことに主君・塩冶判官(浅野内匠頭)でさえもあったのだ。

 塩冶判官切腹に立ち会って初めて、不破数右衛門は討ち入りに行くことができる。また、忠臣蔵という芝居は<世界>は、判官切腹があって初めて成り立つのである。「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフが出てくる所以ではある。
 家来の死に当たって妙に客観的な他人事のような云い廻しで、そのあとのセリフともつながずにひとつだけ宙に浮いたような文句で、意味の解釈以前に言葉遣いとして私にはどうにも気色の悪い違和感があったのだが、これは一番肝心なものを抜いた味気ない贋物の忠臣蔵を観せられてしまうところを最後の最後に、源五兵衛と三五郎の父親の了心のふたりが互いに切腹を競い合うという役違いのじらしまでされたあとに、ようやく判官切腹に巡り逢ってほっとした、観客が役者が作者が思わず知らず口から出る言葉だったのだ。
 思い浮かべてみるがよろしい。諸氏らが『忠臣蔵』を観に行って、判官切腹がないままに終演の刻が近づいたとしたら、「おいおい、まさかこのまま終るんじゃなかろうな」と不安感、焦燥感に苛まれることだろう。そのあげく、ようやく幕引き間際になって、思わぬ展開から判官切腹が観れたとしたら、「そりゃ、こうじゃなくちゃいかんわな」と大きな安堵の言葉を漏らし、人心地つくに違いない。
 そのあとの討ち入りなどなくとも、諸氏はこれだけで大満足して家路につけるはずである。なにより重要な<世界>成立を見届けることができたのであるから。それも、危うく成立し損なう瀬戸際まで追い詰められてのぎりぎりの達成である。
 『盟三五大切』とは、このぎりぎりの<世界>成立に向けて収斂していくためだけの、ただそのカタルシスを得るためだけの狂言なのだ。
 2年後に南北は『独道中五十三駅』に於いて十以上もの<世界>を綯い交ぜとする、<世界>そのものが主題である狂言を創作しているが、じつはその前に、『盟三五大切』に於いて<世界>が成立するか否かということ自体を主題としていたのである。<世界>成立そのものが主題となっている、おそらくは唯一の歌舞伎狂言であろう。
 そのぎりぎりの<世界>成立を告げる宣言が、「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフであったのだ。

 『盟三五大切』は忠臣蔵だけではなく、並木五瓶の『五大力恋緘』と、並木五瓶自身が書き換えた『略三五大切』(かきなおしさんごたいせつ)の<世界>を踏まえている。
 これについては、下田晴美氏という広島大学の博士課程の方が、鶴屋南北作『盟三五大切』の構造 : 五瓶の五大力物を視座としてという論文で非常に手際よくコンパクトにまとめておられる。pdfだが、初演の絵本番付画像があるのでなかなか貴重だ。
 女の首の前で茶漬けを食う場面が源五兵衛と三五郎にどう振り分けられてるかなんて細かい話は読む必要はないが、ともかく漠然と設定をいただいているだけではなく、極めて細かく緻密に計算されて取り入れていることだけは知っておいたほうがよい。忠臣蔵や四谷怪談も漠然と<世界>を取り入れているだけではなく、これほど緻密な計算があると裏付けできるからである。

 さらには、初演は一番目が明智光秀物の『時桔梗小田豊作』(ときもききょうおだのできあき)、二番目が『盟三五大切』という構成で、「盟」というタイトルは「明血」を掛けているんだろうから、明智光秀の<世界>も取り入れていると考えるのが自然だろう。
 そうなると、主殺しの主題が隠されていると見るべきで、討ち入りに参加するために、あるいはそもそもの『忠臣蔵』の<世界>を成立させるために主である塩冶判官(浅野内匠頭)を無理やり切腹に追い込むという、まさしく『金枝篇』に於ける<世界>回復のための<王殺し>の如き話と捉えるしかない。
 三五郎切腹は単なる<見立て>ではなく、判官切腹そのものなのである。最初から明らかにされている忠臣蔵や義士が<デウス・エクス・マキーナ>なのではなく、なんの前触れもなくまったくの唐突に最後の最後に顕われて<世界>を忽然と開闢する塩冶判官その人が、<デウス・エクス・マキーナ>だったのだ。

 さはさりながら、180年間誰ひとりとしてここに塩冶判官が顕われたことに気づかなかったのは無理もない。早野勘平や高師直をそこに視る眼力鋭い見巧者はいても、塩冶判官を見透かすことができるほど明確には浮き出ていない。私は<非モテ忠臣蔵>という構造から逆算して、ここまでようやく辿り着いた。
 南北は前月の四谷怪談に於いて一枚の戸板の目まぐるしい裏表の交差を成功させた巧みな組み立てに自信を持ち過ぎ、明確に示さずにぎりぎりの処を狙い過ぎたのではあるまいか。次月の『盟三五大切』に於いて、まったく違うと思われたふたつの筋がひとつに交わるY字型の狂言構成のカナメを明確にせずとも受け取れられると観客を己を過信したのだ。
 だからこそ、初演は不入りで早々に打ち切られ、永らく上演は途絶えた。のちの青年座による新劇とそれを元にしたATG映画『修羅』では三五郎のセリフに塩冶判官が云うはずもない言葉がいろいろ付け加えられ、さらには今年の歌舞伎座の仁左衛門はとうとう「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフを削ってしまった。
 江戸歌舞伎と南北に最も通暁していたはずの郡司正勝さんにさえ、<世界>成立の秘鑰が見抜けず受け継げなかったのだろう。
 切腹する三五郎を、明確に塩冶判官と示して演出すべきだ。さすれば、まさしく<機械仕掛けの神>としてここで芝居が、<世界>が、丸ごとガンドウ返しを見せる快感で小屋が打ち震え、「こりゃこうのうてはかなうまい」と一斉に大向こうから声が掛かることとなるのは絶対である。

 複雑に筋が入り乱れる南北にしては『盟三五大切』は単純で判りやすいという人がいるのだが、じつはそれは南北が一番肝心な要を軸を判りにくくしたための錯覚で、そこを明確にすれば恐ろしく重層的で複雑な作劇であることが判明し、とうてい<やつし>などという簡単なもので読み解けるような代物でないことが知れるのだ。
 謎が完璧に解けたとは、その向こうにある『盟三五大切』の真の大きなほんとうの謎の存在が垣間見えたということにほかならぬ。
 一点だけ触れておくと、『仮名手本忠臣蔵』の前半が<非モテ忠臣蔵>で、『盟三五大切』も<非モテ忠臣蔵>であるなら、薩摩源五兵衛は不破数右衛門であるとともに高師直でもあって、最後は此方の高師直が彼方の高師直に討ち入りして倒すことによって、ふたつに裂けてしまった平行宇宙が融合し、<世界>の円環が緘ずることとなるのだ。ほかの作者ならこじつけとなるが、南北ならここまで計算してると断言できるのである。

 どうも、こうして見ていくと、『盟三五大切』は『四谷怪談』の続編なぞではなさそうでもある。深川の五人殺しから一年後に『盟三五大切』を上演することが先に決まり、その<非モテ忠臣蔵>を成立させるための露払いとして『四谷怪談』が捻り出されたと見るのが妥当ではあるまいか。
 『四谷怪談』の主演だった三代目尾上菊五郎が太宰府参詣のため抜けてしまい、困って急遽『盟三五大切』を拵えたという逸話が伝わっているが、元々この話はおかしく、後付けと見る方がよいだろう。大人気だった『四谷怪談』を打切り、最初から予定していた『盟三五大切』に相応しい菊五郎抜きの座組をするために、なんらかの理由が必要だったとしたほうが筋が通っているのではないだろうか。
 ぎりぎりの<世界>成立を目指すには、『四谷怪談』という先駆けが必須だったのである。
 <非モテ忠臣蔵>というキーワードから『盟三五大切』の謎が完璧に解けるだけではなく、『四谷怪談』の成立過程のみならず、これまでまったく見落とされていた『四谷怪談』の真の姿さえもが顕れ出でる。『四谷怪談』の<世界>構造も根本から読み解き直す必要があるだろう。

 さらにもう一歩遡り、『仮名手本忠臣蔵』に於ける<判官切腹>の存外に大きい意味をも、南北はここで再認識させようとしているのである。
 <判官切腹>の場面は、客席の出入りを禁止する<通さん場>となっていたのは何故なのか。<判官切腹>は神聖だからと云われることが多いが、それは必ずしも正しくはない。
 元々、『仮名手本忠臣蔵』は人形浄瑠璃(文楽)の作品である。つまり、大坂の町人が楽しむための芝居だった。
 大坂の町人は武士なんか小莫迦にしている。だからこそ、『仮名手本忠臣蔵』では武士は間抜けか卑怯者ばかりで、町人だけが「天河屋の義平は男でござるぞ」といった具合に義理に厚く勇気も持ち合わせた格好のいい役処で出てくることになる。大星由良之助(大石内蔵助)以下の赤穂義士たちは畳に頭を擦りつけ、町人の義平に平伏するのである。
 ましてや、切腹なぞは間抜けな連中の奇怪なる風習でしかなく、大坂の町人は「オオ!クレージー!」と奇矯なる見せ物として愉しむだけだ。
 早野勘平切腹は、勘違いによって必要のない死を自ら迎える、まさしく早合点の間抜けさを笑う場面だろう。史実の萱野三平を早野勘平に改編して、作者はその名前の字面にいかにもの喜劇的意図をわざわざ出している。
 笑うだけではなくそこに人間の悲哀を感じることもあるだろうが、それはあくまでも武士という大坂の町人にとってなんとも珍妙なる連中の間抜けさがもたらすペーソスであって、荘厳なる悲劇ではない。
 さんざん阿呆をやって笑われてた藤山寛美が、最後にほろりと泣かせる松竹新喜劇みたいなもんだ。

 さて、<判官切腹>にはそんなおかしみさえない。古来、この場面は人形もしどころがなく、文言も単調で、義太夫を語る太夫の側も詰まらない場だと認識していたようである。語るに力量のいる難曲だと云われるのはその裏返しである。中身がないのに盛り上げる名人の技量がないと、場が保たないのだ。
 『仮名手本忠臣蔵』はすぐに歌舞伎に取り入れられて、幕府のお膝元で武士だの切腹だのをありがたがる江戸でも盛んに上演されるようになったが、<通さん場>はそんな江戸の歌舞伎ではじまったものではなく、武士だの切腹だのを莫迦にする大坂の人形浄瑠璃のしきたりだったことは注目しておくべきポイントである。
 つまり、<通さん場>にして、客や売り子の出入りを禁じて無理やり静かに見物させたのは、そうしないと客がまともに観なかったからである。「<判官切腹>は神聖だから」などというのとは、まったく逆の理由から来たものなのである。しかしまた、そうまでして、なにゆえこの場面を客に観せる必要があったのか。
 客側としても、その幕自体は詰まらなくとも、無いなら無いで前述のように気の抜けた贋物の『忠臣蔵』を観せられたような心持ちとなるのだ。
 この切腹がないと、芝居が、<世界>が成り立たないからだ。<判官切腹>が神聖なのではなく、<世界>を成り立たせる鍵そのものが神聖なのである。たとえ、チャリ場(笑わせる場)の莫迦莫迦しい場面であっても、語る太夫は床本を掲げてその浄瑠璃の<世界>に敬意を示すが、同じく切腹その物は莫迦莫迦しくとも、<世界>成立の鍵には敬意を示すのである。

 翻って南北であるが、彼が生きた文化文政時代は幕藩体制も揺らいでいた退廃の世である。江戸の町民にとっても、もはや武士だの切腹だのは嘲笑の対象でしかない。『仮名手本忠臣蔵』や<判官切腹>もどこまで真面目に観られていたか、あやしいもんである。
 『四谷怪談』『盟三五大切』上演より30年ほど遡った寛政6年、江戸で忠臣蔵ブームが巻き起こったが、山東京伝の『忠臣蔵前世幕無』『忠臣蔵即席料理』(二作とも『山東京傳全集』第3巻収録)、東来三和の『忠臣蔵十一段続 大道具鯱幕無』だとかの、幕も無しに忠臣蔵を上演するために登場人物が入り乱れてドタバタになったり、何故か料理で対決して討ち入りして無理やりご馳走を食べさせたりするパロディー黄表紙本の人気だった。「自腹を切って奢り、馳走をする」「これ自腹の切れる痛事なり」だとか、<判官切腹>もすでに茶化されている。
 そこからさらに世は爛熟、忠臣蔵パロディー本はますます数多く刊行され、エログロナンセンスに走った南北が人気を博する化政時代である。
 文化8年の式亭三馬『忠臣蔵偏痴気論』(『式亭三馬集』収録)では、<判官切腹>の評価がこんなことになっている。
「切腹の期に臨み、由良之助はまだかまだかと度々のよまいごと未練千万、灸すえながら乳母をたずぬる小児の心に等しく武士の恥ずべき所なり」
 <判官切腹>のそもそもの原因である松の廊下での刃傷に至っては、こうまで云われている。
「まことに酒狂か血迷うたるに相違はあるまじ」
 滑稽本のひねった文言ではあるが、当時の江戸町民の一般的見方もこんなものだっただろう。
 南北自身が文化5年(1808)に作劇した明智物の『時桔梗出世請状』(現行のタイトル『時今也桔梗旗揚』)では、忠臣蔵の<判官切腹>を明らかに摸して光秀が切腹せんとする場面がある。しかし、辞世の句で「時は今」と謀叛の意を示すや、介錯の上使を斬り殺し、主君信長を討つため立ち上がるのだ。すでにして、『四谷怪談』より17年前の<不忠臣蔵>である。<忠義>だけではなく、<判官切腹>も真っ向から否定し去っているのである。
 こんな時代の『仮名手本忠臣蔵』に対する観客の興味の持ちようも推して知るべし。<判官切腹>の受け取り方も想像できよう。それは<忠義>が廃れたからではなく、江戸ではあったであろう<判官切腹>の神聖さの崩壊、それに伴う『仮名手本忠臣蔵』<世界>の崩壊ゆえだ。

 そこであえて、<判官切腹>によって<世界>を成立させることにより、詰まらない<判官切腹>の場でさえ語りで客を感動させる名人と呼ばれる太夫の力量と同じく、作者の力量を示すために『盟三五大切』は創作されたと私は視ている。少なくとも、<判官切腹>が<世界>成立にどれほどの大きな力を及ぼしているかを、ぎりぎりの処を狙って逆照射することにより示そうとしたのは、これまで考察してきた如くに間違いがない。
 そのためにも、前月に改めて原点の『仮名手本忠臣蔵』を上演しておく必要があったのだ。しかし、いまさら『仮名手本忠臣蔵』をやっても真面目に観てくれる人もいないので、仕方なく当世風の<不忠臣蔵>を「書添」えることにしたのではあるまいか。<不忠臣蔵>を外部に添えたことによって、『仮名手本忠臣蔵』自体は観客の脳内で茶化されることもなく確実に<忠臣蔵>として真面目に観てもらえるのである。『四谷怪談』に、雑音を排して静粛に観させる、<通さん場>の効果を期待したわけだ。
 つまり、『盟三五大切』は『東海道四谷怪談』の続編であるどころか、まったく逆に『四谷怪談』こそが『盟三五大切』を成り立たせるための添え物の、そのまた添え物だったわけである。『四谷怪談』ではなく、『仮名手本忠臣蔵』が前月に必須だったのだ。
 ところがその添え物としてでっち上げて完成度も低い『四谷怪談』が大ヒットして二ヶ月のロングランとなってしまったために、『盟三五大切』の上演は9月末にずれ込んだ。『四谷怪談』を無理やり打ち切らなかったら、10月以降になっていただろう。ひょっとすると、足軽野村三次郎の処刑は9月で、その一周忌を当て込んで、どうしても9月中に初日を開けたかったのかも知れない。このあたりに、三代目尾上菊五郎退座の秘密を解く鍵があるだろう。

 歌舞伎史の、あるいは南北創作史上の『東海道四谷怪談』の位置づけは再検討が必要だろう。最初から『盟三五大切』をメインとした三点セット、あるいは南北自身の『時桔梗出世請状』を書き替えた『時桔梗小田豊作』を含めた四点セット作だったのだ。あくまでも中心は『盟三五大切』で、他の三作はそれを成り立たせるための露払いに過ぎない。
 どれほど莫迦らしいものであっても<判官切腹>がなければ『仮名手本忠臣蔵』は成り立たないことをまず示し、そこから『四谷怪談』と『時桔梗』で当世風に<忠臣蔵>を徹底的に茶番にしておいてから、その最も難しい処に再度あえて、まごうかたなき<忠臣蔵>を厳然と屹立させようというのである。
 『四谷怪談』で<忠臣蔵>を<不忠臣蔵>にひねったことが退廃の時代を描いた南北の奇想の手柄のように云われていたが、まったくそうではなく、すでに<忠臣蔵>なぞお笑い草で、<不忠臣蔵>が当たり前の世の中に、<判官切腹>の聖性を、鼻先を引きづり廻すかの如き強引なるまでの作劇手腕で取り戻し、<忠臣蔵>の<世界>を成り立たせてしまうという驚天動地の奇想こそが、現実歪曲空間の遣い手、鶴屋南北の面目躍如であったわけだ。
 それは趣向を凝らしただけの、いかにも南北らしい小手先のテクニックのようでいて、しかし、<忠臣蔵>の<世界>を成り立たせる<判官切腹>の失われた聖性を確かに舞台上に取り戻すのである。かつては<判官切腹>の聖性によって<世界>が屹立したのが、<判官切腹>によって無理やり<世界>を屹立させることによって、反対にそこに聖性を取り戻すという逆説手法だ。まさしく、『金枝篇』の如き<世界>回復である。
 その刹那に発せられる「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉は、単なる芝居の段取りを取り戻しただけのセリフのようでいて、やはりこの芝居の<聖性>、<忠臣蔵>の<聖性>、あるいは歌舞伎全体の<聖性>復活を宣言する言祝ぎでもあったのだ!
 この世のすべてを引っ繰り返して笑いのめす茶番に人生を賭けた南北の、しかし己がやるまでもなくすでに世の中すべてが茶番になってしまった時代に、さらに茶番を突き進めることにより、宇宙の根源的<絶対性>を取り戻してしまう、その勝利宣言であったのだ!
 バフチン云うところのカーニバルのさらに何層も上位の難関を、しかも観念ではなく現実に打ち立てようとしたのである。茶番がすべての世の中では、究極の<聖性>を取り戻すことこそが最大の茶番となるのだ!
 究極の茶番と究極の歌舞伎を一度に顕現させる。それは齢七十に達していた南北にとって、己の集大成である意識もあっただろう。そのための二ヶ月がかりで三作品もの先駆けを準備し、満を持して打ち出した『盟三五大切』である。「こりゃこうのうてはかなうまい」とは、人生を極めた刹那の絶頂感を表わす快美の吐息でもあったのだ。
 その裏返しのそのまた裏返しである捻れ具合そのものが、南北の神髄であった。ところが、当世風などと澄ましていた愚鈍な世間の見物衆は、せいぜい一重の裏返しである<不忠臣蔵>なぞで充足し、その皮を剥いだ裡側に、てらてら蠢く真に香しい贓物を垣間見ようともしなかった。
 歌舞伎その物を「これ切り」にするほどの究極の作劇でも、まともに読み取る観客がひとりもおらぬでは成り立たぬのだ。
 それが神ならぬ身、捻れた脳髄の南北ならぬ我が身の浅ましさでもあっただろうが、豈図らんや、なんたる恩寵か、はたまた阿鼻地獄へと誘う天魔の囁きか、ここに<非モテ忠臣蔵>なる言霊が忽然として降り来たることにより、なんびとにも視ること能わなかった補助線が一閃と引かれ、鶴屋南北の極北、歌舞伎その物の真の<聖性>を担う『盟三五大切』の真実の姿に180年目にして我々は否応なしに目醒めてしまうこととなったのだ。
 南北でさえ180年前に<聖性>復活に失敗したその秘鑰を、いま我々はこの手に握り、あとは扉に差し込み廻すだけなのである。南北の、歌舞伎の、最終到達点は、扉を開け放たれ、我々見物の眸が一斉に照射されることを、生娘の肌を護り抜いたまま、静かに待ち受けているのである。

 一番肝心な要をしっかりと据え、もう一度、忠臣蔵の取り込み方などを検討してから『盟三五大切』は味わうべきだ。そうして初めて、南北の<世界>の<綯い交ぜ>の真の恐ろしさ、まさしく反対物の合一、それも単にふたつの両極があるのではなく、その極そのものが常に動的に変転して最大限に振幅するそのありように腦髓を掻き廻され宇宙が捩じ切れるが如き眩暈を覚え、宇宙に罅が入る超越的快美感に身体を貫かれることになるのだ。




※この考察を書いた直後からいろいろに想う処が積もり重なってきたので、2012/9/16に大幅に書き替えた。
 書き替えを終えようとした頃に、ウィキペディアの『時今也桔梗旗揚』の項目で、愛宕山の光秀切腹は
「『仮名手本忠臣蔵四段目』を下敷きとしている。大南北のすぐれた改作の手腕を見て取れる」
という記述を読んで、「なるほどねえ」と感心した。これはいままで私は気づいていなかった。そもそも、切腹しようとする場面があったことさえ忘れてた。
 気になって『時桔梗出世請状』関連の文献をいくつか読んでみたが、「忠四」と関係づける見解は見つけられなかった。ウィキペディアの項目を書いた方のオリジナルの読み解きですかね。原典があるなら、ご教示をいただけると幸い。
 ちなみに、最初は
「この場面は『仮名手本忠臣蔵・四段目』のパロデイとなっている。南北のすぐれたアレンジぶりがうかがわれる」
と記述されていたのが、編集されて現行の表現になっているようである。


2004/7/31  分解されざる桜姫

 玉三郎が19年ぶりの桜姫を歌舞伎座で演った。
 これだけ待たしたあげくの史上最高傑作の再演なんだから、当然ゴールデンカップル仁左衛門との共演だと誰もが露ほども疑っていなかったのに、看板が病気で抜けた猿之助一座の助っ人として『桜姫東文章』を引っ提げて参加するという暴挙に。

 猿之助が出られない猿之助一座というのはほんとに危機的状況で、玉三郎の男気は痛いほど判るものの、なにもよりにもよって幻の桜姫をと、ファンも泣いた、あたしも泣いた。

 詳しくない方のために一応云っておくと、猿之助一座というのはスーパー歌舞伎とかいうのをやっていて、歌舞伎好きには評判がよろしくないというか別物と見られてる。たんに今風の演出とかだけではなく、古典をやっても大将の猿之助からしてヘタクソというか歌舞伎らしくない。ベテランの宗十郎や段四郎がいたころはまだしもなんとかなってたが、大将もいなくなって若手ばかりを相手に桜姫ってどーすんのとみんな困惑した。
 もっとも、こと桜姫に関しては仁左衛門(つーか孝夫)以外は誰とやっても一緒なので、半端な座組よりはこれはこれでありというか、みんなやけくそでなんとなく容認された。さすがにこんなので最後ということはなく、いつの日かきっと孝玉コンビの復活が拝めると堅く信じていることもあるけど。
 以前に記したように、あたしにとって孝玉の桜姫を観たことは人生に於いてもっとも大きい驚天動地と云っていいくらいのもので、再演には1ヶ月間ご飯を一食にして生まれて初めて1等席を取ろうと悲愴な決意を固めていたのだけど、この発表には悄然としてよっぽどスルーしようかと煩悶しつつ、とにかく幕見で観るだけ観ることにした。『桜姫東文章』が観れるかどうかはともかく、玉三郎の桜姫が19年ぶりに拝めることだけは確かなことであろうから。

 昼夜通しでやったため一番心配していたカットもなく脚本的には完璧と云ってよい。とくに清玄と桜姫が非人に仕置きされて自らも非人に墮とされる稲瀬川の場がきっちりあったのが偉い。最近、幸四郎のやった桜姫は2度ともこの場がカットされ、郡司正勝自身がいろいろ難しい問題があるとか確かどこかで云ってたので、もう出せないのかと想っていたのだが、こういう点は採算度外視で伝統を護らねばならないはずの国立劇場より歌舞伎座のほうがしっかりしている。
 お姫様が最低の処まで墮ちてまたお姫様に戻るという上下清濁の振幅が最大の眼目の芝居で、この場はカナメであるのだからあるのと無いのとでは大違い。しかし、ストーリー的には完璧なのに、19年前に口が利けなくなるほどあたくしを震撼せしめた衝撃が今回は微塵も存しなかった。

 清玄と権助を演った段治郎は、歌舞伎の家の生まれではなく、まだ若く、今回歌舞伎の主役に初めて大抜擢された無名の役者であることなどもろもろの言い訳をあえて付けなくとも非常によくやっていた。猿之助一門が大嫌いな2ちゃんの伝統芸能板でも絶賛されている。ほかの若手も悪くない。つまり、問題は誰あろう、玉三郎其の人の桜姫の裡に発したのだ。
 渡辺保は「桜姫の二重の肚(内面的な心理)が観客に手にとるようにわかるようになった彫りの深さは19年前とは比較にならない芸の円熟」と今回の玉三郎の在り方を称揚している。いかにも近代的自我とやらを追い求める保っちゃんらしい。
 保っちゃんと貌はそっくりの三島由紀夫は戦後初めて『桜姫東文章』を歌右衞門で復活させたがカットが多くてうまく効果を上げられず、10年後に今回と同じ台本の決定版を郡司正勝が舞台に載せたときにこんなことを云っている。
 


『決定版 三島由紀夫全集〈34〉評論(9)』より引用

 女主人公の桜姫は、なんといふ自由な人間であらう。彼女は一見受身の運命の変転に委ねられるが、そこには古い貴種流離譚のセンチメンタリズムなんかはみごとに蹴飛ばされ、最低の猥雑さの中に、最高の優雅が自若として住んでゐる。彼女は恋したり、なんの躊躇もなく殺人を犯したりする。南北は、コントラストの効果のためなら、何でもやる。劇作家としての道徳は、ひたすら、人間と世相から極端な反極を見つけ出し、それをむりやり結びつけて、恐ろしい笑ひを惹起することでしかない。登場人物はそれぞれこはれてゐる。といふのは、一定の論理的な統一的人格などといふものを、彼が信じてゐないことから起る。劇が一旦進行しはじめると、彼はあわてて、それらの手足をくつつけて舞台に出してやるから、善玉に悪の右足がくつついてしまつたり、悪玉に善の左手がくつついてしまつたりする。
 こんなに悪と自由とが野放しにされてゐる世界にわれわれは生きることができない。だからこそ、それは舞台の上に生きるのだ。ものうい春のたそがれの庵室には、南北の信じた、すべてが效果的な、破壊の王国が実現されるのである。

 

 うーん、一言も付け加えることがない。あたしが19年前にくらくらと惑乱されたのはまさしくこの反対物の合一、それも単にふたつの両極があるのではなく、その極そのものが常に動的に変転して最大限に振幅するそのありように腦髓を掻き廻され宇宙が捩じ切れるが如き眩暈を覚えたのだった。
 今回の桜姫は保っちゃんも云ってるように、上下清濁正悪の振幅がじつに納得いくように昇華され統一的人格に取り込まれていて、両極の変転に無理がない。そう云えば段治郎もじつにうまく演っていたため、あの両極のややこしい二役に破綻がなかった。つまり、登場人物はそれぞれこはれてゐなかった!これではバラバラつぎはぎが肝の、桜姫にはならんのだよ!!前回の染五郎のほうが女に成り切れない女形という特異な壊れ方をしていた分、まだしも桜姫に相応しかった。19年間待って待って、やっと逢えた桜姫のなんたる正しき端正なるこのありさまかっ!!!!!
 もひとつ付け加えると、19年前には残月を左團次が演っていてこれがこの芝居の祕鑰だと想っていたのだが、あらためてそれが正しいことを再確認した。
 残月というのはじつに不思議な役処で、No.1の高僧である清玄が桜姫に通じたと誤解されて追放されると同時に、No.2の高僧である残月は桜姫の局である長浦に通じて追放される。桜姫に対してあくまで純愛を貫く清玄はそれゆえに桜姫を殺そうとして逆に殺されるが、残月はあくまで金のためにいやいや年増の長浦と引っ付いたのに追放されたのちも結構よろしく仲良くやっている。
 清玄の戯画のようでいて、もともと清玄が滑稽な役だからそうでもない。黙阿弥ならもっと幾何学的な対称性を持たせているところだろうが、南北は中途半端なまま放り出している。いなくても話は成立しそうなものなのに重要場面に顔を出し、しかし最後までいるわけでもないので狂言廻しといった風でもなく、なんだかよく判らない。強いて云えば、全体のバランスを崩すためにだけ存在する登場人物ではある。
 南北の魅力は全体のバランスがぶっ壊れているところにあるのではあるが、こんな全体のバランスを崩すためにだけ存在する登場人物はほかに想い付かない。今回の歌六は類似のよくある脇役としては及第点だが、残月としては全体のバランスを崩すほどの重しには到底達しておらずすこぶる物足りん。ここはやはり、左團次の如き滑稽なる小悪党でありながらも得体の知れない存在感を持った役者でないと勤まらん。
 最近は渋くてどっしりとしたカタキ役の人材不足で誰が考えても無理のある髭の意休なんかをやらされてるようだが、孝玉の歪んだ宇宙をさらに歪ませる重力場を帯びた左團次こそはまさしく稀代の残月役者であった。ここでも破壊の王国は屹立すること能わざらなかった!

 玉三郎は立っているだけで皆が口をぽかーんと開けてただただほへーっと溜め息付くしかない若き日の神祕的存在感役者から、たぶん歌右衛門亡きあと取って代わって指導的女形になろうとしたのか理屈っぽい演技派に変貌して、この2年くらいは昔の代表作を何十年ぶりに次々と再演してまた本来の理屈を超越した神祕的存在感を取り戻したと想っていたのだが、総纏めであるはずの桜姫でまたもや理屈っぽい演技派に墮してしまったようではある。
 しかし、今回は慣れない若手を引き連れての変則的なる指導的立場ではあった。段治郎がいくらよくやったとは云え、仁左衛門の代わりが勤まろうはずもなく、玉三郎ひとりだけで桜姫を成立させる演技プランを組み立てざるを得なかったのであろう。いや、そう信じたい。手慣れた相手の仁左衛門や団十郎と最近やった『曽我綉侠御所染』や『お染の七役』は往年の感情の昂りのいくばくかをきちんとあたしに齎してくれたではないか。
 理屈っぽい演技ではなく、あまりに桜姫と玉が一体化してしまったために異化効果さえ起こさずに上下清濁正悪の両極をするする行ったり来たりするようになっているのなら、これはなかなか厄介ではあるが。
 そんな桜姫も仁左衛門(孝夫)相手ならきっと・・・・いや、きっと・・・・
 なんか、転生前の白菊のことなんかまったく覚えてない桜姫に17年前の想いを一方的にぶつけて迫る清玄の如く、勝手なる19年前の想いを一方的にぶつけて迫ってるようでもあるが、恋というものはこういうものなので神ならぬ身では如何ともし難い。
 問題は往年の桜姫と同じものが現前に顕れたとして、あたしが19年前と同じ想いを抱けるかということのほうにあったりするのだが、こちらははなはだ心許なし。くだらない智識ばかりが引っ付いてしまって、まさにすでに識ってしまったことは何の役にも立たぬ。
 役者に理屈っぽいだの壊れてないなどと云っている場合ではない。こちらは果たしてバラバラの手足を自在にくっつけることができるのや否や。
 あたしは10年ほど歌舞伎から離れていて、玉三郎の復活とともにこの2年ばかりまた歌舞伎を観ていたが、またまた遠ざかりそうな気がする。
 これはとりもなおさず、孝玉コンビの桜姫の再演がいつになるのかに掛かっているのではあるが、できれば遠い先のほうがいいような気になっているのもまた事実だったりする。

 
 
     


2003/12/27  タニシの木の芽和え

 『お染の七役』が12/28(日)22:00-00:45教育テレビで放映されます。
 こんなに早くやるとは観に行った者は値打ちがありませんが、ぜひ観て玉三郎のぞくぞくする悪女ぶりと、団十郎のぞわぞわする小悪党ぶりを堪能してください。
 とくに団十郎はたまりません。客にも大受けで、玉三郎は結構喰われておりました。
 団十郎の大根役者ぶりは大らかで歌舞伎的で最高です。深刻な義太夫物なんかはもひとつですが、こういう脳天気な役にはぴったりです。
 タニシの木の芽和えを喰いたいもんです。あれは原作にも出てくるので、昔は実在した食い物だと想うのですが。いまもどっかにありますかね?

 吉田玉男の特集が12/27(土)23:00-23:30教育テレビで放映されます。好き者は見逃すことなきように。

 玉三郎と仁左衛門に団十郎が絡む『三人吉三』を、2月に歌舞伎座でやるという話があります。しかも、玉三郎は初役のお嬢吉三!
 うーむ。歌舞伎座の予定は変わることがあるのでまだ信用できんが、それにしてもこいつはすげえ貌ぶれだな。チケット取れんのかね。

 
※2015/05/19追記
 北大路魯山人が『魯山人味道』で、こんなことを書いてるようです。
「その次に木の芽和えがある。白味噌に木の芽を入れ、すり合わしたものに、たにしを和える。これも関西方面では日常茶飯として行われる。いかの木の芽和えなどに比して一段としゃれた美食である。この方が玄人食いだと言えるであろう。」
 私は関西でこんな食い物は見たことないですね。どこ行ったら喰えるでしょうか。
 ちなみに、魯山人はタニシが大好物でしたが、タニシの寄生虫で死んだという話は眉唾だそうで。

 
 
   


2003/10/30  七変化の実身と仮身

 今月の歌舞伎座は玉三郎15年ぶりの『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』、別名『お染の七役』。鶴屋南北・作。
 絶望書店日記に記した去年末の『椿説弓張月』白縫は33年ぶり。6月の『曽我綉侠御所染』時鳥、皐月は16年ぶりと代表作を最近になって急に一気にやるのは一世一代(つまり最後の舞台)で二度とないのではと考えているファンもいるらしい。殊に最大の代表作である桜姫を19年ぶりに来年やるという噂があるそうなので、これはかなり信憑性のある話ではある。
 玉三郎の『お染の七役』は15年前に観ている。あたしはこの10年ほど歌舞伎から離れていたので、これほどの人気役をあれから一度もやっていなかったのかと驚いたが、再度観てみるとなるほどこれだけは前回が最後と一度は期したのもむべなるかなと想わされる。
 年齢も性格も性別も違う七役を次から次から目まぐるしく早替わりで魅せてゆき、舞台裏は戦場、舞台に出て休むといった塩梅らしい。あの外見からはとても信じられぬが、玉三郎ももう53歳でもあることだし。

 前回観たときは何が何やら訳が判らんかったが、早替わりは面白かったしそれが眼目なんだからストーリーなんかどうでもいい芝居なんだろうと想っていた。今回はちょっとだけ脚本がいじられて、ずいぶんと話が判りやすくなっている。
 あらためて原作を読んでみると、お染久松の心中物に御家騒動を絡ませた複雑な筋でいろんな人物が錯綜するのにじつによく構成されていて判りやすい。南北のほかの原作はあたしの頭にはあまりに入り組み過ぎて、なんか破綻してるようだけどほんとに破綻してるかどうかさえこんがらがってよく判らんというのがほとんどなんだが、逆に理屈が通り過ぎるということでもないしこれは珍しいな。

 この芝居が初演された文化文政期は早替わりが大流行で、2002/10/31 贔屓本の世界で名前を出した三世中村歌右衛門が大坂から下ってきて変化物が得意だった江戸の三世坂東三津五郎と張り合ったために、ふたりで七変化合戦が繰り広げられて大変だったらしい。ファン同士が殴り合いのケンカをしたりといったとこまでいく。
 もっとも、このふたりの七変化は舞踊が中心で、芝居の場合は『忠臣蔵』や『菅原伝授』のような定番で皆様お馴染みの七役を披露するというものだった。
 ちょうど最近、この三世中村歌右衛門の変化舞踊『慣(みなろうて)ちょっと七化』と七役務める『忠臣蔵』を鴈治郎が復活したのを観た。どこまで200年前の舞台に近いのかは識らんけれど、あれを観る限りでは早替わりはもちろんあるもののそれが眼目と云うより、とにかく人気役者が最初から最後まで出突っ張りでいろんなコスプレと幅広い芸を観せてくれるというのが値打ちであった。
 『お染の七役』は最初から七役向けに書き下ろしているのが新機軸だし、お染と久松の逢瀬のなかで玉三郎がお染になって久松になって、またお染になって久松になって母親の尼さんになるといった具合で、変化したあとより変化そのものが売り物なんであった。南北はすでにこういった2役くらいの早替わりのケレンはいろいろやっていて、それと七変化とを組み合わせたということか。早替わりには慣れていた当時の観客も「肝が潰れて見物するもしんどい」といったことだったらしい。

 今回面白かったのは玉三郎がお染になったときの久松、久松になったときのお染などの吹き替え役が伏し目がちながらもわりと堂々と貌を晒していて、玉三郎の体型に合わせてすらっとした格好のいい役者を揃えていることもあって、通常は殺そうとする存在感を打ち出していたことで、また玉三郎も早替わりの直後はわざと伏し目がちに貌を隠そうとするので、あれっこれも贋者かな?と一瞬惑わして、つまりいつもは抜け殻のような吹き替え役全員に玉三郎が詰まっているような錯覚を覚えるお得感があった。
 むしろ玉三郎は舞台裏の着替えに忙しくて舞台にはあんまり出てなくて、吹き替え役こそがこの場の主役だったりする。ほんとの主役が舞台に張り附きっぱなしになる『忠臣蔵七役』なんかとは、この点が根本的に違う。
 なんか吹き替えには玉三郎のお面を着けさせていたらしいんだが、貧弱な眼のせいか100円ショップのオペラグラスのせいか3階席からの角度のせいか、あたしにはよく判らんかった。また、ファンはお尻の形で玉三郎か贋者か見極めがつくらしいのだが、あたしにはそこまでのお尻方面の眼力はないので、他愛もなく騙されて、この吹き替えによる七変化というより七分身の効果が存分に味わえた。

 もちろん、主役の不在による吹き替え役の面白さなんてなことだけではファンは納得しないので、南北は江戸時代隨一の美貌を誇った女形・目千両の五世岩井半四郎のために唯一早替わりをしない土手のお六を用意している。現代隨一の美貌を誇る女形・玉三郎もここではぞくぞくする悪女ぶりをたっぷりと魅せてくれる。
 大勢の贋者のなかのどれに半四郎(玉三郎)が詰まっているんだろうと惑わせる場面と、これはもう半四郎(玉三郎)しかありえないという土手のお六の活躍する場面とのふたつをきっちり出してくるとは、南北はやはりただの七変化を仕込んだだけではなく、ヲタク文化にとってキャラとは何かと云うことを受け手側に意識して問い質そうとしている。
 半四郎(玉三郎)と同じスタイルの肉體で半四郎(玉三郎)と同じ衣裳を着て、ときに半四郎(玉三郎)と同じ声でセリフまで喋るあの贋者に惑い、また本物の半四郎(玉三郎)を一瞬贋者と想うとはどういうことなのか。我々はいったい半四郎(玉三郎)の何に萌えていることになるのか。そこにはお染久松というお馴染みのキャラと新キャラが七枚被さるわけであるし。
 200年前の芝居に驚いている我々は、200年前の南北の問いを突き附けられている。

 はたまた、我々のやってることは200年後の人々をこれほどまでに驚かせることができるのだろうか?

 
 
   


2003/9/20  伝統の不可能性に対する単純な事実を示す人

 国立劇場で文楽『義経千本桜』の通しをやっていて、84歳の人形遣い吉田玉男の知盛に圧倒される。なんじゃ、こりゃ。あんまりびっくりしたので手を尽くしてチケットを手に入れて2度観たよ。
 正月の舞台では心許ない感じでさすがの玉男さんも老いたか無理もなしと想って、5月には復調してあの歳で元気だなあと笑って観てたのだが、今回はもうそういうレベルではなく完全復活しておる。
 歌舞伎なら座ったままでも勤まるが、人形遣いは重い人形を持って、高下駄履いて、複雑に動き廻らなければならんのだから誤魔化しが効かない。それも大立廻りの末に壮絶な最後を遂げる知盛をやろうというのだから尋常ではない。
 壇ノ浦で死んだはずの平知盛がじつは生きていて幽霊のふりをして義経に再度挑むのだが、なんかそんな姿が重なってくる。また、明治以降はいつ消滅してもおかしくなかったのに何故か復活して隆盛を極めている文楽の姿ともそのまま重なる。

 さぞや騒がれてると想いきや、ウェブ上ではあんまり評判がよろしくないな。
 たしかに玉男さんを初めとして長老連中は全盛期と比べると落ちてるのは間違いがない。とくに義太夫の人間国宝ふたりの凋落は著しい。だが、これだけの陣容での千本桜はもう最後で、これから20年や30年はないだろうし、そういう意味ではいまは文楽の黄金期でなんのかんの云うのは贅沢だ。
 若手にはいいのがいっぱいいるのであたしは文楽の未来を楽観視しているが、昭和8年に入門してほんとに文楽消滅の危機を何度も潛ってきた玉男さんがいなくなるとちょっと違ったものになるんではないかと満杯の客席で漠然と考える。
 さても、70年前の文楽を肌身で識ってる人間がいまも現役でいるというのは奇跡以外のなにものでもなく、もしも若い客が還ってくるようになる以前の20年前に玉男さんがいなくなっていたとしたら何かが一度途切れてしまって、ここまでの隆盛はなかったのではないかとも想う。

 2003/1/5 三島由紀夫の到達点に於いて、歌舞伎をまったく識らない諸氏に説くにはあまりに話が入り組むのでわざと落としたのだが、三島の云う<伝統>とは明らかに神風連的なるもので、つまり「不可能だから尊い」という逆説的なものだ。すでに死んでいる崇徳院に対する「故忠への回帰」を目指しながらも盡く失敗する源為朝を描く必然がここにあるのだろう。
 三島にとって失敗はあらかじめ予定していたことで、扇をかざして電線の下をくぐり抜け、刀だけで新政府転覆を目指した神風連の如き雄壮なる失敗を披露することで、滅んだ時代の<伝統>を逆照射しようとしたのであろう。<伝統>は次代に伝わらないからこそ<伝統>なのだ。
 ところが、同志であるべき歌舞伎役者に嘲笑われ裏切られたことにより、その尊い<不可能性>を構築することさえ適わなかったわけだ。失敗を示すことさえ失敗した。この二重の不可能性によってあの三島の絶望は招来され、1年後にもっと世間に判りやすい「不可能だから尊い」あらかじめ失敗が予定された単純なひとり芝居を演じる羽目になる。
 吉田玉男の知盛を観ていてつくづく想うのは、ひとりの優れた人物が時代を超えて生き延びるということだけで<伝統>というのは繋がるのだなという単純な事実である。玉男さんより歳下の三島が今日まで生き延びていてこの舞台を観ていたらなんと云ったであろうか。女の子でありながら男として平清盛に天皇に仕立てられた云わば偽帝、しかもこれまた壇ノ浦で死んでるはずの幼き安徳帝の言葉によって源氏への復讐を諦め千尋の海底へと姿を消す知盛の壮絶なるその姿を。
 まったくもって、寿命も才能の裡ではある。

 この玉男さんの知盛を観たことは死ぬまで自慢できるな。
 これを観ていない者の芸術だのヲタク文化だのについての言説はすべて贋物であると絶望書店主人はここに認定しておく。

 てなことを書いてから調べてみると、来年の4月に大阪で文楽劇場二十周年記念に玉男さんはまた知盛をやる予定らしい。この歳で来年の予定が決まっているのも大したもんだが、さすがに東京では一世一代(つまり知盛はこれが最後)のつもりであったようだ。
 しかし、なんか90歳になってもまたあのしれっとした貌で演ってそうではあるのが恐ろしい。自慢するのはまだまだ早いか。

 
 
     



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