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『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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2005/5/4  感情を持たぬメディア

 ホリエモンの「新聞・テレビを殺します」インタビューは、「メディアはメッセージ」ということを云い切っていてこれはなかなかすごい。
 メディアというのは中身とまったく関係なく、メディアであることのみが唯一の価値であると、こうまで断言できる人間はそうはいない。まともな頭を持っていると、ついつい中身にもこだわってしまうもんだ。これだけ何度もひつこく問われて微塵も揺るがず、頑として中身に頓着しないメディア観を持っている者はほかにいないだろう。
 中身のほうをこさえる者にとって、こういうメディアは理想的である。

 とくにアクセス数だけで判断して、それによって報酬を払うというシステムは最高のものだが、こういうやりかたに反発するジャーナリストとか自称する輩がいるというのが、どうにも合点がいかぬ。
 ジャーナリストとはある情報をできるだけ多くの人々に伝えるその増幅機能を有する者の謂いであるはずだ。多くの人々に伝えることができぬのなら、それはジャーナリストとしての能力がなく転職すべきというだけのことだ。
 自分自身の体験だとか、あるいは創作物など、己の中のものを伝えるのなら受け手を選ぶことにも一定の意味があるのだが、よそから情報を掘り起こしてきて広めるジャーナリストに増幅機能以外のどんな役割があるというのであろうか。学者なら問題を分析するだけで一応の役割を果たしたことになるが、ジャーナリズムは受け手に伝わって初めて完結するものである。

 昭和のほぼすべての日付の新聞に目を通してみて、改めて新聞というのは素人が流言飛語を書き殴るだけの便所の落書きであることを再認識したが、これら既存の素人記者にとっては、編集長なりの特定の誰かに選んでもらうことによって己の責任を回避し、そのうえで自分の技量とはなんの関係もなく会社のよく判らん権威によって増幅してもらうというのは確かに不可欠なんであろう。己自身には調査能力も増幅能力もない素人であることを重々自覚しているのであるから。
 しかし、ウェブ上の書き手も同じようにこのやりかたに反発を覚える者が多いのは情けない限りである。
 ほんとうは、新聞やテレビの素人記者の時代から、これからはウェブのプロの時代であると云いたいところではあるのだが、ウェブ上にもプロはそんなにいるわけではない。もともと、ウェブ上にもそれほど数多くいると想っていたわけではないのだが、いろいろ活動してみて想像以上に少ないことに気付いてきた。
 判りやすい例なのでまた出すが幼女レイプ被害者統計などは、作業的にめんどくさいので誰かが掘り出してくるのをずっと待っていたのだが、何年経っても誰もやらないからしょうがなくあたしがやるはめになったもので、ロリ犯罪談義をこねくり回す者がこれだけ数多くいて、もっとも基本的なデータを元にするというプロというのも恥ずかしいような初歩の手順を踏むことを想い付く輩が、既存のメディアだけではなくウェブにもひとりもいない状況ではある。
 しかし、それでも既存のメディアよりはウェブのほうがいくぶんかはプロが多いし、チェック体制も既存のメディアよりはウェブのほうがいくぶんかましではあるし、相対的にはこれからプロの時代になると云ってよいであろう。

 金融、メディア、ネットのコングロマリットというのも大変結構なもので、金は金融で稼いで、ジャーナリズムはたんに金融商売への人寄せと箔付けだけの役割でそれ自体では稼がないというのは、つまり販売や広告とは違う純粋な読者数や評判に連動するビジネスモデルとなるわけで、あたしなんかには理想のものと映る。
 たとえば少年犯罪データベースは、決まった常連が毎日訪れるようなサイトとは違ってリピーターが1割程度であることを勘案するとかなりの訪問者数があるのだが、アマゾンのアソシエイト売上げは限りなくゼロに近い。
 まあ、サイトの性格からあんまり売れないだろうとは踏んでいたが、ここまで壊滅的だとは予測していなかった。もともとあれは、国会図書館への交通費とコピー代がかさむようになってきたのでその分だけでも取り戻せればという、じつにつつましやかな考えから貼り附けたものなんだが、こんな涙がこぼれるようなささやかなる望みさえ満たすどころではない。
 Google AdSenseは審査に落とされてしまった。もっとも、審査に通ってもあのサイトの性格に合う的確な広告などなく、実入りはなかったであろう。いま付いている広告はただで場所を借りているXreaのもので、クリックしてもkangaeru2001氏には1円も入らない。
 アフィリエイトやら広告やらのあやふやなビジネスモデルだけではウェブは立ち行かないと想う。少年犯罪データベースのように向かない中身が少なからず存在する。
 はたまた、広告というのはなにゆえか中身にまで口を出してくるようになるものだし。メディア循環は既存のメディアだけではなく、電通をも葬り去らなければとうてい成立しない。 純粋な読者数や評判に連動した対価を得るにはホリエモンモデルしかあるまい。一連の騒動で注目していたのは、ライブドアは既存のメディアだけではなく、電通とも対立関係を貫こうとしていることだった。

 アクセス数だけで判断して、それに応じた面積で新聞をつくるというのは、2005/1/2 発信者より受け手のほうがウェブ的と改めてで記した
「人々の意識の分布が判るようなひとつの議論に対するブログの鳥瞰的な相関図、あるいは個々のブログなんかは関係なくそれぞれの読者数を元にしたウェブでの意識分布が色の違いで一目で判る分子運動図」
「それも時々刻々とリアルタイムで色の分布が変転していくもの」
「ハリ・セルダンの心理歴史学の基礎データみたいなもの」
というのに極めて近い、とりあえず現在でも出来る現実的な回答となる。
 ほんとに全体の意識を反映するには、ライブドアがやってるパブリック・ジャーナリストみたいな登録制ではなくすべてのブログやサイトを反映させる必要があり、またそのためにはウェブ全体を吸い上げるための仕組みか、あるいはウェブ全体を支配する必要がある。ホリエモンがリーチのみにこだわったのはじつに正しい。
 人気投票のような仕組みだと「仙台ジェンキンス」みたいなネタがトップに来てしまうといった心配をする人がいるのだけど、ほんとうに大多数の人々が選び取ったのであれば、それはネタであろうと立派な世論で、横山ノックに投票したかなりの割合の大阪府民は洒落でやってたに違いないが、選ばれたノックは正真正銘の知事であって偽物だったわけではない。

 こういう仕組みが世の中を動かして行くであろう将来を考えれば、ライブドアなんかのライバルはテレビ局ではなくグーグルになることは「EPIC 2014」みたいなちゃちいシナリオを観るまでもなく判る。対抗するにはウェブのほとんどを支配範囲にすることが必要なため人寄せにテレビなんかを利用しようとしただけのことで。
 あちこちでメディア論が盛んではあるが、グーグルにどう対抗するかが焦眉の主題になっていないことは驚くべきことではある。
 現在、少年犯罪データベースがグーグル八分に遭っているので、グーグルの怖さをほとほと痛感している。
 いや、少年犯罪データベースだけではなく、Xrea全体が1ヶ月以上もGoogle八分に遭っていて、原因が皆目判らず、しかもまったく話題にさえなっていないことが不気味でしようがない。グーグルにとっても損になるはずなのに、市場原理が働いていない。何が起こっているのか探索し明らかにしようとするジャーナリズム原理も働いていない。
 グーグルに対抗できる中身に口出ししないメディアならあたしはどこでも支援する。ほかではインチキ商売をしていようが、犯罪を犯していようが、口出ししない文字通りの流すだけのメディアを維持して、しかも人と金をウェブに注いでくれるのなら、これ以上のことはない。
 既存メディアの輩が反発するのは判るが、ウェブの住人がこういう相手に反対する理由がよく判らん。実際にやることが変わってくればまた別だが、いまのところホリエモンの云ってることは正しいようにあたしは想う。
 絶望書店日記で繰り返し述べてきた書き手が使いこなす無色透明なメディアとして、実際にやるのがホリエモンでも誰でもいいが、方向としてこっちのほうに行ってもらいたいと願っている。
 メディアの支配者が、ほんとうに金だけが目的なら、あたしは安心して信頼できる。感情を持ったメディアは危険だ。