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絶望書店主人推薦本
●女の子向け

 
『炎の女 伊藤野枝伝』

岩崎呉夫 昭38年初版 七曜社 カバー痛み 2000円
伊藤野枝の28年間の無茶苦茶な人生も凄いけど、それ以上にこれは本として実に良くできている。とくにラストは胸締め附けられる!!女子読むべし!!


●男の子向け

 
『ニューヨーク武芸帳』

坂本正治 昭51年初版 中央公論社 並上、少カバー痛み、帯 2000円
坂本正治の痛快本!!前途渺茫たる学生さんには殊に強く推奨いたします。男子読むべし!!売切れました。


●言葉に戯れたい人向け

 
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
三島由紀夫『小説家の休暇』『裸体と衣裳』をも越える多彩なる思索日記。うねうねとたゆたう独特の文体もたまりませんです。



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2003/7/14  ブースカは帰ってくるか?

 このあいだまで日本映画専門チャンネルで『快獣ブースカ』をやっていて、何十年ぶりかに観た。
 白黒番組のためほとんど再放送されておらず、最後に観たのはいつなのかも忘れているくらいで見事に頭からすべて消え去っていたが、とにかくあの最終回にぼろぼろ泣いたことだけははっきりと覚えている。世界三大涙の最終回は『ジャイアント・ロボ』『ハクション大魔王』『快獣ブースカ』でありサリーちゃんやらなんちゃらの犬やらは含まれないことに議論の余地はないが、そのなかでも特にブースカは悲しかったという記憶がある。
 たぶん小学校低学年以来に最終回をきちんと観て、じつはあまりぴんとこなかった。それからビデオで3回くらい観返していてこれは想ったより深い構造であることがようよう知れた。

 ブースカと弟のチャメゴンは10光年離れた星に光速ロケットで探検に出掛ける。2匹の快獣や見送る子供たちは20日で帰ってくると想っているが、相対性理論の浦島効果により帰ってくるのはじつは20年後であることに主人公でブースカの生みの親である大作少年だけが気付いてしまう。
 『ハクション大魔王』の最終回も魔王やアクビとの別れが悲しかったわけだが、別れの悲しさは主人公のカンちゃんだけではなく魔王もまわりの子供たちも共有している。同じ別れでも『ブースカ』最終回の悲しさは大作少年だけが真実を識っていることにあるのだと想っていたのだが、どうもちょっと違ったようだ。
 ストーリーを覚えていないのにこんな風に考えていたのは、1967年の最終回から20年を経ていよいよブースカが帰ってくるぞといった特集が16年前からいろいろあって最終回のダイジェスト版をテレビで観たりしていたからだが、今回よくよく観てみるとそうではない。

 そもそも、由利徹博士が開発した光速ロケットにブースカが乗る理由がかなり稀薄なんであった。
 人口爆発によって地球がパンクするので別の惑星に移住するための植民地を築かねばならず、人間が光速ロケットに耐えられるように訓練するには3年も掛かるからという一応の話はあるのだが、明日すぐに地球が破滅するというわけでもないし、どうしてもブースカでなければならないという決定的な外的要因がない。由利徹博士はかなり嫌らしい大人の論理で大作少年を説得しているが、ブースカに一言真実を告げればロケットなんかに乗らないだろうから最終決定はあくまで大作少年の意志に任されている。
 みんなが20日だと想っていてじつは20年掛かるという浦島効果の話としてはかなり無理のある逆転の説明(子供のときはもちろん判ってなかっただろうし、今回も一度観ただけではおかしさに気付かなかったくらい大胆にうまく処理している)は、大作少年だけが悲しい真実を識るためではなく、彼自身にブースカと別れるという決断をさせるためにあったのだ!

 『ジャイアント・ロボ』の最終回ではギロチン帝王の躯が水爆何百個分の核エネルギーの固まりであるため地球が吹き飛んでしまうという絶体絶命のピンチに追いつめられる。そのとき、大作少年の命令に絶対逆らうことのなかったロボが命令を無視してギロチン帝王を抱えたまま飛び立って隕石へ体当たりをしてもろとも爆発する。
 これもぼろぼろ泣ける悲しい別れの最終回だったが、それは主人公の意志を無視する形の別れだったのだ。同じ大作という名前を持ちながら、なんたる対称性かっ!
 仮にこの大作少年が決定を下していたとしても、なんせ地球がいますぐ爆発するのだからロボを犠牲にするしかほかに選択肢がない。彼が命令したとしてもそれは形式上のことで彼の決断とは云えない。自らブースカとの別れを選び取ったもうひとりの大作少年とは根本的に違うし、それは別れのあとの少年の内面をも規定するはずである。

 また、刹那の出来事であるロボとの別れとは違って、ブースカとの別れは決断から丸1日もある漸進的な別れ、まさしく身を割くような別れでもある。
 『ハクション大魔王』も別れまでに時間はあったが、そのあいだカンちゃんは魔王となんとか別れないようにと一生懸命頑張る。大作少年はなんにも識らずにニコニコ笑っているブースカや子供たちと涙を隠して遊びながら、秘密をひとりで背負い込んでなんとか別れようと一生懸命頑張る。もう、泣ける泣ける。
 こんな試煉を少年に課して自らの意志で成長を選び取らせるなんてのは、最終回は市川森一との共作ながら上原正三のいかにもやりそうなことだ。金城くさいところもちょっとだけあるが。
 念のため市川森一のインタビューを読んでみたが、あくまで別れの物語として、少年自身の「意志」としては捉えてなかったし。もっとも、夢に拘る市川森一らしく登場人物同士の別れではなく「夢物語はいつかは醒めなくてはならない」というような表現ではあったけれど。合わせて考えてみると、エヴァ的ではある。

 20年という歳月は子供にとっては永遠に等しくだから悲しいんだと想っていたが、自ら選び取ったとなると20年という歳月はまさしく再会のための現実の積み重ねであり、大作少年の最後の言葉にはたんなる別れの挨拶以上の重みがある。
「行ってこいブースカ。おまえが今度帰る日はぼくたちも立派な大人だ。この地球でぼくたちは戦争をしない。誰とでも仲良くして助け合い、平和な素晴らしい星にするのだ」
「ブースカ、おまえの行く手には新しい時代が待っている。それはぼくたちの時代だ。先に行けブースカ!」

 このブースカの最終回に対する言論界の言説はどのようなことになっているのかあたしはまったく識らんのだけど、外的要因によってもたらされたたんなる悲しい別れの話ではなく、自ら選び取った「意志」の物語としてきちんと受け留められているのだろうか。
 いつまでたっても未来がやってこないなと想っていたが、<未来>というのが時間の経過のことではなく、人が意志を込めて創造する<物語>であるとするなら、あのころの子供たちがブースカの最終回をきちんと受け留めて自ら実現していないから未来に到達していないのではないか。未来に到達していないからこそ、未だにブースカは先に行ったまま地球に着地できないのではあるまいか。あれだけ泣いた子供のころには判っていたのに決断した意志を忘れてしまったのか。年月だけが過ぎ去って、我々はまだブースカに追いついていない。
 何年か前にBSでブースカとの感動の再会とかいう企画があったらしいが、大作少年役の子役の消息はつかめなかったそうだ。あのころの子供たちはほんとに立派な大人になったと云えるのか。ブースカに顔向けできないような気もするな。

 ところで、ひとの記憶力というのはじつにいいかげんなもんですね。ブースカというと毎回ラーメンを何十杯も食べてたというイメージがあったんだけど、じつは全47話中3回くらいしかラーメンは出てこないんですな。
 いや、5回くらいあったかな?このあいだ観たのにもう忘れてる。あたしの記憶がいいかげんなだけか。
 しかし、ブースカが帰ってくるのは30年後だと間違えて覚えている人がウェブ上だけでもたくさんいて、市川森一もインタビューで間違えてたし。じつはあたしもそう想ってたし。高尚な解釋以前の問題か。
 ブースカーっ!帰ってきてくれーっ!バラサバラサ!
 
 
  



絶望の来し方行く末