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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2003/3/26  戦争の判定

 なんかまたどうでもいい情報だけが流れておりますが、絶望書店日記を御愛読の諸氏には今回の戦争の判定も依然としてサウジの行方で決まることは判っておりますでしょうな。
 米国はこれからもあちこちに手を出すことになりますが、ほかで多少失敗してもサウジに親米政権がある限り勝ちで、ほかですべて成功したとしてもサウジに反米政権ができると負けなんですよ。
 対イラク作戦は戦闘の勝敗や民主化が成功するかどうかではなく、サウジ革命への影響だけがすべてのポイントで、むしろ失敗したほうが良い場合もあるわけです。

 チューリングテスト戦争なんて適当なことを吹いても、まさか米国のあの方々がここまで観念的だとは想っておりませんでした。まるで日本で唯一のエリート教育を受けた高学歴集団である天保銭組とそっくりではありませんか。
 イラクの場合はまだいろいろと夾雑物がありますが、サウジの場合は相手がもろにイスラム原理主義となりますから、もう利権なんかはそっちのけで観念対観念だけの物語を巡る戦争となりそうです。観念的なエリートが利権を漁ってるだけなら可愛いものなんですが、本気で世の中をよくしようなんて考えたらろくな事になりません。
 かのラインバーガー博士は第二次大戦を終戦直後に振り返って、時代がひと廻りしてまたイデオロギーという宗教戦争に戻ってしまったと喝破しておられましたが、ここまで実際的な利益と関係ない不合理な戦争の時代の到来を予測していたでありましょうか。なにもわざわざ世界最大の油田の上でそんな頭でっかちな火遊びをすることもないとは想うのですが、世の中というのはそんなもんなんでしょう。
 まあ、さすがにサウジに先に米国のほうから手を出すことだけは留める人々がいるだろうとは想うのですが。はてさて。サウジがどっちに転ぶかだけではなく、サウジに手を出すかどうかが米国の政権内部の勢力争いや一般市民の心の動きを映す判定基準となります。

 あたくしのような輩には物語だけの純粋戦争というのは望ましいはずなんですが、残念ながらサウジが絡むとそうも云っておられません。石油がなくなると絶望書店も成り立たなくなってしまいますので。日本はサウジや米国がどっちに転ぼうが石油を確保するという実際的な利益の元に行動してもらわんとどうにもかなわん。サウジ革命から逆算して戦略を練ってる方が日本政府にもきちんといるとは想うのですが、なんか心配になってきたな。ひとりもいなかったりして。
 どちらか一方に賭けるようなことを云う方が多くて、しかもあたかもそれが戦略的な行動だと仰る方がいたりして困ったもんです。戦国時代なんかは二股を掛けるのが当然だったのに、なんでこんなおそまつなことになってしまったのか。一方に賭けるのがいけないと云う方も曖昧がいいとか云っておりますし。明確に一方を支持する派をふたつ用意して、裏目に出た場合はトップの首だけを斬れば済むというのが常識的な戦略でしょうに。英国は伝統的に外交がへたくそなんですが、さすがにこんな初歩くらいは理解しているようです。反戦運動を嗤っているような方もここまで判ってやってるならいいんですが。
 国連のお墨付きがあればこんな小細工も必要ないわけですから、国連というのはいかに便利な装置であるかが判るというものです。いまさら国連は幻想だなんて云う方がいて唖然としますが、天皇を戴く日本人でありながら幻想の偉大なる力が判らんとはなにごとでありますか。
 それにしてもサウジの情報はまったくないな。地道にサウジの反体制派MIRAのページでも読むしかありませんか。サウジの普通の人のブロッグなんかもあるとは想うのですが、あたしの能力では見付けられないし。MIRAの訳語さえ統一されていないみたいで、ほんとに大丈夫かいな。

 せっかく形而上学的な物語が展開しようとしているときに石油の心配をするとはさもしい話でありますが、日本はせいぜい北朝鮮脅威論なんてなすぐに化けの皮がはがれそうなちゃちい物語くらいで我慢するしかありませんか。
 現在の日本で物語を組み立てようとしている方々は天保銭組ほどの頭もないということでありまして、天保銭組は莫迦だ莫迦だと想っておりましたが考えてみればあれはあれでそこそこ偉かったのかも知れませんな。