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絶望書店主人推薦本
 
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代



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2002/8/29  IT革命とは何か

 ヲタク的教養とは何かの趣旨は、ヲタク文化と歌舞伎などの江戸文化に共通点があるという一種定説のようになっている説をわざわざ否定するにあたって、あの学者さんは歌舞伎の舞台を一回も観ないで、歌舞伎に関する文献をひとつも読んでいないのではないか、もしそうであるなら知識がないということではなく学者としての基本的資質がないということではないかということです。ついでに云うとアニメ技法とかヲタク文化に疎いのも、薄いとかヲタクじゃないとかいうことではなく研究者としての能力が根本的に欠けているというだけではないのか。その一点以外のことは何にも云っているわけではないのです。
 実際にヲタク文化と歌舞伎にどのような共通点があるかなんてことは各自が本でも読んで考えればいいことで、わざわざ参考文献まで掲げたのですが、あんまり読んだ人もいないような。江戸時代と云っても文化の中心である大坂と辺境の江戸ではまったく違うことくらいは識っていただけるとありがたいです。
 知識がないこと自体はべつにいいのですが、そういう方々が情報が云々、インターネットが云々などと仰るのはいかがなものかと想います。歌舞伎に関する情報なんてウェブでも本屋でも簡単に手に入るのに、実際に使いこなしていないわけですから。これはあまりに説得力がなさ過ぎる。そもそも、インターネットによって情報の流通に何らかの変革が起こったのか?

 たとえば唐沢俊一なんて人物はあの文章を掲げてから2週間後に嗅ぎつけてやってきています。そして、唐沢日記のリンクを辿って多くの方々がやってきました。これは唐沢俊一がおかしな出来事や本を見つけてきて執筆し、その唐沢本を読んだ読者がそこに書かれている情報を受け取るという本の世界の構図とまったく変わりません。
 唐沢俊一なんて情報を見つけてくるのが得意な鼻の利く人物にとってはインターネットは便利で蒐集のスピードも上がったでしょうが、そのほかの大多数の人々にとってはあまり違いはありません。本の世界で情報に辿り着けない方は、ウェブでもやっぱり辿り着けないのです。
 唐沢日記と絶望書店日記が等価値の情報として平等にウェブ上に配されているわけではないことも判ります。

 またたとえば江戸時代の役者評判記などを見るとその情報の量と質には驚かされます。役者のタイプの細かい分類、他段階評価などデータとして明確に確立していて、さらにはひとりの役者について芝居通や町娘や悪口などいろんな立場の人々のいろんな角度からの批評が等価値の情報として対話形式で並列的に配されて、自分と近い人の批評だけ取り出して読むこともできます。まるで誰かさんがコンピューターゲームやインターネットが出てきてから始まったと云ってるようなやり方ですが、じつに粋にデータと戯れること自体のメタ次元の面白さみたいなものさえ自覚しながら完成しています。
 このほかに辻番付、役割番付、絵本番付、絵入狂言本、絵尽、役者絵、役者本、いまのカラオケと同じように役者のモノマネをするためのセリフや仕草などを解説した「鸚鵡石」などなどが新しい芝居が始まるとともに非常なスピードで量産されて、データ的にもビジュアル的にも情報があふれていました。
 そういう情報を背景に菊之丞の「菊寿香」、芝翫の「芝翫香」といった化粧品やその他もろもろのキャラクターグッズが大流行します。商品があってCMタレントとして役者を起用するのではなく、先に役者のキャラが確立していて商品が生み出されることに注意。CMタレントとして芝居のなかで宣伝する場合もありますが。
 もちろん歌舞伎の舞台そのものが最大の情報流通のメディアでありまして、役者の着物や持ち物が大流行し、現実が芝居を写すという事態になります。これは現代のタレントのファッションが流行るのとはいささか次元が違う。現代のタレントのファッションは市販のものですが、江戸時代の人々は歌舞伎という異空間の舞台のためにデザインされた奇抜な格好をマネしたわけで、これはアニメキャラの扮装をするコスプレのほうが近い。一部のファンだけではなく、我々が識ってる江戸時代のファッションはみんなヲタクキャラのコスプレなんです。
 だいたい歌舞伎の芝居そのものがキャラクター商品でありまして、観客はストーリーなんかどうでもよく役者を観に来ているのです。八百屋お七ではなく八百屋お七に扮した贔屓の役者を観に来ているのでありまして、作者もよく判っていて観客が喜ぶような役者の活躍場面をどんどん膨らましていき、八百屋お七のお話からは無限に遠ざかってゆくわけです。なんか最近のアニメそっくりのようで、まだまだアニメはここまで行っておりませんが。
 インターネットの登場によって果たして質的量的スピード的にこれら以上の情報が流れるようなったのか?何かが根本的に変わったと云えるのか?少なくとも、ウェブ上にいっぱいあるこんなようなページやこんなようなページに辿り着けない方々がそういう言説を吐くのはいささか烏滸がましいというものであります。

 反対に、IT革命なんかなかったとか得意気に吹聴している少々おつむの足りない方々もおられます。
 この絶望書店がウェブがなくとも存在したとでも云うのでしょうか。ウェブは情報の流通にはあんまり根本的な変革をもたらしていないと想いますが、絶望書店を生み出したという一点のみで革命の名に値するものなのです。情報流通なんてものとは違う次元の革命です。
 絶望書店以外に革命的と呼べるサイトがあるのかどうか、少なくともあたくしは見たことがありません。1ch.tvは絶望書店を越えた部分がありましたが、ウェブによる革命というのではないのではないかと考えています。
 詰まるところ未だに絶望書店に辿り着いていない方や、絶望書店のなかでももっともレベルが低く革命にまったく寄与していないこの絶望書店日記しか読んでいないような鼻の利かない方々にとってはIT革命は無縁というわけであります。

 同じようなことですが、ヲタク文化を極めれば歌舞伎や文楽に到達するのは必然だとあたくしは考えています。
 小松左京なんかの世代はこんなものは基本的教養として身に着けており、作品や思想に色濃く反映されています。それ以降の世代は歌舞伎や文楽にも到達できずに偉そうにSFやヲタク文化を語っていたりしてみっともないこと夥しい。あの唐沢俊一なんて方でさえ江戸時代の歌舞伎を識らなかったというのは、あたしはいささかショックでありました。
 さりながら「ヲタク的教養とは何か」にも記しましたように、いまのお若い方には歌舞伎や文楽を純粹に愉しんでいる方々が大勢いて頼もしい限りです。この十年くらいで何かが変わったのは間違いない。それは近代への批判とかそういう下卑たものとは無縁で、海外のくだらない理論にも関係がないでしょう。
 なんかあの文章を年寄りが若い者を叱っているように受け取った方がいるみたいなんですが、ぶざまな年寄りよりも若人のほうがものの判った方は多いと云っているのですよ。そんな風に受け取めた方は若いくせに歌舞伎や文楽も識らない、鼻の利かない革命に乗り遅れた哀れな人間であるというだけのことでして。
 問題はそんな低レベルの輩がレベルの高い方々を差し置いていろいろ妄言を弄することでして、こういう方々は沈默するか少なくとも己が鼻の利かない遅れた者であるという自覚を持ってもらわないと困ります。
 あとから歴史を振り返るのならともかく、進行中の革命は鼻の利く者のためにあります。ヲタクなんてのは鼻が利いて情報を嗅ぎつけてくることくらいしか能がないはずなんですが。
 メディアなんてのは、やっぱり個々人の感覚器官の延長でしかありません。その方の能力を反映しているだけなのです。