2001/2/2 自己同一性融解
先週からあめぞうりんくに絶望書店が入っているようである。
当店が開店した三年前にあめぞうはどんな段階だったかは忘れてしまったが、その手のアングラ系で話題騒然となって千客萬來てな運びになる目論見だったのがまったくアテがはずれ、当初はかなり苦しい闘いを強いられることとなった。これは絶望書店最初にして最大の誤算で、メディアというものを考えに考え抜いたつもりであった当方にとって、電網の難しさを痛烈に識らしめる顛末であった。
今頃になって、あめぞうりんくなんてわりとお上品なサイトの集まりに入れられると、逆の意味でいろいろ感慨が湧いてくる。
女性に「絶望しちゃったわ書店はちょっと近寄りがたいものがありました」とか云われて二重のショックを受けていたところだからなおさらのこと。これはやはりどう読んでみても、いつもの絶望書店は近寄りやすいということなのであろう。
かなり以前から女性客のほうが多いという事態になってはいたが、絶望書店に抱くイメージの彼我の齟齬はなにやら決定的なものになっているようである。考えないようにしていたのだが、そもそも、この三年間やってきたことは盡くすべて間違いだったのではないかしらんと、近頃煩悶するようになってきた。
ところで、あめぞうりんくというのはいかようなる仕組みとなっているのであろうか。観たところ、自ら参加を表明するか勧誘が来るかのいずれかの手順のように想えるが、当方にはどちらも当てはまらぬ。
まあ、リンクは結構なことだし、うちは一切の権利を放棄しているのであるから、いちいち断りなどなくお好きなようにつかっていただいていいのではあるが、問題はここのロボットらしきのが一日に100回以上も表紙をつついてくるようになったことである。
これまでいろいろウザウザのロボットはやってきたが、ひとつのページはせいぜい5回までであった。これはなかなか尋常ではない。
無意味に廻るカウンターを観ていると切実に虚しい。自己イメージが融解している刹那、この空虚なる攻撃はなかなか身に応える。
三年前から黒バックでやってきたはずなのに無視されているのも、寄って立つ場を模糊としてぐらつかせる。ひょっとすると、黒く観えているのは当方だけなのかも知れぬ。ひとの眸には花柄に観えているかも知れぬ。
早朝にしか更新しないはずの当店が違う時間に更新したことになってるし、すべてがなんかの間違いのような気もする。
絶望書店は速報性など微塵もないし、更新さえ毎日はやってないので、一日に一度にしてはもらえぬものかのう。
傷つきやすいお歳頃の絶望書店主人からのお願い。
絶望書店日記 

