絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2003/9/27  謎のトルコ舞踊団を見た!

 9月25日に国立劇場で『土耳古(トルコ)と日本 アジアの西と東を結ぶ』という、文楽の『曽根崎心中』、宮田まゆみという人の笙演奏、イスタンブール・トルコ古典音楽団による『トルコの古典音楽と舞踊』という無茶苦茶な組み合わせのよく判らん催しがありました。
 こじつけにせよ組み合わせの理由は何かでっちあげているだろうと想ったのですが、パンフを読んでもそんなことは最初から放棄していて共通性にこだわらずそれぞれの国の代表的なものを持ち寄るとかなんとか書いてありました。今年はトルコ年なんだそうで、トルコから古典音楽団というのがやって来たからこっちもなんか古典的なものを出して形を整えようと役人が適当にやらかしたのでしょう。しかし、これはなかなか味のある貌合わせの舞台となりました。

 『曽根崎心中』は道行きと心中シーンだけの30分ほどのダイジェスト版だったのですが、玉男蓑助のゴールデンコンビに義太夫には住大夫という最高の貌ぶれで、これだけの陣容が揃う『曽根崎心中』は最後になるやも知れんと想って行ってきました。
 人形遣いのおふたりは全盛期に戻ったと云っていいほどの出来で、あとは落ちていくだけと想っていた住大夫まで復調して、行った甲斐がありました。玉男蓑助のそれぞれの弟子でもう主遣いとして立派に主役を張ってる玉女と勘十郎が左使いとして師匠を輔佐し、若手一番手の呂勢大夫が義太夫に加わるという贅沢な布陣で、たんなる適当な余興ではなく次代にこの芝居を受け継ぐ儀式のようにも感じました。
 文楽の『曽根崎心中』は2002/2/27 近松の逆説にも記したように全編を観ると完璧すぎてくたくたに疲れてしまって感動とはうまく直結しないのですが、今回のように道行きと心中シーンだけなら掛け値なしの傑作です。男女の結ぼれの哀しさと悦びの極地であります。
 歌舞伎でも同じく道行きと心中シーンだけ観たことがありますが、通しで観ないと物足りず、この違いはなかなか興味深いものです。いきさつをいっさいはぶいて、死ぬところだけで感動するというのはおかしな話なんですが、それが象徴性という人間だけが持つの奇妙な感覚の由縁でありましょうか。文楽の『曽根崎心中』の前段は明らかに邪魔でさえあります。

 さて、あたしはもちろん文楽めあてで行ったのですが、あの哀愁を帯びた「ジェッディン・デデン」 (試聴あり)には心顫わされるひとりでもありますので、トルコの古典音楽というのも祕かに期待しておりました。
 珍しい楽器を手にした50人ほどの大楽団で、予想していた哀愁溢れる素朴な古典音楽と云うより賑やかな現代風アレンジのエンターテインメントという感じでしたが、コプトという17世紀に消滅した不思議な弦楽器の吟遊詩人がいるかと想えば、宗教的コーラス隊と軍隊調コーラス隊がいて、フリオ・イグレシアスとプラシド・ドミンゴの中間みたいなおじさまが朗々と甘い声を聴かしたりと、バラエティーに富んだ20曲を一度の休憩以外はまったく途切れ目なく一気に畳み掛ける計算され尽くした見事な構成のショーで、それはまことに結構なものでした。性格の違ういくつかの楽隊をいろんな形態で組み合わせて、それぞれに構成を変えるというなかなか先進的な形象の楽団のようです。
 なかでも謎の舞踊団が傑作でありました。髭面の6人のおっさんがふんわりした純白のロングスカートを翻して、天に手を差し伸べながら得も云われぬ恍惚の表情を浮かべつつ何十分もただひたすら同じ位置でぐるぐる廻り続けるだけなのですが、リーダーらしき黒衣の髭面のおっさんが音楽に合わせるわけでもなくダンサーの横をうろうろうろうろ歩き廻り、ときどき立ち止まってはひとりのダンサーをじっと見詰め、またうろうろしては別のダンサーをじっと見詰めるという謎の行動を繰り返していました。
 あれは何か指示を与えていたのか、励ましていたのか、宗教的意味があるのかよく判りませんでしたが、パンフを読むとイスラム神秘主義(スーフィー)の一派であるメヴレヴィー教団の13世紀の音楽で、踊りは旋廻舞踊・セマーというものらしいです。
 その場で回転しているだけであんなにおもしろい舞踊というのを初めて見ました。高校生の団体にも大いにウケておりました。
 本場のセマーについてはこちらのページやこちらのページに解説と写真がありますが、どうも今回のはこれほどきっちりとしたものではなく、あくまでショーのための「再現」という感じでありました。
 ほんとの宗教的儀式としては黒衣のリーダーの行動に意味があるのでしょうが、ショーとしてのダンスの一環としてはなかなかおもしろい存在です。文楽も人形遣いが貌を出す世界的にも珍しい形態でありますが、監督官のような人物がダンサーと同じ舞台に立つというのはあんまりほかにないような。

 トルコ古典音楽団は遠いところを遙々やって来ているのに、この日以外の公演の情報はないようです。こんなおもしろいものをもったいないことです。誰か呼びませんかね。
 もし、機会がありましたらぜひご覧ください。ありゃあ、いい。舞踊がないとしてもお奨めです。