2001/5/16 岸田今日子三昧
チャンネルNECOでまた『ガラス細工の家』の放送がはじまりました。あたしは倉本聡がなんか苦手でほとんど観たことがないのですが、唯一これだけは子供の頃よく観ておりました。いまから考えてみますと、主役の岸田今日子から眸が離せなくなってしまったのでしょう。
ファミリー劇場では岸田今日子と杉浦直樹が恋人同士で出てくる『亭主の家出』をやっておりまして、もうこのコンビは最高でたまりません。このドラマの前のシリーズにあたる『おとこ同志おんな同志』でもこのふたりが絶妙の恋人役をやっておりまして、昔々それは大好きでした。
『傷だらけの天使』もはじまりまして、あたしはこのドラマには想い入れはないのであんまり観てないのですが、岸田今日子が出てくる場面だけはついうかうかと魅入ってしまいます。
極めつけは先月BSでやってた中村歌右衛門の追悼番組で8年前の歌右衛門丈と岸田今日子の対談が流されていたのですが、そのなかで岸田今日子は「女形を観るとゾッとする」なんてことを歌右衛門丈に向かって云い放っておりました。
よく歌舞伎を観るには約束事を識っておかなければならないなんて妄言を吐く輩がいて、まことに困ったもんです。歌舞伎というのは江戸時代の日本人をいかに驚かそうかと企んで創られているものなんですからな。
たとえば<花道>なんてのは最初は驚天動地のものだったのです。客の真っ直中を役者が通るわけですから。ところがこんな凄い仕掛けでもずっとあると当たり前になってきて誰も驚かなくなってくる。そうすると、今度はその花道に穴を開けて下から人間がせり出してくる<すっぽん>なんてのを編み出してなんとか驚かそうとする。それも当たり前の<約束事>に堕すると、舟に乗ったまま花道を引っ込んだりとまあいろいろやるわけです。歌舞伎を時代順に観ていくと、いかにそれ以前の<約束事>を破ってセンスオブワンダーをもたらすかの工夫の歴史であるかがよく判ります。
これを現代人が約束事だなんて云ってすましていては歌舞伎なんかわざわざ観る必要もないし、たんなる莫迦者の業に過ぎません。黒子が出てくればへんてこだなと笑うのが正しいし、女形を観れば普通の女とは違う異様さを感じるのが正しい。
さはさりながら、すでに名実ともに世界最高の名優となっていた歌右衛門丈に面と向かって「ゾッとする」なんてことを云うのはまた別の話です。歌右衛門丈は穏やかな雰囲気とは裏腹に気性の激しい人で、気に入らないことを云う者には睨みつけたり辛辣な皮肉を浴びせ掛けたりしたそうです。なかなか尋常の者ではできることではありません。
反対に、この時ばかりはさすがの歌右衛門丈もたじたじといった感じでありました。
考えてみますれば、岸田今日子の魅力もその異様さに「ゾッとする」ところにあるわけです。
観る者が「ゾッとする」と『ガラス細工の家』の如くのサスペンスとなり、共演者が先に「ゾッとする」と『亭主の家出』の如くのコメディーとなり、観る者と共演者の「ゾッとする」タイミングがなかなか微妙であると『傷だらけの天使』の如くのなかなか微妙なものとなり、主役であろうが脇であろうが岸田今日子に対する「ゾッとする」具合で作品の性格が決定してしまう。宇宙のすべてを睥睨し否応なく統べる妖力をおよぼしています。
杉浦直樹はじつにこの「ゾッとする」姿勢が見事で、ふたり合わさると絢爛荘厳なる「ゾッとする」帝国が屹立してしまうわけです。
その岸田今日子が歌右衛門丈に向かって「この世のものでないものの塊」「怪しい」「ゾッとする」なんて言葉を最高の讚辭として連発するわけですから、もうなんと申しますか、乾坤搖るがす化け物合戦といった凄絶な一大パノラマを呈しておりました。
幸か不幸かこのふたりの龍虎相搏つ舞台での共演は宇宙の根本原理から適わなかったわけですが、歌右衛門丈が元気だったぎりぎりのタイミングでよくぞこんな対決を実現してくれたものです。
いいものを観させていただきました。
絶望書店日記 

