『風の雀吾』って2巻本だったのですな。どうも、記憶がはっきりとはしませんが、最後まで読んでるはずですから2冊読んだのでしょう。
こんな商売をやっているのに『風の雀吾』は探索していないのですが、これまで無意識に避けてきたようです。
人の家で一回読んだだけですので、ただでさえ複雜怪奇なあの話はほとんど覚えていないのですが、雀吾がはたして勝ったのか、あの宇宙の謎のようなものは解き明かされたのか、そもそもそんな話だったのか、確かめるのが怖いのですな。
あらためてよく考えて絶望書店の出自を辿っていってみると、どうもこの作品につながってしまうようなのです。
あの頃はまさか己が雀吾と同じような訳の判らない宇宙に放り込まれて、訳の判らない闘いを強いられるとは夢想だにしていませんでした。昭和59年ということは16年前ですか。あたしもまだ若く無垢でした。絶望もしていなかった。
『風の雀吾』についてつくづく想うのは、極めて一部とは云えあれだけの衝撃を持って迎えられたのに、マニアにさえほとんど拡がりを見なかったということです。ネットのない時代とは云え、異様ですらあります。
いま検索してみましても、言及しているのは十人ほどしかおりません。何故なんでしょうか。『風の雀吾』は一見して決して難解でも芸術的でもなく、誰でも楽しめる作品のはずなのですが。
近頃はウェブ上にも個性的な本屋が増えてきたようなんですが、じつはよく見ますとみんなガロ系と云いますかペヨトル系と云いますか、なんかそんなような系列に分類できます。下北沢的と云いますか中央線的と云いますか、マイナーとか云いつつも、おしゃれな男女がつどってけっこう愉しそうにやってる路線です。ほんとうにどこからもはみ出して爪弾きにされているのは、依然として絶望書店くらいのものです。
世の中変わったようでいて、マイナーの世界はあまり進歩していないような気がします。受け入れられるのは依然としてガロ・ペヨトル系と申しますか、サブカルと申しますか、どうもうまく云い表せないのですが絶望書店とはまるっきり別世界のそんなような路線なのです。当時『風の雀吾』に喜んでいた連中も、魂を顫わせるほど真剣には読んでいなかったように想います。
この手のほんとにマイナーな、心に傷を負った人々のためだけにあるはずの存在は<トンデモ>とか呼ばれて、じつはそれほどマイナーでもなく陽の当たる処を歩む人々にギャグとして消費されてしまうしかないのでしょうか。
どこにも居場所の無くなった真の絶望者のための『風の雀吾』の闘いは、まだまだ果てしなく続いてゆくのです。