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絶望書店主人推薦本
●女の子向け

 
『炎の女 伊藤野枝伝』

岩崎呉夫 昭38年初版 七曜社 カバー痛み 2000円
伊藤野枝の28年間の無茶苦茶な人生も凄いけど、それ以上にこれは本として実に良くできている。とくにラストは胸締め附けられる!!女子読むべし!!


●男の子向け

 
『ニューヨーク武芸帳』

坂本正治 昭51年初版 中央公論社 並上、少カバー痛み、帯 2000円
坂本正治の痛快本!!前途渺茫たる学生さんには殊に強く推奨いたします。男子読むべし!!売切れました。


●言葉に戯れたい人向け

 
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
三島由紀夫『小説家の休暇』『裸体と衣裳』をも越える多彩なる思索日記。うねうねとたゆたう独特の文体もたまりませんです。



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2003/12/17  あたしくの中の・・・

 先日、「あたしく」で検索してやってきた人がおりまして、なんだろと想ったら絶望書店日記には15ヶ月分も「あたしく」という言葉を使っておりました。
 こればっかしかと想うと「あたくし」もちゃんとあるし。
 これだけ広範囲に使っているということはたんなる打ち間違いではなく、あたくしはあたくしとあたしくをまったくおんなじものとして認識しているようでして。日記は何度も読み返しているのにこれまでまったく気付かなかったし。

 さすがにこんな間違いをやらかしている人は多くはありませんが、それでも数人いるな。
 あたくしは親指シフト遣いで「く」と「し」は一打鍵で右手と左手に頒かれておりますから、右と左の区別もつかない莫迦なら間違える可能性はありますが、二打鍵で右手と左手が入り交じっているローマ字入力で間違えるというのはなんなのか。それとも間違えている方はすべて親指シフトなんでしょうか。
 そんなことより、そもそもなんで誰も指摘してくれないのか。
 日頃から出鱈目ばかりやっていると誰にも相手にされなくなっております。
 悲しきあたしく。

 あたくしは新聞なんて便所の落書きはもちろん読んでおりませんし、雑誌も最近の本も一切読まないし、テレビは戦前か戦後直後の毒にも薬にもならないような脳天気映画しか観てないし、ウェブもわざわざ見て廻ったりしないので、情報はもっぱら「あたしく」の場合のように絶望書店にやって来る方の検索ワードやリンク元からだけで得ています。
 特定の人名でやって来る方が急に増えると、ああ死んだんだなとか識るわけです。
 それにしても、団令子のまともな画像がうちのものくらいしかウェブ上にないのはどうしたことなのか。

 こういうプッシュ型の情報蒐集を行うには自分のサイトに自分の興味に沿ったキーワードを網羅して、興味のないことは極力排除して、その上でグーグルで検索した場合に上位に来る必要があります。的確に情報を得るにはヤフー検索で2ページ以内に入る40件までが下限だと想います。3ページ以降から来る人は極めて少数しかおりません。
 絶望書店は御陰様でほとんどのキーワードに関してこれを達成しておりまして、居ながらにしてあたくしに必要な情報はいただいております。もともと、情報などそれほど欲しているわけではなく、またほんとに識りたいことは必死に調べてもなかなか判らないので最初から諦めていることもあるんですが。

 絶望書店を開店したころはウェブのことがあんまりよく判ってなくて、リンクが増えると検索結果の上位に表示されるもんだと想い込んでいていろいろ頑張っていたのですが、何年も経ってグーグルがやって来てからじつはそうではなかったと識ってびっくりしました。
 それまでの検索エンジンはいったいどんな順番で検索結果を表示していたのか。グーグルの仕組みについてはいろいろ解説を読みましたが、それ以外の検索エンジンについてはあんまり読んだこともないような。
 まあ、グーグルがあたくしが考えていたような当たり前の世界をもたらしてくれたのでそれまでの努力も無駄にならなかったのでそれでいいのですが。売上げにどれほどプラスになったかはともかくとして、情報についてはこんなものでしょう。情報発信に対する対価として、それなりには成り立っている。

 もっと積極的に人から情報を得る仕組みとして日記コミュニティーやウェブログなんてもんがあるんでしょうが、誰からも爪弾きにされているあたくしなどにはどれほど問いかけても答えは返ってきません。
 他人様とは興味の持つポイントがずれているようでもありますし。やはり二次情報の感想文みたいなものだけがぐるぐる廻っている現状もありますし。
 もし、あたくしに何かを伝えたくて、でも伝えることを躊躇されているはにかみ屋さんは検索などを使ってこっそり情報伝達していただければ。
 あたしくからまだ視えぬあなたへのお願い。


2003/11/15  オープンソースとは何なのか

 このところずっと己のサイトをほっぽってよそさまの手伝いなんぞに掛かりっきりでありまして、ようやくにして13歳以下の事件肉親に対する犯行をとりあえずの完成にまで漕ぎ着け、いよいよ戦前の少年犯罪に着手しはじめました。
 いやあ、昔の人は6人殺しだとか9人殺しだとか景気が良くていいですな。成人のほうもこんな事件ばかりでまことに清々しくも気持ちいい。
 近頃のけちくさい犯罪者は見習ってほしいもんです。核家族化の最大の弊害は大量虐殺事件が激減してしまったことです。なんだかんだ云っても数は力であります。

 お手伝いのために昔の朝日新聞の縮刷版の最近出た復刻版というのを読んでいるのですが、これが信じられないくらいにひどい代物でありまして、とにかく字が潰れていてまったく読めない。よくぞこんなものを商品として売っているものです。いったいどんな連中が何を考えてつくっているのか。
 あたしは借りて読んでるだけですからまだいいですけど、1年分何十万円もするこんなものを買ってる人がいるなんてことも不思議な話で、作り手も買い手も実際にはひとりも読んでいないのでしょうか。
 とにかく、読めない本という世にも奇怪なる存在です。読みにくいではなく読めないのですから凄い。本の歴史上ほかに例があるんでしょうか。
 新聞社には現物があるでしょうからパソコン編集で文章を補うことなんか簡単なはずで、とくにCD-ROM版も作成しているのだから手間は一緒のはずなんですが、情報を人に受け渡さないという鞏固なる意志があるのでしょうか。真面目な話、現物が消滅するとすべて消えてなくなると想います。
 CD-ROM版のほうもこんな感じなんでしょうか。実際に読んだ人の感想なんかを見たことがないのですが、戦前の新聞なんか読んでるやつはひとりもいないのですかね。
 昭和の読売新聞CD-ROM版というも見てみましたが、朝日よりだいぶましではあるもののやっぱり読めない部分が多い。とくに肝心の年齢が読み取れないのがつらいところ。漢数字はつぶれるとみんなおんなじに見えるのですよ。
 だいたいの形から類推するしかないから、OCRのアルゴリズムを脳に組み込まんといかんのか。ちっこいときと拡大したときと違う形に見えるところがまた悩ましい。人間の認識システムの構造から分析せんとならん。

 kangaeru2001氏はデータ入力を手伝ってくれる人を募りはじめましたけど、いまのところ反応はひとつもないようです。まったくどうなっているんですかね。自分のくだらない日記なんぞを綴っているほうがそんなに大事なんでしょうか。
 数人が1週間ほど手伝ってくれたら戦後の少年犯罪データは完成するところまで来ました。もう1週間ほど手伝ってくれたら戦後の20代の犯罪データも完成することができるのですが。
 現在の日本のウェブ上における文章の半分近くは犯罪について書かれているような気がしますが、こういう一番基本的な情報をもとにしていないのですべて無意味な存在です。その無意味な文章をもとにまた無意味な文章が綴られていたりしますから呆れるばかりです。スパゲッティー化と云ってもこれはいくらなんでも酷過ぎる。読み取り不能の情報を出している新聞社の低脳ぶりを嗤えない。
 日本においてオープン・ソースだのクリエイティブ・コモンズなどと云ってる方は、いったいどこでなにをしているのでしょうか。
 そもそも、ソースをオープンにするだの情報を共有するだのというのはどういうことでなんのためにするのか。くだらない文章や音楽や映像やソフトなんぞを共有するためではなく、思考の基礎となる道具を提供するということのはずなんですが。もともと著作権なんかなんの関係もない、もっと根源的な基礎作りのことで。

 さても、極めて少人数で短期間でよくぞここまでなんとかなったもんです。もともとの<少年犯罪を考える>を組み上げられた方にもう引け目を感じずに済む。
 戦後に関してはあとは『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)に掲載されている記事を元にデータ作成するだけの作業ですから簡単です。本は図書館に行けばあります。誰か手を貸してください。

11/24追記
 データ入力要員はあれから何人か応募があって、いったん募集を打ち切ったようです。馳せ参じてくれた諸氏には感謝し、よき仕事をされんことをお願いします。

 次いで、プログラミング要員を募集したい。
 仕様は、現在のような1年分の全文表示とタイトルだけの表示を切り替え、また少年犯罪だけと成年も含めた表示を切り替えることができること。つまりモードが4つ。
 タイトルだけ表示モードでひとつのタイトルをクリックすると蛇腹が開くようにタイトルとタイトルの間が広がり本文が出てくる。ほかのタイトルをクリックすると、先のデータは開いたままでもうひとつのデータが開く。
 全文表示モードは蛇腹がすべて開いた状態で、少年犯罪だけ表示はその部分だけが開いて成年犯罪タイトルは開かないままという具合にすれば、モード切り替えにしないでもいい。
 すべてのデータにはコメント欄とリンク元が表示される。検索機能があればなおよい。
 Movable Typeなんかを改良すればすぐできるような気もしますが、その場合は横にタイトルをずらずら並べて、真ん中に本文を1年分表示したほうが手軽か。あたしにはあの横のメニューは見づらいと云うか、そもそも見る気がせんのですが、どうですかね。

 あたしもkangaeru2001氏も適当なサーバを持ってないので、こんなのができたら自分で運用してください。データはkangaeru2001氏に云えば提供してもらえます。無断で勝手に持っていってもかまいません。
 自分で運用する場合はもちろん表示法は上記に従う必要はなく好きにやってもらえばいいです。中身は一緒で表示法が違うサイトがいくつか競い合うというのも面白いかと想います。いまのほとんど同じ内容の日記ばかりがあふれている状況よりなんぼかましです。
 はてなダイアリーなんかは日付を勝手にいじってデータを流し込んだり、1ページに1年分を表示したりはできないんですかね。主催者に頼めばできるのか。日記だけではなくデータベースとしても使えることを教えてあげたら悦んだりするのかも。知らんけど。

 ソースをオープンにするだのクリエイティブなコモンズなどというのはいったいどういうことなのかなんてなことを考えつつ、各自でいろいろやってみてください。


2003/9/27  謎のトルコ舞踊団を見た!

 9月25日に国立劇場で『土耳古(トルコ)と日本 アジアの西と東を結ぶ』という、文楽の『曽根崎心中』、宮田まゆみという人の笙演奏、イスタンブール・トルコ古典音楽団による『トルコの古典音楽と舞踊』という無茶苦茶な組み合わせのよく判らん催しがありました。
 こじつけにせよ組み合わせの理由は何かでっちあげているだろうと想ったのですが、パンフを読んでもそんなことは最初から放棄していて共通性にこだわらずそれぞれの国の代表的なものを持ち寄るとかなんとか書いてありました。今年はトルコ年なんだそうで、トルコから古典音楽団というのがやって来たからこっちもなんか古典的なものを出して形を整えようと役人が適当にやらかしたのでしょう。しかし、これはなかなか味のある貌合わせの舞台となりました。

 『曽根崎心中』は道行きと心中シーンだけの30分ほどのダイジェスト版だったのですが、玉男蓑助のゴールデンコンビに義太夫には住大夫という最高の貌ぶれで、これだけの陣容が揃う『曽根崎心中』は最後になるやも知れんと想って行ってきました。
 人形遣いのおふたりは全盛期に戻ったと云っていいほどの出来で、あとは落ちていくだけと想っていた住大夫まで復調して、行った甲斐がありました。玉男蓑助のそれぞれの弟子でもう主遣いとして立派に主役を張ってる玉女と勘十郎が左使いとして師匠を輔佐し、若手一番手の呂勢大夫が義太夫に加わるという贅沢な布陣で、たんなる適当な余興ではなく次代にこの芝居を受け継ぐ儀式のようにも感じました。
 文楽の『曽根崎心中』は2002/2/27 近松の逆説にも記したように全編を観ると完璧すぎてくたくたに疲れてしまって感動とはうまく直結しないのですが、今回のように道行きと心中シーンだけなら掛け値なしの傑作です。男女の結ぼれの哀しさと悦びの極地であります。
 歌舞伎でも同じく道行きと心中シーンだけ観たことがありますが、通しで観ないと物足りず、この違いはなかなか興味深いものです。いきさつをいっさいはぶいて、死ぬところだけで感動するというのはおかしな話なんですが、それが象徴性という人間だけが持つの奇妙な感覚の由縁でありましょうか。文楽の『曽根崎心中』の前段は明らかに邪魔でさえあります。

 さて、あたしはもちろん文楽めあてで行ったのですが、あの哀愁を帯びた「ジェッディン・デデン」 (試聴あり)には心顫わされるひとりでもありますので、トルコの古典音楽というのも祕かに期待しておりました。
 珍しい楽器を手にした50人ほどの大楽団で、予想していた哀愁溢れる素朴な古典音楽と云うより賑やかな現代風アレンジのエンターテインメントという感じでしたが、コプトという17世紀に消滅した不思議な弦楽器の吟遊詩人がいるかと想えば、宗教的コーラス隊と軍隊調コーラス隊がいて、フリオ・イグレシアスとプラシド・ドミンゴの中間みたいなおじさまが朗々と甘い声を聴かしたりと、バラエティーに富んだ20曲を一度の休憩以外はまったく途切れ目なく一気に畳み掛ける計算され尽くした見事な構成のショーで、それはまことに結構なものでした。性格の違ういくつかの楽隊をいろんな形態で組み合わせて、それぞれに構成を変えるというなかなか先進的な形象の楽団のようです。
 なかでも謎の舞踊団が傑作でありました。髭面の6人のおっさんがふんわりした純白のロングスカートを翻して、天に手を差し伸べながら得も云われぬ恍惚の表情を浮かべつつ何十分もただひたすら同じ位置でぐるぐる廻り続けるだけなのですが、リーダーらしき黒衣の髭面のおっさんが音楽に合わせるわけでもなくダンサーの横をうろうろうろうろ歩き廻り、ときどき立ち止まってはひとりのダンサーをじっと見詰め、またうろうろしては別のダンサーをじっと見詰めるという謎の行動を繰り返していました。
 あれは何か指示を与えていたのか、励ましていたのか、宗教的意味があるのかよく判りませんでしたが、パンフを読むとイスラム神秘主義(スーフィー)の一派であるメヴレヴィー教団の13世紀の音楽で、踊りは旋廻舞踊・セマーというものらしいです。
 その場で回転しているだけであんなにおもしろい舞踊というのを初めて見ました。高校生の団体にも大いにウケておりました。
 本場のセマーについてはこちらのページこちらのページに解説と写真がありますが、どうも今回のはこれほどきっちりとしたものではなく、あくまでショーのための「再現」という感じでありました。
 ほんとの宗教的儀式としては黒衣のリーダーの行動に意味があるのでしょうが、ショーとしてのダンスの一環としてはなかなかおもしろい存在です。文楽も人形遣いが貌を出す世界的にも珍しい形態でありますが、監督官のような人物がダンサーと同じ舞台に立つというのはあんまりほかにないような。

 トルコ古典音楽団は遠いところを遙々やって来ているのに、この日以外の公演の情報はないようです。こんなおもしろいものをもったいないことです。誰か呼びませんかね。
 もし、機会がありましたらぜひご覧ください。ありゃあ、いい。舞踊がないとしてもお奨めです。


2003/8/26  がたがた云う前にやることはあるよな。

 少年犯罪を考えるを管理されているkangaeru2001氏は、あくまであれは無断でコピーしたミラーサイトであると頑ななまでにデータの変更や追加をやらなかったのですが、今月になって方針を転換されました。
 基となったサイトは大変な労作でウェブ黎明期には貴重な存在だったのですが、とくに昭和20年代や30年代前半は弱く、間違いも多く、ほんとは閉鎖された3年前に歴史的役割を終えて、もっとまともなデータベースが構築されるべきだったのです。kangaeru2001氏も当然そうなるだろうと考えていて、あれはそれまでの空白を埋める臨時の繋ぎに過ぎないとされていました。名前からも判るように、まず1年以上もやることになるとは想ってなかったようです。
 ところが、最近の少年犯罪への異常な感心の高まりにも関わらずそのような動きはなく、結局はあのミラーサイトがこれまでよりいっそうに頼りとされて、しかも、昔のデータがあまりないのを見て昔は事件が少なかったと想う者までがいて、これはさすがに問題であると考えるようになったわけです。
 とにかく、3年前に閉鎖されたサイトにいまだに頼るというのはウェブに棲息する者としてこれほど恥ずかしいことはないんではないか。なんとかしたいということでありました。

 とりあえず昭和20年代の事件13歳以下の事件が大幅に追加されましたが、とくに昭和20年代に関しては東京版の新聞記事の主なところはすべて抑えたと断言して間違いが無く、ようやくデータベースと呼ぶに相応しい体裁になってきました。
 いままでひとつもこういうものはなかったと想うと背筋が寒くなってきます。ウェブについてなにやら偉そうなことをほざいたりしているあなたはもうちっと考えたほうがいいんではないのか?どのツラさげてウェブについて語っているのか知らんが、ほんとに恥ずかしくはないのか?

 ちょっとばかり手伝って昭和20年代の新聞を読み込んでいたのですが、いやあ、昔の事件は凄いですな。有名どころは識ってるつもりだったのですが、大小取り混ぜてまとめて眺めてみるといやはやなんとも言葉もございません。まあ順番に全部読んでみてくださいな。
 やっぱり昔はスタージョンの法則が生きていて10%くらいはクズじゃないほんとに面白いものがあったようですな。昨今のちゃちな詰まらん事件で悦んでる輩の気が知れません。
 昭和20年代前半の新聞は2ページしかなく、しかもまだ日本にも政治や外交があった時代ですから事件記事は1ページの半分くらいしかなく少ないのがまことに残念。夕刊と合わせて6ページしかない後半でもあれだけ多いんですからほんとに惜しい。
 それでも、あまりに破天荒で脳味噌ぶっ飛んだようなのがうじゃうじゃいる一方で、なんと云うか犯罪をメディアとして意識してきちんとスタイリッシュに表現している方がいたりして、嬉しくなってきます。
 グループ名なんかいろいろ凝ってますし、これは両方とも20歳ですから<少年犯罪を考える>には載ってませんが、忍び込んだ家には必ずスペードのエースを置いてきたり、絨毯をはがして竹棒を組み合わせて「DANKE」なんて綴ったりする怪盗がほんとにいたんですな。
 『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)にはこの手の20歳代の事件も含めて戦後の新聞記事のほとんどが掲載されていて、お手軽なので好き者にはお奨めです。ただ、僅かに落ちているものもありますし、表現も微妙に違ってますし、なにより写真と古い新聞の薫りがないので元の新聞記事を読むに如くはありませんが。オーミステイク事件なんかはあの写真がないと完全に識ったことにはなりませんし。

 昭和20年代にどっぷり漬かってみてどうもやっぱり現在のウェブはあらゆる点で負けているように感じます。そもそも、犯罪にメディアとして負けている。困ったもんであります。
 昔は貧しさゆえの犯罪が多かったと考えている方が多いのですが、当時の統計でも少年犯罪に限ると貧困家庭よりも中流以上家庭のほうが犯罪率は圧倒的に高いのです。<少年犯罪を考える>のデータを読んでもその点ははっきり判ると想います。
 なんか昔のほうが豊かさを感じさせます。まあ、この時代に比べると犯罪数が圧倒的に減ってるので最近の少年犯罪がしょぼいのは仕方ありませんが、ウェブが豊かさで負けている感じがするのはどうしたもんか。

 そう云えば、杉並切り裂きジャックのほうの脅迫状も完全なものになりまして、あれはとくに英文が間違いだらけだったのですが、ちゃんと元のジャックが書いたのを読むとじつに立派な英文で、あたしがたまに海外からの問い合わせにひーひー云って書いてる文章と比べれば見事なもんです。
 あんなことをやらかした次の日に被害者の家にあんなものを届けてるんですから、残虐さのほどはたいしたもんであります。

 ところで、これはkangaeru2001氏の意向でもあるのですが、ブロッグやらなんやらで新しい仕組みのウェブプログラムなんかを構築されようとしている方は<少年犯罪を考える>のデータを勝手につかっていろいろやってみませんかね。
 最近の詰まらんニュースや日記なんかより、あの手の実の詰まったデータのほうがやる価値があると想いますが。だいたい、最近の情報で苦労して蒐集加工してまで読むに値するものなんてひとつもないでしょうが。そんなものは「読まない」というのが一番便利なプログラムです。
 <少年犯罪を考える>のデータもあれだけ増えるとずらずら並べているだけではさすがに興がない。あんまり多いので落としているデータもありますし、なんか仕組みは考えんとならん。とりあえず、すべてのデータにアンカーくらいは付けようと想ってますが、なんか想い付いた諸氏はよろしく。許可なんか取る必要はないですから。
 個々のデータにそれぞれ感想欄なんかを付けるのはやっぱり無理があるかな。なんか、やりようはあるよな。


2003/7/26  <メディア循環>は起こっているのか?

 ティム・オライリーの云ってることはソフトウェアがこれからどうなるかという分析としては判らんでもないけど、それでオープンソースコミュニティーはどうすべきであると云ってるのかは判然としない。
 あたしなりに解釈してみると、アップルが始めた音楽配信システムのようなことをこさえて個人でも簡単に作品を発表して対価を得られるように運用しろと云ってるように聞こえる。絶望書店日記でくどくどと吹いてることに引き附けた曲解に過ぎんか。まあ、オライリーと同じ意見である必要はないからいいけど。

 べつにアップルがあのシステムを使って個人も音楽配信をできるようにしてもいいし、米アマゾンなんかはすでに個人出版の電子本なんかを販売していたような気がする。しかし、やはりこれらの企業のやってることは既存のレコード会社や出版社の延命にしかならない。もっと明確に既存のレコード会社や映画会社や出版社の囲い込みに対抗する流通チャンネルがあってもよいのではないのか。
 5月31日 間抜けなレッシグを黙らせろ!に記したように現在の最大の問題は<スーツ権>の拡張であって、スーツと創作者を分断させることで大概の問題は解決する。『コモンズ』の問題提起からして急務なのは既存の企業に支配されずに個人でも自由に利用できる流通チャンネルを確保することであるはずなのだが、何故いきなり著作権をあんまり五月蠅く主張しないことを宣言しましょうなんてな話になるのかあたしにはまったく理解できない。
 レッシグは日本に来たときコミケに多大なる興味を示したそうだが、それはまんがやアニメのキャラ使用を既存の企業が默認しているという著作権の自由の観点からで、もっと重要であるはずの既存のものとは違う誰でも利用できる流通チャンネルが確立していることへの言及がないのはいったい何故なのか?誰もその点にツッコミを入れないのは何故なのか?
 レッシグはまたディズニーは既存の作品を利用してきたことばかりを強調するが、既存の映画会社のスーツ連中にしてやられた創作者であるディズニーが自ら会社を起こして自分の想い通りにできる流通チャンネルを確保したことへは注意を払っていない。ディズニーはやがて創作者たちを入れ替えの効く道具としてこき使うという最強のスーツへと変貌する。最適の仕組みなどは存在せず、このようなメディアの循環が重要なのだが、レッシグの世界観は時間軸のない固定的なもののようにあたしは見える。
 現在は既存の作品を利用云々より、このような循環がうまくいかずに新たなる流通チャンネルが立ち上がっていないことが問題なのである。その流通チャンネルがいままでのより優れているかどうかはあまり関係がなく、たえず新しいものと入れ替わる循環が<スーツ権>の肥大を招かないためにも大切なのである。

 もっとも、レッシグは法律家だからあくまで法律の範囲内である著作権にこだわって新たな流通チャンネルなどは己の管轄外と規定しているかも知れんが、あまりに皆がその言説に引きずられてやしまいか。
 クリエリティブ・コモンズに準拠した個人の無料音楽配信システムなんてのはあるみたいだが、レッシグ自ら商業がすべてを決定するなんてなことを云ってるくらいで、既存の企業に支配されない自由な商用の流通チャンネルを確保して、そこにプロの創り手をできるだけ数多く解き放つことによってこそ著作権の自由もインターネットの自由も世界の自由も確保できると想うのだが。
 スーツと関係のない処でいろいろやるより、スーツに明確に対抗しなければならない。ディズニーを批判するより、ディズニーの支配下に甘んじている創作者たちがスーツ抜きで対価を得ることのできるチャンネルを別に確立しなければならない。スーツとして正しい行動を取っているに過ぎないレコード会社や映画会社を非難するのなら、これがスジというものだ。
 イノベーションとはこういうことを指す言葉だと想うのだが。もちろん、創り手のなかにもスーツ以上に五月蠅い輩はいるから、著作権の話などはそのあとにゆっくりやればよい。
 オライリーの云ってるように世の中が動くなら、なおさらのこと。

 なお、あたしはオープンソースだとかレッシグの活動だとかどういうことになっているのか全然まったく識らないで適当に吹いているので、これは純然たる疑問である。
 すでにこんなことをやってるグループがあるのやらないのやら、アップルの音楽配信システムなんかが技術的運用的にどの程度難しいものなのかなど、お判りの方は懇々と教えていただければ。偉い人の言葉に対して詰まらん感想文みたいなのを綴っているよりは知識のない者のこういう疑問にお答えいただいたほうが幾分かは生産的なような。少なくともあたくしにとっては。

 ところで、ブーロドバンドのコンテンツ確保が大変なんてなことをよく聞きますが、ヤフーBBみたいに自らなんにも持ってない処は苦労してありものを買ってくるよりアマチュア集めて昔のイカ天みたいなことでもしたほうが安いし権利関係も簡単だし観る人も多いような気がするんですが。企画もスタッフもタレントも素人をオーディションで選んで、その選考過程もすべて見せるとか。つーか、こんな誰でも考え出しそうな安易な企画はすでに出ているだろうになんでやらないんですかね。はたまた、なんでこんなカラクリを誰も解説してはくれんのですかね。
 あたしが識らんだけか。有識者のみなさん教えてくださいよ。



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