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絶望書店主人推薦本
●女の子向け

 
『炎の女 伊藤野枝伝』

岩崎呉夫 昭38年初版 七曜社 カバー痛み 2000円
伊藤野枝の28年間の無茶苦茶な人生も凄いけど、それ以上にこれは本として実に良くできている。とくにラストは胸締め附けられる!!女子読むべし!!


●男の子向け

 
『ニューヨーク武芸帳』

坂本正治 昭51年初版 中央公論社 並上、少カバー痛み、帯 2000円
坂本正治の痛快本!!前途渺茫たる学生さんには殊に強く推奨いたします。男子読むべし!!売切れました。


●言葉に戯れたい人向け

 
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
三島由紀夫『小説家の休暇』『裸体と衣裳』をも越える多彩なる思索日記。うねうねとたゆたう独特の文体もたまりませんです。



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2004/5/31  分割して統治するかされるか

 なんか妙な話になっとりますな。
 あたしなんかがこんなことわざわざ云うまでもなく、Winny裁判はベータマックス裁判だというような話が中心になって、βの開発者を呼ぶとか、あるいは業績もブランド力も凋落の一途の家電メーカーの、爲す術もなく思考停止に陥っている可哀相な会長さんに、先端的な技術を支援するのが先端的な若者を惹き附けるブランド復活戦略のただひとつの残されし道ですよとうまい具合に騙くらかして証言させるとか、そういう方向に行くと想っていたのですが。
 Winny関係はあんまりにも言及が多いので見て廻る気力はありませんが、単純に「ベータマックス裁判」「ベータマックス訴訟」で検索した限りでは、今回の件と結びつけて話題にしている方はほとんどおりませんな。
 ナップスター裁判のときは明確に結びつけられて、その流れで米国家電協会もナップスター支援に廻りました。技術や機会をユーザーに提供することが法律違反になってしまっては自分たちが困ってしまうわけですから。
 また、家電メーカーはコピーガードがきつくなるのは自分たちの儲けにマイナスになることくらい判っておりますから、べつに落ち目のところだけではなくどこでもきっかけさえあれば支援側に付けることもできるはずなんですが。ベータマックス裁判に負けていたらいまごろどんなことになっていたかも判ってるはずですし。
 著作権が大事ということと、技術の開発者の逮捕は困ると主張することとはべつに矛盾することでもありませんので。技術が売りの企業ならごくまっとうなる主張にしか過ぎません。

 開発者の逮捕のときに、あたくしなんかはベータマックス裁判のことしか想い付かなくて、著作権やウェブの自由なんてな話はまったく脳裏に浮かびませんでした。猥褻のような形而上学的な裁判とは違うわけですから。ですから先回りしてその手の話を批判するなんてのは、特定の学者に含むところのある人々の勘繰りのようなもんだと想っておりましたが、そうでもないのですかな。
 ウェブ上でいろいろ云ってるような方々ももうそれなりにいい歳で責任を果たさねばならないような立場にもいるんでしょうから、少なくとも家電メーカーのトップにいろいろ吹き込むことくらいはできるはずなんですが。
 家電メーカーがレコード会社なんかを傘下に持ってる日本の場合は、ほんとは話が早いはずなんでして。最近日本ではじまったような音楽配信システムでは自分たちも儲かるはずがないことはさすがに親会社のほうは判っているでしょうし。コンテンツは家電を売るための道具でしかないのなら、家電メーカー以外の弱小産業のごく一部のスーツがあたかも全体をコントロールするかのような現在の状況はありえないはずで。
 要はスーツにもいろんな立場があって、弱いところ味方に引き入れやすいところを突くなんてな話になんでならないのかが不思議なことでして。一番頑迷なところに眞っ正直に文句を云うみたいなのばっかりというのはどうも。
 まず、創作者とスーツをきっちりと離反させて、その上でスーツ同士を離反させて、分割して統治するのが賢明なるユーザーであろうかと。現実には少数のスーツによって、創作者とユーザー、ユーザーとスーツ、そしてユーザー同士が分割して統治されてるという情けないことになっております。大してうまい戦略でもないのに、いとも簡単に乗せられている。

 これはもちろん個別の裁判の行方とは直接関係のない話で、逆に裁判を梃子にもうちょっと大きい範囲の流れを形成する話でして。実際の裁判は幇助がどうしたとか細かい話で専門家に任せるしかありませんので、支援しようなんてな人はほかにいろいろやれることはあるわけで。
 もっとも、その裁判の専門家のほうも経団連なんかに文章を送るなんてな迂遠かつ反対陣営の働きかけをわざわざ先廻りさせるようなことをやってるようで、だいじょうぶかいなとも想いますが。
 こういうもろもろを前提としたうえで、もし47氏が高邁で形而上学的な法廷闘争を望んだりするのなら、それはまったくの自由で。そもそも、確固たる信念を抱いた者にとって逮捕だの有罪だのは死刑にでもならない限りは大したことではありません。大阪有線の如き無茶苦茶をやれないまっとうな企業なんかが困るだけのことでして。マスコミの方々はまっとうな企業のトップからコメントを取ったりしてないのでしょうか。
 落ち目の家電メーカーはなんかの間違いでまた復活することもあるやも知れませんが、あの会長さんだけはもうほんとにこんなことしか有終の美を飾る道はないと想うのですが。人は史上最低なんて称号が死ぬまでまとわりつくよりは一発逆転を狙いたくなるもんだと想います。史上最高の経営者がやったこととなにほどかのえにしがあるのならなおさらのこと。

 ところで、ウェブ上では大阪有線についてこのページよりも詳しいところはないみたいですけど、誰かまとめておいてもらえませんかね。とくにJASRACとの攻防戦のあたりをよろしく。

 さて、あたくしはと申しますとiTunesミュージックストアあたりの中途半端なものでお茶を濁されては困るところで、もっと根源的な<メディア循環>を起こすために事態が悪化するのは結構なことだと想っております。なかなかいい具合に進行していて、なんにもしないでただ眺めております。


2004/5/15  だから!<著作権問題>じゃないのよ

 おまえら何回云ったら判るんだ!<著作権>と云うな!<スーツ権>と云え!
 そろいもそろっておまえらみんなスーツの手先か?!いや、べつに<スーツ権>じゃなくてもっと素敵な言葉があるならなんでもいいけど、とにかくスーツのやらかしてることに対して絶対に<著作権>とは云うな!
 Winnyの場合は作品そのものをただで流布させて、スーツだけではなく創作者にも1円も環流させない状況を一部で発生せしめたので一見<著作権問題>のようにも見えるが、開発者の47氏の意図はスーツを排除して創作者に直接対価を渡すシステムを再構築するために、スーツに支配されてどうしようもなくなった現行システムを一度破壊してしまうということらしいので、これは明確に<スーツ権問題>であって<著作権問題>ではない。
 その点、表面的には似たようなことをやりながらも巧みに<スーツ権問題>から人々の眼をそらそうとするレッシグとはまったく違う。それにしてもレッシグはタチが悪いな。あれこそスーツの手先だ。いや、判りやすい圧政を敷くスーツよりも、いかにも自由と正義のためのごとくに言葉巧みに純眞な人々をたぶらかすレッシグのほうがよっぽど悪質。今回の件に関して<著作権>などという言葉を使う者とともに、<スーツ権問題>から論点をずらそうとする者はすべて同罪。

 以前に著作権は<著作権>と<スーツ権>に頒けろと記したのは、たんに2つに区別しろということではなく、この2つは敵対する相容れない権利であることを明確に意識しろということである。少なくとも大陸法では横暴なスーツに対抗するために創作者たちが<著作権>を勝ち取ったという経緯があり、だからこそ<著作人格権>などというものがあって、スーツにすべてを売り渡すことが(スーツに完全に支配されることが)、理念上はできないようになっている。
 <著作権>が大事だという創作者の立場からは<スーツ権>など一掃されてしかるべきもので、まさしくスーツにとってWinny利用者の<権利>など潰滅に追い込むべき存在でしかないのと同じことである。<著作権>が対抗しているのはユーザーではなくスーツであることを、食前食後と寝る前起床時に毎日必ず想い出すように。

 なお、今回の件に関して「中間搾取」なんてな言葉が頻出して金の問題ばかりが取り上げられているが、<スーツ権問題>の本質は金ではない。スーツがコントロール権を握って創作に対して口出しすることが問題なのだ。
 訳の判らん連中がいろいろ関わって内容を薄める方向にしか向かわない。創作者も自分のやりたいことや、客受けなんてことよりも、眼の前のスーツにOKをもらうことだけに汲々としていて、しかもそれがプロの仕事であると本気で考えていたりする。スーツも企業の利益なんてことよりスーツ上司や関係各位にOKをもらうことだけに汲々としていて、結果として誰に対して何を訴えようとしているのか訳の判らんクズばかりが積み重なるという慘状となる。たんなるスーツの搾取が問題ではなく、創作者側の奴隷根性と創作を邪魔する<他者>が蔓延っていることが問題なのだ。これはやはりシステムを一度壊さないことにはどうしようもない。
 創作者側がスーツを雇って使うのなら、同じ金額をスーツに払ったとしても現在の<スーツ権問題>のほとんどは解決する。直接雇わなくとも中立の代行システムに創作者が金を払って利用する形態を取ればよい。その上で創作者が詰まらん作品を出したり、ユーザーの利益に反することをすれば、個々に淘汰されるだけである。じつに簡単な話になる。実際にはスーツの数と取り分も減って金の問題も解決するなんてこともあるかも知れんが、それはおまけだ。著作者の権利を守ることがほんとにそんなに大切なら、スーツに口を出させないのは当然のことでべつに難しい話ではない。
 コモンズになるべきはコンテンツではなく、こういう創作課程のシステムであり、あたしの云うところの<メディア>である。そういう意味で47氏の意図は正しく、レッシグはズレている。

 47氏逮捕に対して自分の利害に引き附けていろいろ云ってる諸氏ばかりだが、創作者にかこつけて己の利益を図ろうとするスーツ連中とそれでは代らん。
 47氏がどのような法廷闘争をするかは47氏の自由で、有罪になった場合の他への波及なんてものは考える必要は微塵もないし、必ずしも無罪を目指す必要もない。ほんとに現在の体制や法律に挑戦するつもりで逮捕も当然と考えているのなら、法廷で高邁な<スーツ権問題>論を展開するのもまた一興。既存の学者先生の論陣ではしょぼいのはたしかだが、そのあたりも47氏が選択することで、横から云うのは大きなお世話ではある。もちろん、無罪だけを目標にその他のことをすべて切り捨てることも本人の自由で、本人の意向が判らない段階であれこれ云ってもはじまらん。自分の思想として表明すればいいだけのことで。
 有罪になっても死刑になるわけじゃなし、民事でもせいぜい数兆円の話で大したことではない。数兆円の借金を背負ったことで本気でメディア革命を起こすなんてこともあるだろうし、できればレコード会社や映画会社に対する数兆円の借金を裏付けとした少額決済システムを立ち上げるなんてことになれば面白いのだが。このくらいのアクロバチックができなければ、金融工学だとかIT革命だとかのインチキ臭い話が幅を利かす時代に立ち会った甲斐がない。右から左に流すだけで大金を取る商売が成り立つんだから、こんなことが起こっても不思議はなかろう。
 いや、創作で金を取る<著作権>なんてものが成り立ったのがこれ以上にアクロバチックな話で、敵対しているはずのスーツが自分たちの生き残りに<著作権>という言葉を持ち出すなんてのはそれに比ぶればトリックとしては単純だな。47氏のやってることや云ってることが子供っぽいとかのたまう諸氏は、著作権成立の歴史なんてものも一度調べなおしてみられるのもよろしいかと想う。

 ただしかし、スーツを廃除して創作者に直接対価を支払うのに47氏提唱のデジタル証券システムみたいなややこしいことをやる必要はなく、iTunesミュージックストアみたいな緩いコントロールと対価回収の仕組みで充分だ。既存の企業やスーツが主導権を握らない中立的で低コストの<メディア>として成り立つように、P2Pなりウェブコミュニティーなりを活用して運営できればいいわけで。法律なぞどうなろうと関係がない。
 いかにも良さそうでじつは<スーツ権問題>の延命に繋がる現状のiTunesミュージックストアが上陸する気配もなく、判りやすいスーツの圧政が続く日本は、問題の本質が見えやすくて真に新しい展開が産まれる可能性もあるような気がしているのだが。
 スーツの一連の動きを見ていて、47氏とWinnyは想ったよりも世の中に影響を与えていたのだなと改めて想った次第。あたしがマカーなため識らなかっただけか。
 ともかく、<スーツ権問題>が片附いたあとに初めて<著作権問題>が浮かび上がるのであって、著作権を弛めるかどうかなんて話はその時ゆっくりやればいいことだ。物事には順番というものがある。判りましたね。

 ところで、1984年4月に大阪府警が暴走を煽動すると雑誌を摘発、ライター逮捕している。関係各位はこれが最終的にどうなったか調査してレポートを提出しておくように。ちょっと違う問題かも知れんが、東京の新聞には載ってないので詳細が判らん。煽動している雑誌が今回はスルーされてることと関連はないかね。警察や検察はこんな事件をあらかじめ調べておくくらいのシステムや体制は備えてるんでしょうか。
 この幇助罪だか教唆罪だかの逮捕と同じ年、同じ月、音楽テープと高速録音機を貸し出して客自身にその場で3分間でダビングさせる貸しテープ屋チェーンが、レコード協会に訴えられて営業停止となっている。店とレコード会社と利用者それぞれの云い分はWinnyとまったく同じで、レコード売り上げが大幅に減ってレンタルを規制する著作権改正がその月に可決した背景ともどもまったく同じで、ネットがどーしたデジタルがどーしたという話ははなはだ心許ないことではある。もちろん、録音機の開発者は逮捕されていないとは想うが。
 これも同じ年、同じ月、大阪有線が無許可で電柱にケーブルを張り巡らせて郵政省から営業停止処分を受けたのだが、無視して音楽放送を続けたうえに白昼堂々と違法架線作業を繰り広げて、社長の国会出頭要請も拒否するなんてな曲芸を見せている。
 世の中というのはさまざまな人々がさまざまことをしてもって、そうしてひとつひとつ創造してゆくものなのであります。


2004/4/30  松田新平氏のことなど

 2ちゃんの絶望書店スレがずっと一番底のほうに沈んでいて、ようやく落ちるのかと想ったらまたあげられてしまった。いつもは一番底に沈む前にアゲる人がいて、松田新平氏がやっているのではないかと竊かに考えていたのだが、死んでしまったとたんに沈みっぱなしになって、アゲかたもいつもと違ったので、やはりそうであったのかも知れん。
 松田新平の名前を聞いたことがない諸氏は、いまさら識る必要など微塵もない。ウェブ上に無数にいる住人のひとりという存在でしかない。
 死んだという情報が流れてから、松田氏が昔張ったリンクから辿ってくる方もちらほらいるし、またこれを機会に松田氏がウェブに遺した膨大な足跡を読み返そうかなんて醉狂な方もいるようなので、少し記しておこうかと想う。

 松田氏は何故か絶望書店のことを非常に高く評価してくれていた。最初に来たのは2000年の春ということなので、古書マニアでない方としてはかなり早い時期からということになる。
 それから3日に一度は覗いていたそうで、また絶望書店日記ではなく棚のほうを主に読んでおられたようで、当方にとってはまことにありがたい存在ではあった。
 最初に接触があったのは某氏とのやりとりで絶望書店の観客が一時的に増えたときのことで、アンケートにお答えをいただいたのだが、そのあたりのことは松田氏自身が絶望書店スレに書き込んでいる。
 電波で名高い松田氏があのスレにいると識って、これは妙な具合に荒れるのでないかと危惧していたのだけど、突如としてトロンについて発言したくらいであとはおとなしくしていたようで杞憂に終わった。
 あの書き込みに合わせて、トロンについて記した松田氏の日記について、何故かあたしに何か発言して欲しいというメールが届いた。絶望書店でトロンについて書いたことはなかったはずなんだが。
 あたしは現在のトロンがどうなっているのかまったく識らないけど、日米摩擦の頃のいきさつは池田信夫が書いてるような見方を当時からしていたし、あの部分の池田への反論みたいなことをやってる輩もいるがまったく取るに足らない些末な話で、そもそも国と引っ付いただけではなく万が一トロンが主流になったら困るから形だけ噛んでおくなんて姿勢の大企業をあてにしたりするからあんなことになるんであって、あたしがいうところの<他者>が絡むとろくなことにならんというのはあれを見てはっきり意識するようになったんだったというような返事をしようかと想ったのだが、考えてみれば携帯ともクルマともまったく縁のない日々を送っていて、さしたる興味もないトロンによってせっかく平穏なる松田氏との関係に波風立たせるのもなんだと無難な返しをしておいた。
 あたしはそれまで西和彦スレくらいでしか松田氏を見たことがなく、ただ周りの人々が「あれは電波だ」と書き込んでいるので、そうなのかなと想っていただけであった。メールも何通かもらって、その内容はあたしにはあんまりよく理解できなかったのだけど、それほど長文でも粘着でもなく、取り立てて電波という感じは受けなかったし、関係はいたって良好と云えた。最初から電波ならそれはそれで対処のやり方もあるが、わりあい平穏だったのでいつ起こるか判らない電波発動に必要以上に警戒していた感がある。おんなじ電波でも自分が引き金を引いてしまったのでは、受けるダメージが大きい。
 そもそも、松田氏の考えがもひとつ読み取れず、トロンマンセー、池田死ねという感じでもなかったし、あれはどういうことだったのか、トロンの話題を聴くたび考えてみるのだが、考えるほどのことでもないのか。

 自己顕示欲の強い松田氏は、電波だからと人々に追い立てを喰ったスレなんかではやむなく名無しで書き込むこともあったようだが、とりあえずはそんな心配のない絶望書店スレでも名無しで書き込んでいるのを見て、あんがい周りのことも考えてるのかなという印象を持った。また、本は買いたいけど実際見てみなくては買えないと頻りに云っていて、結局一冊も買ってくれなかったのも電波らしくないなと想っていた。
 名無しの書き込みを誰なのかバラすなんて趣味の悪いことをしているのは、松田新平氏がウェブ上に遺した眼に見えるだけでも膨大なる足跡のほかにこういうのもあることを示すためで他意はない。少なくともあたしには誰の書き込みかはっきり判る形で書いてるので、べつにいいだろう。
 あたしのように直接逢ったことのない者にとっては肉体の滅びはあまり意味がない。ウェブ上に足跡が残っている限り、またこれもじつは松田新平だったと新たに判ったりする限りは生きているのとおんなじだ。げにウェブというのは妙なものではある。ウェブとはいったいなんなのか、改めて考えさせる。人のいとなみというのは何なのかなんてなこととおんなじなのかも知れんが。この一年ほど音沙汰がなかったので正直忘れていたのだが、今回の情報でむしろ復活しているし。
 肉体を失ったことで松田新平はウェブと一体化してしまったのか。逢ったことのない者にとって肉体がほんとに存在したのかどうかも判らんので、最初から一緒のことなんだが。どっちにしたって、あれだけ膨大な量を刻印して、どこにでも顔を出していたからこそこんなことも考えさせるわけで。
 ネットコミュニティーなんてものにおよそ縁のないはずの絶望書店も、こういう特異なる存在によって否応なく結び附けられているのだなと、松田死亡の情報に接して想い知らされた次第。親しいとも云えんあたしなんかにも妙な感慨を覚えさせる人物ではあった。


2004/4/13  CD-ROM交換プレイ

 えー、某所に潛って某資料を漁っておりまして、絶望書店をほったらかしにしておりました。皆樣方にはご機嫌いかがでございましょうか。
 しかしなんですな、にっぽんの中枢部は緊張感ないですな。およそ日本でこれほど怪しいやつはいないだろうという怪しい格好をして通っていたのですが、適当な手続きでじつにすんなり中に入れますからな。
 セキュリティーなんてなものに完璧はないし、とくに日本においては何か起こった時に言い訳するための形式に過ぎないわけですが、さすがにこの時期にはもうちっと実質的な警戒をしたほうがいいような気もするのですが。
 しかし、そうなるとあたくしのような輩が潛り込む余地がなくなり、埋もれたソースをオープンにはできなくなるのですから困ったもんです。きちんとした方々がきちんとした仕事をやっておれば、あたし風情がわざわざこんなことをやる必要もないのですが。

 そんな潛入のついでに、近所の国会図書館にも行って来ました。
 あそこは無意味にいろいろ面倒だし、立地からもついでがないととても行く気になれなくて、これまですぐ傍の国立劇場の歌舞伎か文楽の幕間にちょっとなんてなじつにあわただしい遣い方しかあたしはしてこなかったのですが、多少時間が取れたので、初めて電子資料室とかいうのに入ってまいりました。
 以前に記しましたように、戦前の新聞縮刷版にはいろいろ苦労しておりますので、朝日新聞のCD-ROM版を見てみたかったのです。
 見てみるとやっぱり読めない。とにかく肝心の年齢表記がまったく同じに読めない。並べて比べたわけではないので、はっきりとは判りませんが、どうもあの酷い復刻版と同じ画像を使っているような気がします。
 戦前20年分で165万円もするのに豪儀な仕事をしておりますな。小心者のあたくしなどには、とてもこんな商品を売る度胸はありません。1字1字に魂込めた先人達の残した仕事をなんだと考えているのでしょうか。もっとも、20年分でCD72枚構成ですから、最初から実際に読むことなんて想定してなくて、買うほうも一切読んでないような気がいたしますが。
 あれだけのデータ量だとDVDでも辛くて、ハードディスクなんかで提供するほうがユーザーも楽だし、製造コストも商品管理コストも安くつくだろうになんでCD-ROM。何万部も出るわけではない商品ならなおさらのこと。

 さらにすごいのが国会図書館の閲覧システムです。検索ソフトをインストールして、さて検索するとデータCDを入れなければならないのですが、いちいちカウンターまで行って司書の方に指定してCD-ROMを持ってきてセットしてもらわないといけないのです。
 なんせ、1年分でCD4枚ですから、もう、検索をひとつするごとに頼んでいちいちCDを交換してもらわないといけない。
 うんなことするのなら最初から全部ハードディスクに入れておいたらよさそうなもんですが、なんでも、1人の利用が終わるごとにインストールしたすべてのプログラムやデータはいちいち消してしまうんだそうで。
 こんなことをやるのは、図書館法や著作権法でも規定がないと想いますので、それぞれのソフト会社との契約なんでしょう。日本の新聞記者はみんな社員で新聞記事はすべて法人著作ですから発表から50年で著作権は切れているはずなんですが、検索プログラムのほうの著作権を問題にしているのか。ウィンドウズなんかは入れっぱなしなんですからおかしなもんです。
 司書の方はいちいちカウンターと利用席を往復してCDの入れ替えをするのですから大変ですが、さらに何故かマシンが床に置いてあるので、利用者の足許にひざまずくような姿勢で作業することになります。またまたさらに何故か、この電子資料室の司書は全員若い女性ばかりなんですな。
 若い女性に命じて足許でかしずかせる、それも図書館の女司書というのは、これはこれで図書館マニアにはたまらん萌え萌えのプレイのような気もします。
 さぞやと想いきや、検索してもウェブ上にはこのプレイについての記述がひとつもありませんな。それどころかこの電子資料室に行ったという報告さえひとつもない。じつは先日調べたときはひとつだけあったのですが、なくなってしまって、本好きと図書館好きの痴れ者が蠢いているウェブにおいてこの地に辿り着いた者がただのひとりもおらぬ!

 あたしはあんまりよく観察していなかったのですが、その消えてしまったページの報告ではマシンに扉がついていて、いちいち鍵を掛けて利用者にはなにがあってもCDには手を触れさせない体制になっているとか書いてありました。かしずくだけではなくいちいち鍵で禁じてもくれるというのがまた萌えのポイントのような気もしますが、残念ながら即物的で貧乏性なあたくしはこんな優雅なプレイをじっとりと愉しむ余裕もなく、そうそうに新聞資料室のほうに退散いたしました。
 すると閑散としていた先端的な電子資料室とは違って、こっちでは人があふれて原始的なマイクロフィルムをみなさん一心に手動でからから廻している。
 新しい設備なのになんで手動なのか説明してくれるページも見つからないのでよく判らないのですが、昔の電動式マイクロフィルム閲覧機は想った箇所にぴたっととめるのが難しくて、これはこれで合理的なんだろうとは考えます。さはさりながら、長大なるマイクロフィルムを手で廻してひたすら巻き戻していると、痴れ者ゆえの刑罰にでもあっているかのような物哀しい心持ちになってきます。からからという乾いた音は虚しく身に凍みます。ずらっと並んだ閲覧者の列は女工哀史そのものです。
 問題なのはこんな面倒な手動のマイクロフィルムのほうが、先端的な電子閲覧よりも遥かに実用的であるということでして、まったく世の中どうなっておるのでありましょうか。

 国会図書館の利用統計を見るとあの広い電子資料室に入る人は1日58人だけで、閲覧されているCD-ROMやDVDはなんと1日16点だけです。ちなみに戦前の朝日新聞は検索CDと記事データCDが別の請求ですので2点の扱いになっているはずで、全員がこれを閲覧しているとすると、1日に実質8点しか利用していないということです。新聞資料室とはフタ桁違います。
 つーか、1億人の国家の中枢の図書館の最尖端のデータ利用が1日じゅうろく・・・・・・。

 みなさん、国会図書館電子資料室が無味乾燥なる実用的な場に墮してしまう前に、典雅なるCD-ROM交換プレイを味わっておくべきですぞ。いまの日本においてこれほど無意味で優雅な一種の藝術を堪能できる機会がほかにありましょうか。茶道なんかよりもある意味洗練されていて、緊張感ある関係性を切り結ぶことが出来まする。
 なお、戦前の読売新聞CD-ROM版は検索ソフトをインストールできませんので、検索するたびにいちいち検索CDを入れなければならず、朝日新聞の2倍の交換プレイとなります。何回の交換までにこやかに応じてもらえるのか、チキンレースも存分に楽しめます。
 女司書萌えの方にはお勧めいたします。そのうち若い男性司書が配属されるようになるやも知れませんが、それはそれでまた萌え萌え。


2004/1/5  君はチューリング・テストを識っているのか!?

 いまだに「チューリングテスト」で検索して9/21 チューリングテスト被験者たちなんつう駄文にやって来る方が大勢いて、さすがのこの出鱈目なる絶望書店主人もまことに心苦しく想っている。
 まあ、これはいたしかたないことではあるが、問題はもっとも重要なるチューリング・テスト再考が検索結果の下のほうに沈んでいることだ。
 ちなみにタイトルに「チューリング・テスト」が入っているので点ありなら上位に来る。本文中には点なしのほうもきちんとあるのに沈んでいるのはほとんど話題になっていないということだ。ひょっとするとひとつもリンクされていないのか!?グーグルの仕組みともども、木の葉が沈んで石が浮く現状はこれでよいのか?!!!!!
 絶望書店日記は人が取り上げるようなことは面倒なので書かないという方針で、こんなのは放っておいても話題になるだろうと1年以上も静観していたのだが、いっこうにそういう気配がないのでしようがないから書いてみる。

 チューリングテストについて聞いた風なことを3年前に書いたわけだが、じつは大した知識を持っているわけではなかった。ウェブ上にある『計算する機械と知性』の翻訳を一応読んではいたのだが、この訳文がまったく壊滅的に理解できない。
 こういうウェブ上の翻訳活動は読み手からのいろんな意見を注入してみんなで成長させるのが筋で、訳者の方もそう望んでいるようでもあるし、とくにあたしのように異国語がまったく駄目な輩にとってこれほどありがたい活動はないのであるからできるだけ協力して大いにツッコミを入れたいところではあったのだが、なんせあまりにも取っ掛かりがなくて「最初から最後まで皆目ひとつも判りません」としか云いようがない。
 これほど訳の判らん文章を読んだのは、ラカンの『エクリ』日本語版序文以来のような気もする。ラカンのほうは誰か新たに訳したりしてんのかね。
 まあ、原文も同じくらい訳の判らん文章である可能性はあるし、それよりもあたしの読解能力や基礎知識が追いついていない可能性はもっとあるし、なにより原文を読む能力がないのであるから訳文についてとやかく云える資格はない。独占権を持って訳の判らん翻訳をされるのは困ったことだが、こういうウェブ上のオープンな翻訳はまことに結構なことではあるので大いにやっていただきたいものではある。

 さて、しかし、あたしに理解できなければあたしにとっては意味がないので、こいつはほとほと困ったなと弱っていたところ、上記の再考を見つけたわけだ。これも検索してうちにやって来る方々に教えてもらったようなもんで、「チューリングテスト」で検索して来る人数があまりに多いので、チューリングテスト業界のいまはいったいどうなっちょるのかと義憤を感じながら時々見ていたわけだ。そのころはまだタイトルが点なしだったのでそっちでは上位にあった。ちなみにあたしが見つけたのは再考の前段階の覚書のほうだったと想う。
 いまでは翻訳部分は異本「計算する機械と知性について」としてまとまっているが(こっちは多少リンクが増えたが、点つきでも点なしでも下に沈んどる)、一読するやあたしにもきちんと理解できる。判る!あたしにもチューリングテストが判るぞ!
 しかも、再考ではあたしがもっとも疑問に想っていた、なにゆえ人間と機械が1対1で対峙するのではなく、壁の向こうに2人用意してわざわざものまねゲームなんかをやらせるのかということについてなかなかスリリングな考察を展開されている。
 結局最後まで読んでもこの疑問点はよく判らんわけだが、この点についてウェブ上で大いに議論が展開されるだろうと想っていたのにリンクさえ張られてないとはまことに嘆かわしい。
 チューリングは説明の必要さえ感じてないようであるのにあたしに判らんというのは、あたしに認知科学の基礎が欠けているからなのか、英国の遊戯についての感覚がないからなのか。

 異本の最後の訳者コメントにはこのテストはあくまでデモンストレーションのためではないかという考察があって、そうであるならなかなか興味深い。デモンストレーションによって受け手に納得させることが機械が知性を持つ証明になるという二重のチューリングテストになっているわけだ。どんな立派な理論でも人々に理解されないのなら存在しないのと同じで、知性とは何かという問題と何周か巡り巡って結局は関わってくる。
 はたまた、デモンストレーションしたかったのは機械の知性についてなのか、ものまねゲームのほうだったのかという問題もある。ものまねゲームは最初は男性と女性が壁の向こうにいてどっちが女性か当てるものだったわけだが、機械と人間の区別がつかないと機械が知性を持ったと判定できるのなら、壁の向こうの男性が女性と区別がつかないのならその男性は女性だという理屈になる。同性愛者のチューリングにとってほんとに訴えたかったのはどっちなのか、区別のつかないあたしにとっては両者は一緒だということなのか?自明のこととしてものまねゲーム導入の意味を説明しないのはこのためのトリックなのか?
 最終的にものまねゲームに性差が関係なくなるのはチューリングにとって性などより大きな問題が出てきたのか、反対により大きな問題に膨らんで自殺へと追い詰められていたからなのか。
 性差を放棄してもやっぱり1対1で対峙するのではなく、あくまでものまねゲームにこだわるのはどういうことなのか。性なんて取り替え可能な幻想に過ぎないと云っているのなら、意識や知性も幻想に過ぎんと考えているのか。
 なんにせよ、チューリングテストについて言及している方々はどのくらい元の論文を読んでいて理解しているもんなんでありましょうか。

 ところで、9/21 チューリングテスト被験者たちの前半では、「紙の上のキャラには意識や智能がある」というなかなか大胆な思想をあたくしは提示しているわけですが、どの程度通じておりますかね。あー、モニター上のキャラは声優なんてアミガサっぽい因子が加わるのでとりあえずは外しておりますが。
 こんなことを主張している莫迦はほかにもいるんでありましょうか。



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